第120話 ヤクザ教師(1)※改題

 
「おっかしーなぁ……」

ついに将は声に出してつぶやいた。そばにいた大悟がそれを聞いて

「どうした」

と振り返った。

「……うん」

そのくせ将は、ろくに返事をせずに携帯をいじくっている。

もう、日曜日も夕方になりつつあるのに、聡から一度も連絡がないのだ。何度かメールを送っているのに。

『聡、何時ごろ着くか連絡して。それにあわせて帰るから』と送ったメールの返事もない。

メールだけでなく、昼過ぎから何度か電話もしている。

『電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため……』のメッセージを今日何回聞いただろうか。

大悟の問いに答えず電話をして、また同じメッセージを聞いた将は、口をとがらせた。

「アキラと連絡がとれない。電波がずっと届かない」

「地下とかにいるんじゃないの?」

大悟は言った。それは将も考えた。地下にいるかもしれないし、田舎すぎて電波が届かないのかもしれない。

もしかしたら仕事中だからと電源を切っているのかもしれない。

だけど、おかしい。

昨日、朝からもう30時間も電話もメールもないなんてありえない。

「俺さ、いったんアキラの部屋に帰ってみるわ」

「夕飯食っていかないの?」

今日は日曜なので、家政婦が早めに来てつくった夕食がテーブルの上にすでにセットされている。

「うん。……いいや。アキラ、連絡しないでいきなり帰ってくるかもしれないし」

聡の性格からは、あまり考えられない行動なのだが……。

「じゃあさ、持っていけよ。瑞樹ちゃん、タッパー出して」

大悟は気を利かせた。瑞樹がキッチンの棚からタッパーを出す。

そんなふうに素直に動く瑞樹を見て、将は少し安堵する。

大悟の気持ちはともかく、もしかして……瑞樹が何か企んでいるのでは、と将はまだ少し警戒していたのだ。

「センセイだって、腹すかして帰ってきて自分でつくるんじゃ大変だろ」

大悟は瑞樹と並んでキッチンに立つと箸で、タッパーに今日のおかずのロールキャベツを詰めた。

瑞樹は、きんぴらを小さいタッパーに詰めながら

「これぐらいでいいかな」と大悟に聞いている。

ショートカットになったせいもあるが、瑞樹の印象はとても変わったように思う。

しかも、玄関を出るときに、瑞樹はうつむきながらも

「将、ごめんね。あと、ありがとう」

と言ったのだ……。

昨日、瑞樹の都合の悪いことを大悟に伝えようとしてしまった将は、少しおもはゆいような思いで、

「うん……」

としか答えられなかった。

夕食を詰めたタッパーを入れたリュックを背負って、将はタクシーで自宅マンションを後にした。

コーポの前に立った将は、がっかりした。もう薄暗いのに、聡の部屋の窓は暗いままだったからだ。

聡はまだ帰っていないらしい。

タクシーの中でも携帯をチェックしたのだが、あいかわらずメールボックスは沈黙したままだ。

『聡、今日遅くなる? 夕食、大悟に分けてもらったよ。連絡くれ』

とメールを打った。

蛍光灯がチカチカと点滅をはじめた階段を、将は松葉杖で一段一段登ると、鍵をあけて聡の部屋に入った。

……その様子を夕闇にまぎれて下から見ている男がいた。原田博史である。

博史は、将が聡の部屋に鍵をあけて入り、電灯がつくところまで見届けると、きびすを返した。

 
 

 
聡のいない部屋は、ひえびえとして、所在無くて、テレビをつけても雑音にしかならない。

何をやっても手につかないので、片足立ちで、部屋の中に干してあった洗濯物を適当に畳む。

一人で勝手に風呂に入ってみるが、メールが気になって、カラスの行水になってしまった。

真裸で部屋に出てきて携帯を取り上げる。しかし携帯はうんともすんとも言わない。裸のまま、将はフローリングに腰を下ろした。

――今、帰ってきたら、アキラのやつどんな顔するかな。

ちょっといたずらッ気が顔を出す。そんな将は、まだ、単に聡が帰ってくるのが遅いだけだ、と信じている。

なぜなら、明日は月曜日、学校だってあるから。帰ってこないわけがない……。

しかし、くしゃみが出て寝巻きを着ても……、法律番組が終わっても、聡が好きだと言っていたウルルンが終わっても聡は帰ってこない。

途中、空腹に耐えかねて、タッパーにいれてもらったロールキャベツを1つだけ食べる。

最初は15分に一度だったメールチェックは、しまいには5分になる始末だった。

電話はCMになるたびにかけている。が、あいかわらず電波が届かない。

待ち受けは聡の笑顔にしているが、メールチェックだけでなく、その顔自体がだんだん懐かしく恋しくなってきた。

将は、行き先を細かく聞いておけばよかった、と後悔した。どうせ1泊だから、と宿泊先の住所も電話番号も聞いてないのだ。

情熱大陸も世界遺産も終わって日付が変わっても聡は戻ってこなかった。

将は、携帯をチェックしながらまんじりともせずに、夜を明かした……。

 

 
結局、聡は帰ってこなかった。

将は、最大級の不安を抱えながら、タクシーで少し早めに学校へ向かった。

もしかして、出張先から直接学校に来てるかも、という一縷の望みがあったから。

勇気を出して職員室にも顔を出してみた。

だが、そこに聡の姿を見つけることはできなかった。

 
 

 
ガラガラッ!

HRのチャイムが鳴る前に、教室前の引き戸が勢いよく開いた。

立て付けがよくない引き戸をこんな風に開けるにはよほどの力が必要だ。

好きなところでしゃべっていた生徒が、いっせいに前の引き戸に注目したときには、男はズカズカと教壇に上がるところだった。

皆、その場でシーンとなった。

「席に戻れ!」

男は吼えるように生徒たちに命令した。

生徒たちは無言で、席にサワサワと戻った。

松葉杖の将は、自分の席にいて携帯を開け閉めしていた。

メールチェックを兼ねて、待ち受け画面の聡の顔を見て、心配で憂鬱な気分を紛らわしていたのだが、さすがに、いきなり教壇に立った男に驚いて顔をあげた。

短いパンチパーマの目付きの悪い男がそこにいた。

「今日から2年2組の担任になった京極だ!」

「ええーっ!」

クラス中がいっせいにどよめいた。それはあきらかに好意的なものではなかった。

「静かにしろっ!」

京極は出席簿で教卓をバシバシと叩いた。

「あの!」

果敢にも、手をあげたのは丸刈りの兵藤だった。彼は三学期の席替えで教室の真ん中あたり、前から3列目の席に移っていた。

「なんだ」

京極はにらみつけながらも兵藤に発言を許した。

「古城先生は、どうしたんでしょうか。なんで急に担任が変わったんですか。説明してください!」

皆の訊きたいことを兵藤が代弁した。皆、固唾を飲んで、答えを待った。

「知らんっ!」

京極は一言で突っぱねた。

「でも……」

「つべこべ言うな!学校の決定だ!」

京極は、なおも食い下がろうとする兵藤を一蹴した。

「いっとくが、オレは甘やかさないからな。お前ら野獣どもを人間に仕立てるのがオレの仕事だ。オレの仕事を邪魔するやつは容赦しない!いいなっ!」

京極は強圧的にHRを終えると、入ってきたときと同じように引き戸を乱暴に閉めて去った。

はめ込まれたガラスがビーンと振動しているようだった。

生徒たちは再びどよめいた。

「ねえ、なんでなんで?」

「アキラ先生は? どこいっちゃったの?」

チャミとカリナが甲高い声を立てるとそれに呼応するように

「おい、将、お前なんか知ってんのか?」

と黒髪になった井口が将の席に飛んでいくように、寄っていった。

そのあとにカイトやユータが続き、兵藤や松岡やその他の生徒もそのようすを伺っていた。

「知らない……んだ。俺も」

将は立ち上がると松葉杖をつくのももどかしく教室を出た。