第132話 リバウンド(1)

「じゃあ、明日」

コーポの前で聡を降ろすと、博史は運転席から離れることなく、確認するようにそれだけ言って車を発進させた。

走り去る博史の車を見送る聡はため息をついた。

夜に溶ける白い息は、安堵と明日の約束に対する重圧感の姿だった。

携帯をあけて時間を見ると、20時30分を少し過ぎたところだ。

コーポを見上げると電気がついている。

それを見たとたん、聡は階段を駆け上がっていた。今週の疲れも何もかも忘れて。

聡が着く前に、ドアが開いた。

開いたドアの内側に将を見たとたん、聡はボストンバックを放り出して飛びついた。

「将!」

懐かしい将のぬくもり。干草のような彼の匂い。

もう100年も会ってない気がする。

将は聡を受け止めると、しっかりと抱きしめた。

二人は部屋に入るのも忘れて、どちらからともなく唇を求める。

ひとしきり口づけを交わしたあとで、将は

「アキラ、おかえり」

と微笑んだ。そうやって微笑む将は、また少し大人っぽくなっている。

「ただいま……。将」

聡はせつなくなって、また将の胸に顔をうずめた。

「早かったじゃん」

「うん……」

聡は将の胸に顔を押し付けたまま離れない。

「アキラ、ちょっとボストン拾わせて」

「離れたくないの……」

「ったく、子供みたいだなあ」

将は笑いながら、聡を抱きしめたまま、手を伸ばしてボストンを拾った。

次の瞬間、聡の体がふわりと宙に浮いた。

将に横抱きにされたのだ。そのまま家に入ろうと、長身の将は聡を抱いたまま、注意深く首をかがめた。

「ちょ、ちょっと将、足は大丈夫なの?」

ギプスがとれたといっても、急にそんなことをして大丈夫なんだろうか。

急に視点が高くなった聡は、怖くて将の首にしがみつく。

「ちょ、アキラ、前が見えない」

ゴン!

少し首を伸ばすタイミングが早かった将は、入り口におでこをぶつけてしまった。

「いってえ~」

将の情けない顔は、聡のすぐ近くにある。

泣きそうな顔だけど、聡の体は離さない。

「将、背伸びたんじゃない?」

聡は将に横抱きにされたまま、クスッと笑った。

「たぶん……、コラ、笑うなよ」

「だって」

ふふふ、と笑いが出てくる。

「おしおきするぞ」

そういうと、将は横抱きにした聡をベッドの上に横たえるようにそっと降ろし、

部屋の電灯を消してスタンドだけにするとそのまま覆い被さってきた。

「ヤダ、くすぐったい」

聡は本当にくすぐったくて笑った。

「将、ご飯は?」

「そんなの、どうでもいいよ」

将のせつない顔を見て、その広い背中に聡は腕をからませた。

「すっげえ、逢いたかったんだ。アキラ」

「あたしもよ。将」

ベッドの上で再び、唇をあわせる。

服の上からでも、お互い隙間ができるのを惜しむように、体を密着させる。

「寂しくて、死んでしまうかと思ったぜ、アキラ」

「……将」

触れ合いながらも互いの名前を何度も呼び合う。

その瞳、ぬくもり、唇の感触、そして声。

呼び合う名前さえも、全部……互いが互いを愛している。必要だった。

食事を無理に制限していた者が、タガがはずれて過食に走るように。

逢えなかった二人は、今、まさに愛のリバウンド状態、歯止めが利かない状態にいる。

将は、聡と舌をからめあいながら、聡のニットの下の素肌に手を忍び込ませていた。

聡も知っていて止めない。

このままだと一線を越えてしまうかも……そんな理性が鳴らす警報音が小さく頭の隅で鳴っているけれど、今はそれどころではない。

聡は将への激情に完全に身を任せてしまっていた。

逢えなかった分を取り戻すような、濃厚な逢瀬。

ニットの下、最初控えめだった将の手だが、だんだん大胆になる。

それを察知しながら聡は止めもせず、逆に将の着ているシャツの裾から、自分も将のなだらかな背中にじかに手のひらを這わせた。

背中であの火傷のあとが盛り上がっているのがわかる。

将の受けた心の傷の象徴……聡はそれをやさしく指でなぞった。

それに気付いた将は、一瞬優しい目で聡を見つめた。

と、素早く聡の体を起こすと、その上半身からニットを取り去ってしまった。

「……だめ」

といいつつ、聡の感情はとうに覚悟を決めていた。

理性のほうは……とっくに押し流されてどこかへ行ってしまっている。

気が付くと聡は、最後の1枚だけを身につけてベッドの上に横たわっていた。

正月の実家のときより裸に近い状態なのに、火照っているのか寒さを感じない。

今日こそは将と1つになるときなのだ、と体同様、理性を脱ぎ捨てて裸の感情だけになった聡は胸を高鳴らせた。

将も、いったん立ち上がって、来ているものを脱いでいる。

ボクサーパンツ1枚になった将を聡はあらためて見上げた。

長身に、流れるようにしなやかな褐色の筋肉がついた十代の体には贅肉がまるでない。

スタンドの暖色の灯りに照らされたそれは、滑らかな影としっとりとした艶に彩られていた。

広い肩幅と、見るたびにガッチリしていくような長い首が、顔をより小さく見せている。

意思を秘めた……睨みつけるような……強い瞳で聡を見下ろしている。

腕で胸を隠して横たわる聡の上にまたのしかかってきた。

骨折した足は、ジーンズを脱ぐと、あいかわらず白い包帯で巻かれていた。

「足は……大丈夫なの?」

「うん。これ半ギプスなんだ……」

それだけ答えると、将は裸の聡をそっと、だけど強く抱きしめた。

服の上からとは比較にならない熱い将の体温。

肌と肌が触れ合っただけで、吐息が漏れそうになるほどの快感が聡を包み、それは一撃で聡を完全に支配してしまった。

一方将も、柔らかく滑らかな聡に触れただけで、全身の血がたぎるほどの興奮に支配された。

そして緊張した。

――今日こそ聡と1つになれる。

そう思ってはやる気持ちを抑えながら夢中で、かつ自分に出来る限りの慎重さをもって、聡のさまざまな場所へと口づけを落としていく。

「あっ……」

胸の一番敏感な場所への口づけに、思わず聡は声をもらしてしまった。抑える暇もない……反射。

その反射信号は背筋を伝って、将を受け入れる場所に同じような甘い刺激をもたらした。

のけぞるように体が斜めに傾いている。

聡は、行き場なく体中をさまよう、とまどいと恥じらい、愛情そして快感の混じったものを両掌に込めて、胸の上にある将のボサボサ頭をくしゃくしゃと撫でた。

すると将はいっそう、そこへの刺激を強める。

繰り返し狭い面積の皮膚に施される口づけと愛撫。

息を忘れるほどの甘い刺激に、聡は本当に呼吸を忘れた。そしてやっと苦しくなって、大きく息を吸って吐く。

息をする自由も奪われて、聡は大波にさらわれたようにもがいた。

溺れてしまいそうな聡は、必死で将の頭や、背中に手を伸ばしてしがみつく。

将は、荒くなっていく聡の息づかいと共に、話し声からは想像できない甘い声が、我慢できずにもれるのを聞き、いとおしさでいっぱいになった。

愛する聡を、自分が、悦ばせている。

それはかつて他の女に感じた攻撃的な征服感とは違った幸福感だった。

いったん、胸から顔をあげると、聡を見つめた。

やや斜めに傾けた白い体が桜色に染まっているのが、スタンドの灯りでもわかった。

髪は乱れ、ほつれ毛が頬や首筋に貼り付いて、閉じた長い睫が紅潮した頬に影を落としている。

目を閉じていた聡は、将の動きがとまったのでゆっくりと瞼を開けた。瞳がうるんでいる。

いとおしく、美しく、淫らで、可愛い聡。

「アキラ、愛してる」

将はもう一度、聡に長い口づけをして、ぎゅっと抱きしめた。

滑らかな肌同士が、吸い付くように密着する。

「将、あたしも」

唇が離れると今度は聡のほうから唇をあわせてきた。

濃厚な口づけを交わしながら、将は手をひそかに聡の最後の布の中に侵入させた。