第182話 誕生日(2)

――やっぱりダメだったか。

大悟は携帯を握った手をダラリと下げた。

水曜日。午前中にあった面接の結果が今、携帯にもたらされたのだ。

これで2件目の不採用。

たった2件ともいえるが、そもそも中卒の大悟が応募できる求人は少ない。2件でも大悟の絶望は深かった。

ため息をつくと、大悟は財布の中身を確認した……もう3000円を切っている。

土曜日にモデルのバイトでもらった1万円だが、求人誌、履歴書、交通費、昼食代などで羽が生えたように飛んでいってしまった。

また、しばらくハケンにでもいかないと、もたないな。

そう思ったやさきに、折りよく、ハケン会社から連絡があった。

「明日、菓子工場で人が足りないんだけれど、島くん、これないかな」

と頼まれる。ちょうどいいタイミングではある。

「ハイ……行きます」

と即答した大悟だが、電話を切ったとたん、再び深いため息をついた。

所詮……自分は日雇いのハケンぐらいしか仕事がないのだろうか。

ハケンも今だけで考えれば悪くはないが、今日は菓子工場、明日は倉庫でダンボール運び、その次はコンビニの弁当詰め、文房具の検品……と毎日その場その場で仕事が違う。

その場の人出不足をまかなうための人材。

つまり、将来への積み重ねのない仕事である、ということを大悟はわかっている。

できれば、少しずつでも確実に自分の能力を積み上げることができるような仕事がしたい……だけどそれすらもダメなのだろうか。

まだ、就職活動を始めてたった4日なのに世間の厳しさに大悟はうなだれていた。

そこへ、いきおいよくドアが開く音がした。制服姿の将だ。学校が終わってまっすぐ帰ってきたらしい。

「あ、大悟、いたんだ」

将はブレザーを脱ぎながらリビングのソファにいる大悟に声をかけた。

なんだか浮き足立ってみえるほど楽しげにこちらに歩いてくると、冷蔵庫をあけてミネラルウォーターを取り出す。

「俺さ、すぐ出かけるから」

「どこに」

「アキラと二人で、俺の誕生パーティだよん」

将はグラスに注いだ水を一気に飲むと、白い歯をむき出していかにも嬉しそうに笑った。

「そっか、将、今日誕生日だっけ……」

大悟はつぶやくと、「おめでとう」と寝室に入った将に言葉を投げる。

将はくぐもった声で「サンキュ」と答えた。なにやら着替えているらしい。

「車でいくの?」

大悟は着替えている将に話し掛けた。

「いや、ワイン飲むから今日は電車」

「また、泊まってくるの?」

昨日も、将は聡の部屋に泊まってきているから。

「いや、今日は、こっちに戻るよ」

答えながら着替えた将が出てきた。

洒落た細身のパンツに細身のジャケットからは黒いストライプのシャツがのぞいている。

いつものストリート系と違って、かなり高価な服だというのは、大悟にもわかった。

そんなふうな私服を着ると、本当に高校生とは思えない将である。

「じゃ、行ってくるよ」

うかない顔で見つめている大悟に将は気付かずじまいだった。

 
 

「じゃあ、改めて将の18歳の誕生日に乾杯」

「乾杯」

聡と将はシャンパンフルートを傾けた。

将の誕生日である水曜日も19時をまわっている。

二人は、初めてデートした高級フランス料理店に来ている。

あのときと違うのは、二人とも塩で汚れていないところと、個室を取っているということだ。

個室は、メインダイニングより一段落ち着いた色調に暗めの照明で、より二人の親密さが増す。

昨夜、突然聡の部屋を訪れた将は、当然のように聡の部屋に泊まっていった。

だけど、抱き合って眠っただけで、一線はあいかわらず越えていない。

土曜日の楽しみを増すかのように、ただ抱きしめあって、お互いの感触だけを確かめ合う。

そのとき、聡が提案した。

「今日が、将の誕生日だよね。もし今日バイトがないなら、二人で乾杯しない?」

将はもちろん賛成した。

聡は近所の将も気に入っている気軽なイタリア料理店を提案したのだが、将はせっかくだから、と、あの初デート以来のこの店を推した。

「高いんでしょ、あそこ。私、将におごりたいけど、払えないわ……」

と躊躇する聡に、将は

「じゃあさ、シャンパンだけおごって」

と微笑んだ。本当は全額将が払ってもいっこうにかまわない。

だけど、聡が自分を祝ってくれる気持ちが嬉しいのでそういうことにしたのだ。

聡も今日は、学校からいったん部屋に帰ってお洒落してきている。

桜色にチョコレート色のアクセントがついたワンピースは、いつも地味で固いデザインの服を着ている聡とは違う印象だ。

でもそんな甘い色使いもよく似合っている。

すでにシャンパンで、服よりも濃いピンク色に頬が染まっているのが可愛い。

将は、そんな聡を見つめた。どんなに見つめても見飽きない。

これからもいろいろな聡を見つめていたい。

将はふと、昨日、マネージャーの武藤にいわれた転校の件を思い出す。

……転校なんてとんでもない。

「何?」

聡が将の視線に気付いた。

「アキラ、ずっと、一緒にいような」

将は優しい……どこか寂しげな目で聡を見つめた。

「え、どうしたの?急に」

聡は微笑んだままだが、お洒落して食事を前にして、という状況で、そういうプライベートなセリフにドギマギしていた。

そういえば個室だったことに、さんざんときめいた後から気付く。

「卒業したらさ。結婚しようぜ」

将のほうは、すでに個室を堪能すべく、大胆な言葉を並べていく。

18になったら、と言っていたのだが、教師と教え子に戻ってしまったので、卒業したら、に延期されている。

聡はいたずらっぽく笑うと

「卒業したときも、将の気持ちが変わってなかったらね」

と答えた。冗談のつもりでいったのに、何故か聡は心にちくっと刺さるものを感じた。

小さな痛みを無理やり消すように

「あたしのほうが9歳年上だから、早くおばあちゃんになるわよ。おっぱいだって垂れちゃうし」

聡はそれを冗談にしてしまうと、シャンパンを口にした。

「8歳だろ。いーじゃん。ばあちゃん上等。だいたい女のほうが寿命長いんだからちょうどいいじゃん」

将はいったん冗談に冗談で応酬すると、

「俺の気持ち、変わるわけないじゃん。俺、聡のこと、もう2年近く好きなんだぜ」

真剣な瞳を聡に注ぎ込んだ。

「俺さ、早くアキラと夫婦……家族になりたい。もう、一人は嫌なんだ」

「将……」

「俺、絶対いい夫になる。子供ができたら優しいお父さんにだってなるよ。……聡と家庭をまず大事にしたい」

聡の心に、将の抱えていた寂しさがダイレクトに流れ込んできた。

小さい頃に実母に死なれ、父は忙しく、頼っていた義母には大事なときに見捨てられ。

聡には考えられない寂しさが将に『一人は嫌だ』と言わせているのだろう。

まだ前菜なのに、聡は胸がいっぱいになった。

「まだ、たよりないかもしれないけどサ」

少し照れたのか、将はいったん俯く。そしてもう一度、顔を上げると崩れた笑い顔を聡に見せた。

なんて笑顔をするんだろう。

聡の胸をいっぱいにしたものは、急激に体の中をこみ上げてきて、目に熱いものを溢れさせた。

「まだ1年あるわ……」

聡はあわてて、それをナプキンで拭うと、まっすぐに将に向き直った。

「将は、将の道をまず見つけて。私は、将をいつも見てるから……」

聡の濡れた、しかし強い光を放つ瞳に、将は、ゆっくりとうなづいた。

 
 

「少し、歩こうか」

「うん」

食事を思い切り堪能して店を出た二人は、賑やかな通りを歩いた。

デザートは店のサービスでろうそくが乗ったケーキだった。

大きなろうそくが1本を取り囲むように、小さなものが8本。

そこまで全部食べるとかなりのボリュームになった。

もう10時近いにもかかわらず、通りは昼間のように賑やかさである。

ワインの酔いも手伝って、二人とも夢心地だった。4月の冷たい夜風がちょうど気持ちいい。

大通りに差し掛かる。

あのとき、酔っ払った将に寄り添って座った中央分離帯を聡は懐かしく眺めた。

――あれからもう、半年以上になるんだ。

「……ね、アキラ」

「?」

将は肘を聡のほうに突き出した。

「ああ!」

やっとわかった聡だが、

「腕なんか組んでるところを誰かに見られたら大変よ」

と笑いながら将の肩を軽く叩いた。

「チェー」

学校から離れているものの、誰かがいるかもしれない。酔っていてもそれを忘れない聡が、少し憎たらしい。

「ねえ、将。なんか欲しいものある?」

聡がふいに訊いた。

通りに面した店は、まだ開いてるところもある。

どうせプレゼントされるなら、一番欲しいものがいいだろう、と聡はサプライズより実用性を重視することにした。

「だから、アキラだってば」

将はおどけて、歩きながら聡の肩に手をまわそうとする。

聡は、やめてよ、人が見てるわ、と笑いながら

「それは土曜日でしょ。そうじゃなくて、何かプレゼントしたいの、誕生日の」

聡は将を見上げた。

「えー、そんなのいいのに。今シャンパンおごってもらったし」

将は、傍らの聡を優しく見つめ返す。

「よくないよ!あたしマグカップもらったもん」

「何、ギブ&テイク?あれ、そんなにいいものじゃないよ」

「そんなんじゃなくて!」

聡は、将の袖を強く引っ張った。

「あたしね。あのマグカップ見るたんびに、あのときの嬉しさが蘇るんだ。だから、将にもそういう思い出の品みたいなのをあげたいの!」

「アキラ……」

「それに、あたし、あのマグカップすごく気に入ってるんだからね」

聡の言葉に将は、胸が熱くなった。ウォッカでも飲んだときのような熱さに、思わず顔を空に向けた。

東京の空は夜なのに、ピンクっぽい色に濁っている。星などはまるで見えない。

だけど、横に聡がいるだけで、二人で見た北海道の、山梨の、降るような星空が透けて見えるようだ。

「俺……。今すっごく、アキラを抱きたい」

将はつぶやいた。