第336話 スキャンダル(1)

内閣府では、首相をまじえて新年になって何回目かの会合が行われていた。

内閣から立案したい案件があり、その準備のために新年早々繰り返し会合が行われているのだ。

将の父である鷹枝康三官房長官も当然、そこに出席している。

限られた時間の中で、会合は打ち切るように終了し、康三はため息をつきながら立ち上がった。

まだ派閥間調整が残っているため、場所を変えて再度会合があるのだ。

廊下へ出た康三に、背後から近寄る人物があった。

外務大臣の麻野一朗である。麻野大臣は親しげに「鷹枝さん」と声をかけた。

今年の9月に行われる総裁選の最大のライバルと言われている彼だが、康三の母方の遠縁にもあたる。

何か、さっきの案件について補足したいことでもあるのか、と康三は軽く会釈をした。

康三とは別の派閥に属する麻野だが、今回の案件では敵対はしていない。

ごく近くに寄ってきた麻野は意味深な笑顔を浮かべながら

「息子さん、いろいろと華やかですな」

と声をかけた。

どうやら、マスコミ事情に詳しい麻野は、昨夜放送された、将が久しぶりに出演したバラエティを見たらしい。

ドラマの開始が近い将は、受験生とはいえ、番組宣伝のため、数本のバラエティに出ることが決まっているのだ。

「はぁ……。どうも」

麻野がどうして急にそんなことを言い出すのかわからない康三は、とりあえず社交辞令としてあいまいに返答するしかない。

麻野は、

「ちょっと……」

と言いながら、康三だけをそこにあったドアの中に誘うふうをした。

康三は、いぶかりながらも、側近を廊下に置いたまま素直に麻野のあとについた。

……政治家同士、側近にも秘密の、談合ともいえない密談はよくあることだ。さっきの案件について何か秘策があるのか。

その小会議室に入るなり……オフィシャルな場ではありえないほど、近くに寄ってきた麻野に、康三は身構える。

しかし麻野は康三の耳に口を寄せるようにして囁いた。

「歌舞伎と我々では……、世間への責任が違いますからな」

それだけ伝えると謎めいた……しかし、勝ち誇った笑顔を浮かべて「それだけです。……行きましょう」と康三をうながした。

康三が眦を見開いて、顔をあげたときには、麻野大臣はもはや後姿だった。

――知っている。

康三の背中を冷や汗が流れた。

 
 

麻野外務大臣は、知っているのだ。……息子の将の抱える秘密の1つを。

翌日の早朝、康三は事務所でソファの腕かけに頬杖をついたまま、眉根を寄せていた。

テーブルの上に、ネガがある。

一昨日に毛利が買いとったそれには、将がマンションのドアから出てくるところが写っていた。

日付は今年の元旦になっている。

そして、その続きで……同じドアから出てきている身重の聡。

画像の右下に表示された日時時刻は将が出てきた1時間あとになっている。

どうやら近くのビルの屋上から望遠レンズで狙ったらしい。

ややぼやけていたが、被写体が将であることははっきりとわかる。

「私が迂闊でした。ネガはこれだけか、念を押すべきでした」

康三の前で、毛利もまたうなだれた。

――おとつい、事務所を訪れたカメラマンは、これを1000万で買ってほしいとふっかけてきたのだ。

しかし、二人が同時に写っていないこと、画像がやや不明瞭なことを理由に、毛利はそれを現金300万に値切った。

これがもしマスコミに流出したところで、いくらでも言い訳が利く写真であることは、カメラマン自身もわかっていたのか、その金額であっさりと承知した。

しかし……カメラマンは、同じネガのコピーを麻野大臣のところにも持っていったらしい。

 

若いときに隠し子をつくったことが世間に暴露されつつも、有力役者として活躍が許されている……

麻野が歌舞伎を引き合いにだしたのは、あきらかに将が18歳にして女性を孕ませたことを揶揄しているのだ。

――ライバルに秘密を握られてしまった……。

はらはらと気を遣う毛利の前で、康三はただ苦虫を潰したような顔で、沈黙していた。

現時点であのネガは、世間にはいくらでも言い訳ができる。

他のクラスメートや家族も一緒だったなどというフィルムを捏造するのは簡単なことだ。

問題はむしろ、将が万が一東大に合格したあとであり、さらにその2ヵ月後の、聡が出産するときだ。

――やはり、軽率だったか。

康三は……東大合格と引き換えに、聡とのことを認めようとした親心を、後悔していた。

どうしたものか。

大きくため息をついた康三が、腕かけから肘をはずして、冷めたコーヒーに手を伸ばした……そのとき。

「大変です!」

と若い男性秘書が飛び込んできた。

「何だ、騒々しい。打ち合わせ中だぞ」

毛利が咎めるのも聞かず、秘書は血相を変えたまま、激しい息と一緒に声を吐く。

「息子さんが……」

毛利と康三とどちらに渡すか逡巡しつつ差し出したのは、今日発売の週刊誌らしい。

康三がそれをもぎ取るように奪い取ると、開かれたページを食い入るように読む。

そこには、大きな見出しで

『スクープ・イケメン俳優・鷹枝将、○○谷詩織と愛の一夜』

とあった。

険しい顔で文字を追っていた康三だが……一番恐れていたことに触れられていないことがわかると、投げるように週刊誌をテーブルの上に放り出した。

 
 

久しぶりに今日は学校に行ける。聡の顔を見られる。

……それが嬉しくて、ゆうべ2時まで勉強したにも関わらず、将は朝6時には目が覚めてしまった。

本来は、センター試験まで1週間あまりに迫った今ごろは、本当は体調の調整のためきちんと睡眠をとるべきなのだろう。

しかし、ドラマの収録やその他で忙しい将は、とにかくまだまだ詰め込むようにしているのだ。

早々と制服に着替えた将は、朝食を食べるべく階段を降りる。

ちなみに、家で一番早いのは康三である。

8時には国会議事堂にいる必要があるし、その前に事務所でスタッフと打ち合わせをするので、まだ暗いうちに家を出るのだ。

しかし……今朝は、すでに康三はいなかった。

「……オヤジは?」

将にとってはどうでもいいことだが、手早くスープを温めてきた純代にとりあえず訊いてみる。

「昨日はお仕事で事務所に泊まったらしいわ」

「ふうん」

コーヒーのマグカップに鼻で返事をしながら、新聞に手を延ばす。

どんなに忙しくても新聞は熟読しろという岸田助教授からの指導で、朝最低20分は新聞に費やすのがここのところの日課になっている。

新聞を手に取る前に……制服のポケットに突っ込んだ携帯がふいにけたたましく鳴った。

まだ6時30分すぎである。

携帯が鳴るのには、あまりに不自然すぎる時間だ。

将はそれを取り出すと相手の表示を見た。

『武藤さん』とある。

将が所属するプロダクションのチーフマネージャーである。

武藤がこんな早朝になんだ、スケジュール変更か……いずれにしても嬉しい連絡ではないことを予見して将は不機嫌に通話ボタンを押した。

「将? 新聞見た?」

「ハァ?」

挨拶もせずに、いきなり切り出した武藤は「落ち着いて、落ち着くのよ、将」と続ける。

その鼻息さえ聞こえてきそうな慌てっぷりに、武藤のほうこそ落ち着くべきでは、と将は少し可笑しくなる。

「……今日は、学校は休みなさい」

「ハァ?何で」

うむを言わせないいきなりの指示に、将は短く抗議する。

「学校に行くと、記者に囲まれるわ。……いい? 今日は休みなさい」

質問に的確な答えを返さないまま、武藤は純代に代わるように将に命令した。

将は理解できないまま、「武藤さんから」と携帯を純代に渡してしまうと、新聞をめくった。

ほどなく……週刊誌の広告中の見出しに、自分の名前を見つけた将は

「なんだよ、コレ」

と目を丸くした。