第52話 クリスマスの約束(1)

その夜、将は寝床の中で考えた。

すでにコンサートは3日後だが、聡は来るだろうか。

仰向けの将の目の前には、行灯の光に暗く照らし出された杉板の古風な天井が広がっている。

少し考えて、『来る』と結論付けた。

なぜなら、あのとき『これ以上進まないほうがいい』という話をしている間、聡は自分と一度も目をあわせられなかったから。

あんなことを言った聡はきっと後悔し、自分を探したに違いない。探したに決まっている。探しただろう。探していてほしい……。

もし、探してなかったら。コンサートに来なかったら。

……もし聡に見捨てられたら。

将は、太陽の軌道をはずれて暗い宇宙を迷走する惑星を思い浮かべた。陽の光の届かない、漆黒厳寒の空間。そんな心細さを想像して震えた。

いや、そんなことはありえない。

将は寝返りを打って宇宙空間をかき消した。

聡は絶対、自分のことを好きなはずだ。聡の行動を思い起こせばそうとしか思えない。

万が一――。

もし来なくても、将は学校を辞めないで済むのだから毎日逢える。毎日、顔をあわせているうちに、いつか元に戻るはず。

だから、来なくても悲嘆することはない……将は自分を無理やり納得させると、行灯を消して深く布団に入り込んだ。

でも、きっと来る。まどろみとの境界線で将はやはり希望を持った。

――3日たてば、きっと聡に逢えるはず……。

 

 

 
――よかった。将は無事だった。

聡は、土曜日の午後から床に入るまで、チケットと封筒、短いメモを何度も繰り返し見た。

将がとにかく無事でいてくれる。

たった1つの安堵だったが、その安心感は聡を緊張から解き放ち、土曜日の夜は、ひさしぶりに深く眠れた。

しかし。

一夜明けると、今度は将がどこにいるのか、どうやって暮らしているのかが気になり始めた。

もしかして、悪いことでもやっているのではないのか。

そうやって結局、聡の心を将が独占している状況は変わらなかった。

聡はもう一度メモを見た。

――3日後になれば、将に逢える。

逢えば、きっと前と同じように、将は自分を抱きしめるだろう。

その瞬間を思うと聡は、確実に来る喜悦の予感に震えた。

今までどおり、いや理性で堪えていた歯止めが利かなくなり、行き着くところまで行くかもしれない。

それでも……かまわない。今度こそ将を離したくない。

走り出す感情の前に、事実が立ちはだかる。

25日、つまり将にあう翌日に帰国する博史。ダイヤの指輪をくれた『婚約者』の博史は……。彼のことはどうするのだ。

聡は正直なところ、博史への気持ちが今自分でどうなっているのか掴めなかった。

目くらましのような将の愛情にさらされている聡に、沈静化している博史への気持ちが確認できるわけがない。

実際に博史の顔を見て、口づけを交わし、抱かれれば、博史の元に戻るのかもしれない。

そんな現実的な予想は案外あたっているかもしれない。

畢竟、自分はスキンシップに弱いだけの流されやすい女なだけかもしれない。

悪魔のような理性がはじき出した考えを聡ははっきりと否定できない。でももしそうだとしたら……なんて、さもしいんだろう。

ため息をついたとき、携帯にメールの着信音が鳴った。

大学時代の友人の美智子だった。
 
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ちゃお~元気?

聡24日(つまりイブだけど)あいてる?

彼氏帰ってこないんだったら、うちの雑誌でパーティを企画してるんだけど、来ない?

いちおう、○○とか△△も来るって。24日の19時からだよ。

じゃ、返事まってる☆

ミチコ
 
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○○や△△というのは美智子同様、大学時代の友人だ。

聡は携帯を閉じると、もう一度将からのチケットとメモを見た。

将とこれ以上進まないというのは、自分が決めた道だ。

よしんば、行ってヨリが戻ったところで、将は所詮アメリカ行きが決まっている身だ。

離れ離れになって、またつらい思いをするのは同じ事だ。

だからやはり、行けない。

――将、ごめん。

結局、自分がつらいという理由――聡はそんな自己中心な自分に軽く吐き気のような嫌悪を感じた。

聡は、パーティに出席する、と美智子に返信した。

 

 

 
24日が来た。終業式でもあるこの日は、日曜日から続いたおだやかな天気から打って変わって冷え込んだ。

将の誘いに行かない、と決意した聡だが、将のことが心を占めている現状はあいかわらずだ。

月曜日に、聡は、思い切って教頭に将のことについて聞いた。

将が失踪しているのは、学校も周知の事実である。それを受けて、将の2学期末での中退をどうするのか、ということを聞いてみたのである。

聡は、学校の理事と校長が、将の引き止め工作をやっていることをもちろん知らない。

教頭は知っていたが、康三からの正式な回答はまだだった。

なので、『そのまま2学期末で除籍になります』という答えが返ってきて聡は失望した。
 
今日、コンサートに聡が行かなかったら、観念してアメリカに行くつもりなのだろうか。

胸がおしつぶされるような痛みに聡は人知れず耐えるしかない。

 

教室で聡は、教師として初めて採点した通知表を皆に渡した。一人一人を、教卓のところまで呼んで、一言ねぎらいとはっぱの言葉を掛ける。

状況的に、呼ばれた者以外の生徒は自由にしゃべっていた。

通知表はテストと違ってそれほど悲嘆するものもいないようだ。

「センセイ、やっぱ元気ないよね」

チャミが後ろの席のカリナに言った。

「やっぱ、鷹枝くんとラブラブってホント?」

とカリナがいうと、

「ラブラブ。ちょ~ラブラブ」

と二人の間にカイトが割り込んできた。

「うっそー!マジぃ」

チャミとカリナが思わず黄色い声を出す。しぃとカイトが歯を剥き出しにして人差し指をたてる。

「で、もうやってんのかナ?」とチャミ。

「やってるやってる。ハゲシくやってる」

とカイトは下品に腰を振った。

チャミもカリナも口をあんぐり四角く開けて一瞬だまった。

そのカイトの茶髪の後ろ頭を、井口がぼこっと殴った。

「バカ。でっちあげんな」
「ってー、ホントのことだろー」

「やってない、って、いちおーセンセイは言ってたぞ」
「ちょー、井口クン、それ、信じるわけ?信じるわけ?」

カイトは井口を指差して半目に笑いを浮かべてのけぞった。

と、そこへちょうど井口が呼ばれて、中断した。井口は通知表を受け取りながら訊いた。

「センセー、将みつからんの?」

心配そうな表情だ。

聡は井口にだけ聞こえるように

「アメリカに留学するのかも」

と伝えた。

「ええー!いいなあ!」

と井口は大声を出した。そのバカ声に、一番前の席の丸刈りの兵藤ら数人が思わず顔を上げる。

「でも、それならそうと、連絡してくれてもいいのに」

と聡の制止もたいして気にせず、井口は元のボリュームで続ける。

「あ、おうちの方がそう望んでいるだけで、鷹枝くんがどこにいるのかは、わからないのよ」

と聡は小声でフォローした。

「なーんだ。……心配だね。センセ」

と聡に一言かけて席に帰る井口に、カイトやチャミ&カリナまで寄っていろいろ訊いている。

なんだかんだ言って将のことは、クラスのみんなが心配しているのだ。

 

 

 
24日の今日は教師らも16時までで業務を終了した。

ちなみに教師は26日まで登校することになっているが、荒江高校の場合、生徒の休み中の教師は自由勤務状態になる。会議やおのおのの業務さえこなせばよいことになっているのだ。

19時までには間があるから、聡はいったん帰ってパーティの支度をすることにした。

着替えて、髪を整え、化粧をやり直す。

ローテーブルの上で化粧をやり直しながら、どうしても気になる……メモとコンサートチケットが。

今になって「あきらめる」という文字が気になりだした。

やはりアメリカに行ってしまうのだろうか。

時計を見る。17時15分を指していた。

突然、玄関のチャイムが鳴った。

あわててインターフォンに駆け寄る。映っていたのは……。

「アキ!」

ドアが開くなり、博史は聡を抱きしめた。