第119話 似たもの同士

その夜、リビングでビール片手に語り合う将と大悟に遠慮して、瑞樹は寝室に早々に引き上げた。まだ、将に対して、なんとなく気まずいのだろう。

将のほうも、瑞樹が部屋に引き上げてくれてホッとした。

ちなみに夕食は、家政婦さんがシチューをつくってくれたのでそれを3人で食べた。

家政婦さんは急に将が帰ってきたので驚いたようだが、急遽夕食の量をふやしてくれた。

将と大悟は、しばらくは将の足のことや、テレビを見ながら当り障りのない話題を話していたのだが、

「な、大悟……。瑞樹のこと、マジなの?」

と将は思い切って切り出した。

「なんだよ、急に」と笑う大悟。

「いや、急なのはお前のほうだろぉ」

と将は、目をむいた。すると大悟は、ちょっと恥かしそうに下を向いたが、すぐに視線を将に戻して、

「うん。マジだよ」

と微笑んだ。それは同じ男の将なのに、思わず惚れそうになるほど、魅力的な笑顔だった。

昔の俳優を思わせるような男っぽさに溢れている。

「あ、そ」

将はその笑顔に圧倒されて、目をしばたくしかない。

しばらく、テレビのお笑い番組で芸人がリズムに乗ったテンポのよいコントを繰り出すのが響いた。

思い出せば、中学の頃、大悟は将と違って、それほど女付きあいが派手だったわけではない。

「あ、あのさ。言いにくいんだけど、瑞樹って……」

将は、大悟の身ぎれいさに、瑞樹のような女は合わない気がして、自らも加担した瑞樹の過去を口にしようとした。

すると大悟は、将がそれを言う前に

「知ってる。お前のだったんだろ」

と言って微笑んだ。将は、先手を打たれてとまどった。

視線も舌もどこに落ち着けていいか、わからなくて、とりあえず目の前の缶ビールを飲む。

空に近いそれを、天井にむけてあおっても、液体は2~3滴、将の舌の上に落ちたぎりで味がしない。

「援交をいっぱいやってたのも知ってる。こないだ中絶したのも……」

将は、缶を顔の上に乗せるように上をむいたまま、固まった。

おそるおそる、瞳だけを動かして大悟の顔を盗み見る。大悟は、さっきと同じ男っぽい笑顔で将を見ていた。

「……瑞樹が……自分で言ったの?」

「……うん。俺たち似たもの同士なんだ」

大悟は、また少しうつむくと、空になったビールの缶を握って少しだけつぶした。ペコ、という音がどことなく哀しげだった。

その缶の音に続いて、将は信じられない告白を聞くことになった。

「実は俺も、援交してたんだぜ。もちろん買うほうじゃない。……売るほうな」

大悟も援助交際という名の売春を重ねていた、というのだ。

「ウソ……だろ」

将は大悟と過ごした中学時代を思い出した。

借金まみれでめったに帰らないばかりかロクに生活費も渡さない大悟の父。

たびたび万引きや盗みを犯して生活費を稼いでいた大悟に将も加担していた。

それは、生き抜くため、というのもあったが、ワクワクするようなスリルに満ちた日々だった……。

「あれだけで、暮らせるわけないだろ」

目の前の大悟は、あは、と咳き込むように小さく笑った。将もそれだけで暮らしているとは思わなかった。

自分と同様に、なんだかんだいって親から金をせびっているのだとばかり思っていた。

「……最初の客は、カオリさんに紹介してもらったんだ」

カオリというのは、将も知っている元レディースの投資家女性だ。

将はこの『カオリさん』にとても気に入られて、一時、付き合っていた。将に株式投資を教えたのも彼女だ。

「最初は、金持ちの主婦とかが客だったんだけど、そのうち男からも犯られるようになってさ。IT長者ってやつ?」

そういう趣味の男がいるということは認識していたが、実際にそんなに身近にいたとは……。

「やつら、金はいっぱい呉れたけどよ。アレやられるとたまんないぜ。痛いし、尻から血が出るし。おかげでウ〇コが出せないから、ゲリと便秘を繰り返すようになるしヨォ……」

大悟は、淡々と、想像するのすら恐ろしいようなことを告白する。思わず無言で身震いする将に

「育ちのいいお前とは別世界だから、言えなかったんだけどさ……」

と大悟はソファーに寄りかかって顔を仰向けた。

二人が『男』になったのは中1の終わりだった。

それから、鑑別所に入れられるまでのおよそ2年間、大悟は体を売ることによって主な生計を立てていたというのだ。

将は、本当に何といって声をかけていいかわからなかった。

空になったビール缶を弄びながら、喉がどうしようもなく渇いて、声帯が張り付いたように声がでない。

立ち上がって、水なり、ビールのお代わりなり持ってこなくては、とそればかりを思う。

だけど、動作が大げさになってしまう松葉杖をとても不便だと、今実感する。

動けない将と、天井をあおぐ大悟に、沈黙がヘドロのように積もったまま時間だけが経過していく。

女性が甲高い声で不満をぶちまけるコントとそれに対する観客の笑い声がだけが部屋に響いた。

「まあ、そんな感じでさ。……だから、俺たちとっても似てるんだ」

しばらく天井を仰いでいた大悟は、顔を静かに将のほうに向けた。

「瑞樹ちゃんのこと、汚いとか、思わないぜ。あのコが悪いんじゃないんだ」

まっすぐな瞳だ。真っ黒なのに、澄んでいるような印象の瞳。

「ただ、生んだ親がマズかっただけなんだ……」

将は、再び罪の意識が腹の底でむくむくと増殖し、それが心をちくちくと攻め始めるのを感じていた。

恵まれない家庭に生まれたゆえに、家を飛び出すしかなかった瑞樹の体を発散対象にしたまぎれもない事実。

しかし、大悟は、罪の意識にさいなまれる将にまったく気付かないのか、

「お前とキョーダイ?になっちまったけどサ」

といたずらっぽい顔になって、軽く将の肩を叩いた。

「そのうち目途がついたらさ、二人で、出て行くから。そんでやり直すんだ」

希望を口にする大悟は、すがすがしい顔だった。

その顔に癒されて将は、かろうじて、頑張れよというエールを発することができた。

そして、空になったビールを、ようやくどうにかしようと

「ビールお代わりいらない?」と気を利かせた。

このビールはもともと将がここに買っておいたストックだ。

もう1本飲みたいのを、大悟は遠慮しているかもしれない、と思い至ったのだ。

案の定、大悟は「いい?」と言いながら立ち上がると将の分と2本持ってきた。

冷えた缶ビールの感触が、まずは手に心地よい。

「だけどさ……」

大悟は缶のリップに指をかけると、少し浮かない顔になった。

「将、おまえさ、ヤクとかやってないだろ」

「やるわけねーだろ」

将は、なんでいきなり大悟がそんなことを言うのかわからなかった。

ケンカに女、盗み、恐喝、偽造など、かなりの非行に手を染めたといえる将だが、やらないと決めていたのが『薬=ドラッグ』だった。

やらないと決めていたというより、好奇心で試した合法(脱法)ドラッグの類が、ことごとく体にあわなかったので敬遠していたといったほうが正しい。

それは大悟も知っていることだ。

「そうだよな。そうに決まってるよな」

大悟は頷いた。

「ていうのがさ。瑞樹ちゃんの腕にさ……」

大悟は瑞樹の腕に複数の注射痕を見つけてしまったというのだ。

将は、大悟の告白のときほどではないが、再び驚いた。

一緒にいる時、瑞樹が覚醒剤をやっているなんて、見たこともなかった。

そのとき、将の頭に濃いラテン顔が浮かんだ。前原茂樹。

……前原かもしれない。覚醒剤所持で捕まった彼のもとに身を寄せていた瑞樹だ。将は、そのままを大悟に伝えた。

「そっかー。まあ、オレのほうで、絶対やめさせるように、気をつけるけどさ」

大悟は、ため息をつくと、冷えたビールをぐいとあおった。

「ところで、将、お前いったいどこに泊まってんの? 瑞樹ちゃんに気を遣ってるんだろうけど、俺も入れて3人だったら問題ないだろ? 帰ってくれば」

大悟は、人のいい笑顔で、将に同居しようと誘った。まったくわだかまりなどない顔だ。

「いや、邪魔だろ」

将も、ようやく笑い顔を出すことができた。

「そんなことないって。部屋もあるんだし、戻ってきたらいいのに。なんてオレが言うのも変だけどな。お前の部屋なんだし」

と大悟は頭を掻いて、快活に笑った。その笑顔につられてようやく、将は自分のことを話す事ができた。

「ん……実は、アキラと棲んでる、んだ」

「ああー、あの萩のセンセイと!……そうか。よかった、よかったな」

大悟は自分のことのように喜んで将の肩をばんばん叩いた。その振動に将はやっと心から安心できた。

この週末、聡が出張で留守なので、今日だけ戻ってきた旨を大悟に説明する。

そのとき、自分が今日一日、聡にメールも送ってないことに気付いて、携帯を取り出した。

たぶん気付かなかっただけで着信があるはずだ……そう思った将だが、メールは空だった。

とりあえず、

『聡、出張はどう? 俺のほうは部屋に戻ったら、大悟がこっちに来てた。瑞樹と付き合っているらしい。落ち着いたら電話くれ』

と打っておいた。

そのまま、遅くまで大悟とまったりと酒を飲みながら語らっていたので、気付かなかったが……。

その日も翌日も、聡からはメールも電話も来なかった。

その異変に将が気付くのは、日曜日も夕方になってだった。