第134話 酔っぱらい

「じゃ、あらためてお帰り、アキラ」
「ただいまー、将」

「かんぱーい」

二人は生ビールで乾杯した。居酒屋の個室にいる。もう10時近いのであいてるのは居酒屋ぐらいだったのだ。

空腹が切実になった将は、すっかり機嫌をなおしてカラアゲや串焼き、モツ鍋、焼きそばなどをどんどん頼んだ。

盛大に食べる将を聡はじっと見つめた。

「何?」

将が、聡の視線に気付いて、そのまま視線を返してくる。

「ううん。なんでもない」

聡は、串焼きを取り皿に取るふりをしながら、顔を赤らめた。

こうやってきちんと服を着て、学校の書類なんかを持っていると、さっきの行為がすごく恥かしくなる。

恥かしいだけではなく、17歳の将を相手に淫らなことに耽ったことへ後ろめたさまで芽生えてくる。

愛の行為、だけど、淫らな行為。

そしてその淫らな快感に聡は確かに酔っていたのだ……。

その罪の意識を軽くすべく、将は年上の教師らしい質問を口にした。

「将、ちゃんと学校いってる?」

「ウン」

将は将で、返事をしつつ、牛さがりの串焼きを歯でグイッと抜くのに専念するふりをした。

……本当は、今日、将は学校をさぼってしまったのだ。

今朝、校長室の窓を離れた将は、教室に戻らずに校門を出た。

まだ早い時間で、屈強教師も立ってないのも幸いと、そのままタクシーを拾い、聡のコーポへ来てしまったのだ。

幸いコーポのまわりに怪しい……たとえば毛利の監視らしき人間とか……人影はなく、将は合鍵で中に入ると、月曜日に将が起きたままになっているベッドにごろり、と横になった。

あのヤクザ教師・京極の『厳しすぎる』指導は、理事の命令で、荒江高校からわざと中退者を出すためのものだった。

そして、中退者をあわよくば、山梨に新設している新しい予備校に取り込もうという策略。

そういわれてみれば、あの強圧的な態度も納得できる。

――結局、金儲けかよ。

腹立たしい一方で、何も知らずに山梨の山の中で不自由な思いをして働いている聡が可哀想になった……。

 

「新しい担任の先生はどう? 携帯を取り上げられたってメールに書いてたけど」

聡はビールのジョッキを片手に頬杖をついて将の顔をのぞいた。

将の動きが一瞬止まった。

聡には……ほとんど何も教えていない。

授業中に携帯を取り上げられるようになったので昼はメールを送れない、とだけ伝えている。

あとは、新しい担任がヤクザ同然だということも、その授業の内容も、心配させるだろうから将は一切メールに書かなかった。

もちろん、それらに隠れた陰謀は将も今日知ったばかりだから、教えようもない。

「みんな……井口も寿司屋もチャミもカリナも星野女史も、アキラがいいって言ってたよ」

将は手を伸ばして焼きそばを皿に取ると、ソース味のそれに集中するふりをしながら、答える。

「そう」

聡は一瞬嬉しそうな返事をした。

あの陰謀を知った将は、もう学校に行く気になれない。だけどそれでは、アイツの思う壺だ……。

聡は「そうだ、」と目を見開いて、いたずらっぽく顔を上げた。

「昼メールくれたってことは、将、今日学校さぼったのね!」

「ああ、今日は……病院があったから」

とっさの質問だったけど、将はうまく誤魔化せた。

ついでに将は、話題をそらすために今日、ギプスをカットして半ギプスにした件を面白おかしく話した。

「あれってさぁ、今までのギプスを、足にくっつけたまま本当に切るんだぜー。ちょっと怖かったしー」

ギプスを縦にカットして足の後ろ半分を残したものは、風呂に入るときなど、簡単に取り外しできる。

普段は包帯で固定するのだ。

「松葉杖じゃなくなったけど、片手のステッキもバランスがとれないんだよねー。……あ、そうだ山口サンがアキラによろしくって言ってたよ」

「山口さんかー」

修学旅行に同行した看護士。聡はその名前に、ニセコの雪景色を連想した。

まっ白なガスと吹雪の中、遭難しかけたこと。

将と抱き合って眠った避難小屋。星降る青い夜のキス。ラベンダー色のパウダースノーの斜面。

まだようやく1ヶ月しか経たないのに、ずいぶん昔のように感じる。

 
 

個室だったというのもあり、また久しぶりに東京に帰ってきたという開放感、さらにさっきの行為に対する恥かしさと後ろめたさから、聡は少し飲みすぎてしまった。

気がつくと、なんだか、踏みしめる足元がフワフワして、意味もなくとても楽しくなっていた。

――酔ってる。かんぺきに。

酔いを自覚するほど飲むのは、本当に久しぶりだ。

足元をふらつかせながら、夜道をふわふわと歩く聡を将が心配する。

「アキラー、大丈夫かよー」

居酒屋は聡のコーポから歩いて10分足らずのところにあるので、二人は歩いて帰途についていた。

「ふふっ。ぜーんぜん大丈夫っ!」

「もー、まったくぅ」

まだステッキが必要な足のくせに、将は聡の肩を抱いて支えようとした。

「そんなことしたら、足に悪いでしょ!」

聡は将をふりほどくと、スキップを始める。だけどそのラインはおもいっきり波線になっている。

「危ないぞー!」

「へーき、へーき」

といっているそばから「キャー!」という声。何かにつまづいたのか、聡は道に倒れこんだ。

「ほらー」

将は聡にステッキで出来る限りの早足で駆け寄ると、手を差し伸べた。

「将……。ダッコ」

聡はとろんとした目で、将を見上げた。

「しょーがないなあ」

将は聡を助け起こすと、その体を抱きしめた。酒に酔っているせいかいつもより熱い。

聡のほうも将にひしっとしがみついてくる。

「そんなに酔っちゃって、続きできんのかよ」

「……」

将は聡を抱きしめると、背中を優しくさすった。

「……続きって、セックスのぉ?」

「バカ、はっきり言うなよ、こんなところで」

12時近いとはいえ、金曜日だ。歩道には人通りがある。

「……セックス、なんかしないも~ん」

聡は上半身を離すと、紅い顔で将をはすに見上げた。

「ハァ?」

将は、聡のいたずらっぽい、かつ色っぽい酔眼に、心底惑った。

「だってえ、将、まだ17でしょ。インコーになっちゃうじゃーん」

そういうと聡は将の手からするりと離れて、

「うふふ、うふふ」

とまたスキップを始めた。

「……しっ、信じられねえ、二重人格……。おいっ、アキラ!」

「じゅうはちになるまで、だめだ、もーん」

聡は振り返ると、将にあっかんべーと舌を思いっきり出した。

そして再びよろよろとスキップを始めて、大通りからコーポへ続く静かな通りへと先に曲がった。

「こら、アキラ!待てよ」

将はステッキをつくのももどかしく聡を追った。

よろよろの聡はすぐに捕まった。

「つかまえた。コラ、アキラ。いったいどういうつもりなんだよ」

ケタケタと笑う聡の体をぐいっと抱き寄せ、唇をあてがって笑いを止める。

息がかなり酒臭い。それにかまわず、将は深いキスに進む。

「ん……」

聡はあっさりと将を受け入れる。腕の中で聡の力がだんだん抜けていくのがわかる。

「……さんざんその気にさせて。『おあずけ』はないだろ?アキラ」

唇を離した聡は、こころもち目を伏せてぼーっとしている。

そのとき、二人を強烈な光が殴るように照らし出した。あまりに急激な、圧力さえ感じるような眩しさ。

将はその光源を探ろうとしたが、しばらく目がくらんで何も見えない。

やっと目が慣れた将は、それがベンツのヘッドライトだということに気付いた。