第236話 夜の雨に包まれて

ゴミ袋に入っていたそれらは、目を背けたくなるようなものばかりだった。

中にはかつて、将が遊びまくっていた頃を思い出すものもあったが、今の将にはただ胸糞が悪くなるばかりだった。

しかし、目当てのもの……覚醒剤……はその中にはなかった。

それにしても、これらがゴミ袋に入っていたとなると、捨てるつもりだったのだろうか。

将はさらに、クロゼットに入っている服のポケットをすべてあさった。

トランクスや靴下が入っている引き出しもあけてみた。

万年床をあげてみたし、シーツもはがしてみた。

瑞樹のボストンバッグも全部あけてみた。

しかし、ない。

将はため息をついて、床に座り込んだ。

今ごろになって疲れがどっと背中にのしかかった。

静かになると、かすかに外の雨音が聞こえる。

将は重い腰をあげると、自分の部屋に移り、ベッドに寝転んだ。

体は疲れているが、頭は何か、気晴らしの娯楽を求めている。

将は、携帯を取り出すと、動画サイトを開いてみた。

「あ」

携帯の画面には四之宮がアップで映っていた。あの歌を歌っている。

どうやらこの春始まった音楽番組からの動画らしい。

四之宮はこの5人組グループのメインボーカルのようだった。

将が好きだといったパートも、四之宮が歌っている。

「なんだよ。歌ってんじゃン」

将は、小さな画面に向かって独り呟いた。

四之宮によるそのパートはいっそうせつなくて、さっきラジオで聴いたものよりずっといいような気がした。

しかし、コメント欄でわかったことだが、もともとこのグループは6人だったらしい。

メンバーの一人が飲酒喫煙で謹慎をくらったため、一時的に5人で活動しているということだった。

そして、どうやら……将の気に入ったソロパートを担当していたのが、くだんの飲酒喫煙のやつで、

メインボーカルの四之宮は、その部分も一時的に、そいつのかわりに歌っているのだ、ということがわかった。

――そうだ。

将は思いついて画面の隅の時計を見た。まだ9時になったばかりだ。

車のキーを持って立ち上がる。

 
 

将は、久しぶりに聡のコーポの前に車を停めた。

聡の部屋の窓からはカーテンを透かした光が漏れている。

懐かしい彼女は、あの青い光の中にいるのだろう。

将はハンドルに肘を乗せて、フロントガラスから、聡の窓を見上げた。

ワイパーが定期的に集める小さな雨粒は、将の涙のようにガラスの上を滑っていく。

将は、今日スタジオで四之宮にもらったCDを紙袋に入れた。

そして簡単にメッセージを書く。聡の部屋のポストにそっと投函しておくつもりだった。

=====

今日、四之宮さんにもらった。

聡の好きな○○さんが作詞作曲してるから、やる。 

=====

宛名は前だったら『聡へ』と書くところだが、一時的に離れている今、その呼び方は似つかわしくない気がした。

かといって『先生』『アキラ先生』『古城先生』はよそよそしすぎる。

結局宛名は書かなかった。内容から聡にということはわかるだろうからだ。

将は、思い切って車のドアをあけた。

ぽつぽつと降る雨からCDの袋を守るように、下を向いて一目散に聡のポストへと走ろうとしたとき。

ちょうど階段から降りてきた住人と歩道の上でぶつかりそうになった。

……聡だった。

二人は、濡れたアスファルトの上で立ち尽くした。

そんな二人に関係なく、暗い夜空から雨は、水銀灯に白く染まりながら落ちてくる。

「しょ……鷹枝くん。どうしたの?」

将は、あまりにも突然に現れた聡に、何を話していいかわからなかった。

水銀灯と蛍光灯の素っ気無い光に照らされながらも、懐かしい聡は聡だった。

コンビニにでもいこうとしていたのか、Tシャツにバミューダパンツ、つっかけ、手には小銭入れという軽装で、

髪はポニーテール、口紅だけつけた顔の中で、真ん丸くなった瞳に将が映っている。

「そっちこそ、こんな時間にどこいくんだよ」

抱きしめたい。それを抑えているから、つい咎める調子になってしまう。

「……ちょっと、コンビニ。雨降ってるね」

聡の視線は、将の顔を越えて、空を仰いだ。

そのとき、ちょうど雨脚が一時的に強くなったのか、ぼたぼたぼたっと大きな雨粒が空から二人をめがけて落っこちてきた。

「濡れちゃう」

聡はふいに将の腕を引っ張った。温かい手が将の腕を掴んでいる。

将は、胸が痛いほどに打ちはじめるのを感じた。

階段下のコーポの郵便受けのところまで、将を引っ張りこんで聡はもう一度訊いた。

「どうした……」

『の』まで言い終える前に、聡の体は将の体温にすっぽりと包まれていた。

将は耐えられずに、聡を抱きしめていたのだ。

持っていたCDの袋が、コンクリートの床に落ちる。

「アキラ……!」

将は狂おしいほどに、聡を抱きしめた。

雨はさっきとは段違いに激しくアスファルトを打ち始めた。

高いしぶきで夜の街が白っぽくけぶるほどに……それは将の温かい体温とは対照的に聡の半袖の腕をひんやりと冷やした。

聡は雨の匂いが混じった干草の香りに倒れそうだった。

意識を保つために薄目をあけて、滝のように落ちる雨だれを、将の肩越しにただ見つめる。

 

雨は一時的に強まっただけのようだ。

5分ほどで、もとのしょぼしょぼとした雨に戻ってしまった。

逆らえない激情もようやくおさまり、将の腕は聡から離れた。

「ごめん」

将は、ほうけたような聡の顔から視線を下に落とすと、コンクリートの上のCDを拾った。

「これ……。アキラの好きな○○さんが作った曲なんだって。知ってた?」

聡は黙って首を横にふった。

流行とか芸能関係にうとい聡はたぶん知らないだろう、という将のヨミはあたった。

再び将の目に映った聡は……とまどった瞳はうるんで、蛍光灯の青っぽい光の中でも頬と唇がばら色に紅潮しているのがわかった。

そんな顔を見ると、いとおしくて、また抱きしめたくなってしまう。

それを抑えて、将はCDを差し出した。

「……いいの?」

聡はそれを受け取りながら将の顔を見上げた。

「貸して、あげる」

単に『あげる』というつもりだった将はとっさに、言い換えた。

返すのは、二人が堂々と会えるようになってからでいい――。

将は、CDにそんな気持ちを込めたのだ。

聡も将の隠された意図を理解したのか、

「ありがとう。聴いてみる」

と返事をした。

二人は、再び黙って見つめあった。

本当はキスしたい。もう一度抱き合いたい。……同じ想いを抱えた二人を、生温かい風がなぶっていった。もう一雨来そうだ。

「コンビニに行くなら、傘持ってったほうがいい」

「……うん」

「じゃあ」

将は、聡に背を向けようとした。磁石から引き剥がすように、意志と力が要った。

「将」

聡の声に、将はバネのように、すぐに元の……聡が見える向きに戻ってしまった。

「明日は、学校くるの?」

「うん。たぶん」

「そう」

聡はそれだけのために将を呼びとめたのではない。

本当は星野みな子とのことを訊きたかった。

だけど……さっきの抱擁がすべての答えではないか、と聡は思いなおしたのだった。

将が名残惜しげにミニに乗り込んだとき、重苦しい空から、再び大きな雨粒が落ちてきた。

 
 

滝のような雨が降りしきる中、再び『おうち』に帰ってきた将は、玄関を開ける前に直感した。

――大悟は帰ってきている。

なぜかわからないが、そう感じた将は、そっと、なるべく音をたてないように、鍵をあける。

案の定、リビングから灯りとTVの音が漏れていた。

リビングと廊下を隔てているドアまで忍び足で来ると、将はそれを勢いよくあけた。

ソファにいた大悟は顔をあげた。緊縛した左上腕。右手には注射器を持っている。

テーブルの上には、破いたセロファン、薬を溶いたらしい容器。

「……何やってんだ!」

将は鋭い声をあげた。