第317話 まばゆい朝(1)

瞼から明るい光が透けて、聡は目を覚ました。

目の前には将の顎がある。将は半ば口をあけて眠ったまま、なおもしっかりと聡を抱きしめている。

聡は、温かい将の腕の中から、あたりを見回した。

杉板天井に、唐長の襖の和室には、たしかに朝が訪れていた。

しかし、聡が知っている朝はこんなに眩しくない。

雪見障子からは、それ自体が照明器具になったかのような真っ白な光が透けていた。

聡は、自分を抱きしめる将の腕を、そっとはずすとそろりと起き上がった。

将は起きなかった。睡眠をろくにとれないまま、なれない雪道をずっと運転してきた上に、昨夜も遅くまで勉強していた将。疲れているのだろう。

聡は、将の肩口に布団をかけなおしてやると、立ち上がって雪見障子をずらした。

とたんに。圧力を感じるほどのまぶしさに聡は目を細める。

そして次に、その眩しい景色に見入った。

クリスマスの今朝、関東地方に大雪をもたらした低気圧は去り、ようやく青空が戻ってきたらしい。

朝日を浴びた庭は、これ以上ないほど……雪の粒の1つ1つが反射しているような、まばゆい白に覆われていた。

聡は、浴衣一枚の肌寒さを忘れて、障子のそばで雪に輝く庭に見入った。

 

「ん……、あきら?」

そのときようやく将が目を覚ましたらしい。

目をこすりこすり、聡を探して……やっと障子の傍に立っている聡を見つけた。

「おはよう、将」

「アキラ……何やってんの?」

起き上がった将は、聡と同じように浴衣姿だが、その前はかなりはだけている。

「すごいいい天気だよ。雪がすごく眩しかった」

聡は雪見障子を元通りに上げると、将のそばに戻った。

「そう。ホワイトクリスマスだね」

将は布団の上のまま、寄り添ってきた聡をそっと抱きしめた。そのまま二人、朝のキスを交わす。

「……で、昨日は、何時まで勉強したの?」

「2時すぎでダウンした」

将は笑った。実は、昨夜も将は聡を先に寝かせると、自分は一人起きて勉強を始めたのだ。

聡は、英語だったら付き合おうかと申し出たのだが、お腹の子によくないから早く寝ろと無理やり寝かされたのだ。

浴衣に綿入れを着て、文机で勉強をはじめる将を、聡は布団の中からしばらく見守っていたが、妊娠中の眠気は逆らいがたい。いつしか寝入ってしまっていた。

並べて敷いてある布団ではなく、聡の布団に将が入ってきたことはなんとなく覚えている。

でも目覚めたのは一瞬で、将に抱きしめられた聡はすぐに甘い眠りへと引き戻されていった。

「でさ。気付いてくれた?クリスマスプレゼント?」

「え?」

にんまりと微笑んでいた将は、わざとらしく

「ひでえな。枕もとを見てよ」

と口を尖らせる。

聡はあわてて、枕のあたりを見回した。枕の上の畳に、小さな紙袋がおいてある。

「これ、プレゼント?将からの」

将はさも嬉しそうに口角をあげた。得意な顔に……何かをしくんでいるいたずらっぽい顔がまじっている。

「まあ、あけてみて」

何だろ、とつぶやきながら聡は光沢のある紙袋をあけた。

中には……薄紙に包まれて、小さな赤ちゃんの靴下が入っていた。

「かわいい……」

ほわほわの毛糸で編まれた、ほんのり温かみを帯びたクリーム色の靴下には毛糸のボンボンがついていた。

お腹の赤ちゃんが男でも女でも身につけて違和感のない色だ。

「将、ありがとう。すごく嬉しい」

聡は、生まれてきた赤ちゃんがそれを身につけるところを想像して頬を紅潮させた。

「それは、陽(ひなた)へ、俺からのプレゼントその1。まだお礼は早いよ」

将はますます得意げな顔になると、

「靴下の中、見てみて」

と促した。

「靴下の中?」

聡はクリーム色の小さな靴下を手にとった。それは聡の掌におさまるサイズだ。

柔らかい毛糸の生地の靴下を逆さまにすると、小さなリングが出てきた。

大人の指には入らない……ベビーリング。

「……すごい。これダイヤだよね」

聡は、小さなリングを掌に乗せてじっくりと眺めた。

ゴールドの小さな輪にはまったこれまた小さなダイヤは、雪見障子からの眩しい雪明りを反射してキラリと輝いた。

将は嬉しげにうなづくと、

「ひなたの予定日、5月だからエメラルドでもいいかなと思ったんだけど、万が一出産がずれることもあるかな、と思って。無難なダイヤにしといたんだ」

なぜダイヤにしたかを説明した。

「いいでしょ。クリスマスプレゼントといえば、靴下の中じゃん」

将は自らのアイデアに得意になるあまり、白い歯を剥き出しにして笑っている。

「……でリングの中にはいちおうメッセージも彫りこんであるんだぜ」

そういわれて聡は、その直径1センチにも満たないリングの内側をのぞいた。

そこにはフランス語で

『生まれてくる君へ、愛を込めて。父』

というメッセージが細かく彫りこんであった。

聡は胸がいっぱいになった。胸から溢れたものが涙腺を圧迫し……朝から涙が溜まってしまった。

「ありがとう、将……」

「だから、まだ早いって。もう片方の靴下も見てよ」

将はなおも、聡をうながす。

聡は涙を瞬きで堪え、鼻を啜りあげながら、もう片方の靴下を掌の上でさかさまにした。

それは、重みでベビーリングより、たやすく手の上に落ちて来た。

落ちたとたん、聡の手の上で燦然と輝くようだった。

「これ……」

「婚約指輪。これがアキラへのクリスマスプレゼント」

桜色に輝くピンクゴールドに、今朝の雪明りを映して輝くダイヤの指輪は、聡の思考を奪うほどの美しさだった。

さっき窓辺から眺めた雪の粒のきらめきを集めたように眩しく、そして無垢に輝き続けていた。

将は、聡の掌の上で輝く指輪を見て、プラチナでなくこの色にしたことは正解だと嬉しくなった。

「将……」

言葉を失った聡の掌から、将はその指輪を取り上げると、聡の手を取った。

細くて華奢な……シクラメンの白い花を思わせる指。将はその薬指に、ダイヤのリングをゆっくり填めていった。

リングは聡の薬指の根元で止まった。調べたわけでもないのに、サイズもぴったりだった。

「メリークリスマス。アキラ」

微笑む将の浴衣の胸元がはだけて、聡が愛する小さな黒子が見えている。

聡は、息と涙と身体を流れる血の……すべてが喉元に込み上げてきて……思わずその黒子に向かって身を投げ出した。

雪が音さえも吸い込んだような、静かな朝の中、聡を抱きしめた将は幸せを噛み締めていた。