第228話 制作発表

オフの3日間、将はついに聡と一言も言葉を交わさなかった。

異変に気付いた井口は、聡の姿を見るたびに将を心配そうに振り返ったが、将は平然と一生徒になりきっていた。

3日目の放課後、教室から出て行った聡を見て、とうとう井口が口を出す。

「お前さ、アキラ先生、やめたの?」

中学から一緒の井口に嘘を付くのは気がひけた将は、それに返事をせずに

「ホラ、お前、バスケの練習だろ」

と促しながら、井口を置いて歩き出した。

「鷹枝くん!」

そのとき、星野みな子が将のほうに、机の間を縫って近寄ってきた。

女子は早々と更衣室に移動したらしく、教室に残っているのは彼女一人だ。

そうなるのを待って将に話し掛けたのだろう。

「あ、明日からまた学校休むんでしょ……。次の登校はいつ?コ、コピーしないとだから」

みな子は言い訳がましく、あくまでもコピーのためだ、と最後に付け加えた。

「んっと、武藤さんに聞かないとわかんないな……わかったらメールするから、星野サンのメアド教えといてよ」

「えっ」

みな子は思わず、眼鏡の奥の瞳を見開いた。

将から、メアドを訊かれた。

一瞬、時が止まるほどの大事件だった。

それを『用心』と解釈した将は

「個人情報の悪用なんかしないからさぁ」

と冗談めかして付け加える。

それでもみな子は立ちすくんだままだ。

将はポケットから自分の携帯を取り出した。

「じゃあ、電番教えてよ。ショートメッセージ送れるでしょ」

みな子は、まだ現実感がないまま、自分の携帯の番号を口にした。

将はそれを自分の携帯に打っている。

自分の番号が将の携帯にインプットされている。みな子はただ呆然と将の手元を見ていた。

1秒後には、聞き慣れた自分の携帯の着メロが鳴ってみな子はハッとした。

あわてて携帯を取り出すと、将の番号が表示されている。

――これが……鷹枝くんの番号。

みな子は、騒がしく鳴る携帯を止めるのも忘れて見入った。

「星野さんの着メロ、『ウルウル滞在日記』なんだ~」

将は嬉しそうに目を見張った。

みな子は我に返った。

将が『ウルウル……』の仕事でモロッコに行ったというから、ついそれにしてしまっていたのだ。

「将、ウルウル出るんだろぉ」

井口が二人の間に割って入ってくる。

みな子から見ると口をきくのもちょっと恐いたぐいの男子だったが、ボイコットをきっかけに少しだけ慣れた。

今日も黒髪になったくせ毛を頭の上のほうでツインテールにした珍妙な髪型だ。

「そうなんだー。知らなかった」

とみな子は答えながら、何気ないふりをしながら携帯を仕舞った。

本当は……将が初出演した、女弁護士もののドラマもしっかりと見てしまっている。

「放送日決まったら教えてね。……じゃ」

さも、社交辞令のようにそっけなく言い添えて、みな子は早足でその場を去ろうとした。

「星野サン、練習は?」

「今日は予備校なの」

「ふーん。じゃあ校門まで一緒に帰ろうよ」

みな子は足をとめて佇んだ。時が再び止まった。

 
 

「オハヨーございます」

翌日、将は朝10時には事務所に顔を出した。

「あ、SHOくん、おはよー!」

「モロッコ、どうだった?」

「お土産美味しかったよ!」

事務所中の人間が何かと声をかけてくる中で、武藤が満面の笑みで近づいてきた。

「将、見て」

とパソコンの画面の前に将を引っ張ってくる。

そこには、事務所に所属するタレントのHPへのアクセス数が表示されている。

事務所のスタッフしかアクセスできないページだ。

「男性中、堂々の5位よ」

低い声ながら嬉しそうな武藤は、画面をのぞきこむ将の肩をポンポンと叩いた。

「SHOくん、カッコよかったですもん」

隣の席の若い女スタッフも首を伸ばして声をかける。

「なんで……?」

大した活動もしていないのに。素人として載ったあのファッション誌の影響だろうか?将は素直に疑問を口にした。

「奄美さんのドラマにゲスト出演したの忘れたの?」

「あ、そっか」

それは将が海外ロケの最中にオンエアされていた。

「アップが多くてビックリしたわ。もう、インタビューの申し込みもチラホラ来てるのよ。

明日、『ばくせん2』の制作発表があるから、そのあとはどんどん引き受けるわよ」

クールな武藤の顔だが、今日は嬉しさからか、その印象はずっと柔らかかった。

 
 

翌日、正午からある『ばくせん2』の制作発表にあわせて、将は武藤と某ホテルへやってきた。

7月開始のドラマの制作発表にしては少し早めなのは、爆発的な人気だった前作の第2弾ということで注目されているからだろう。

「仲田雪絵に会えるの?」

タクシーの中、将はウキウキと武藤に訊いた。

前作から引き続き主役の女教師役を演じる人気女優だ。

「当然でしょ。共演者ですもん。共演者なんだから、毅然とね」

武藤の横顔はあくまでもクールだ。

ホテルに着くなり、衣装を手渡される。

制作発表は、生徒の衣装を身につけて行われるのだ。

将は控え室に案内されて、着替えとヘアメイクを施される。

そこには、何人もの生徒役が同じように着替えとヘアメイクを施されていた。

どうやら仲田雪絵が担当するクラスの悪ガキ全員が今日はせいぞろいするらしい。

リーゼントや、虎刈り、アフロヘアにモヒカンなどカラフルで珍妙な髪型にされている彼らは皆、将と同じぐらいの年頃に見える。

しかし、井口らと違って、悪そうな姿に似合わず、彼らは皆礼儀正しいのだった。

30分後、武藤の前に現れた将は、ガクランを身につけて、明るい茶髪をツンツンに立たせた悪ガキ高校生になっていた。

『仲田チャン』演じる教師は、さぞ苦労しそうだ、と見上げた武藤はクスッと笑った。

「俺、ガクランって初めて。ちょっと嬉しいかも」

将もちょっと嬉しそうだ。

「将、ちょっとこっち睨みつけてみて」

「……コラァ」

と役になりきって、武藤を睨みつける。

眉は左右非対称に寄っているし、舌は丸まっていて完璧だ。

「……ぴったり。将、地でやってるでしょ」

「まっさかぁん。ちょっとションベン」

将はすぐに笑顔に戻ると、武藤に背中を向けた。

しかしトイレへと歩く後姿は、バッシュの踵を踏みつけた独特のガニ股だ。

誰にもまだ演技指導をされたわけでもない。

衣装を身につけただけで、記憶の中にある、そういう姿の悪ガキの歩き方を知らずにトレースしてしまっているのだ。武藤は感心した。

 
 

手を洗った将はペーパータオルが切れているのに気付いた。

衣装に着替えた将は、ハンカチを持ってくるのを忘れたのだ。

――しまった。

まさか、手に残った水気を衣装になすりつけるわけにはいかないだろう。

思わずあたりを見回した将は、自分がいる洗面台の端に、同じようなガクランを身に付けた青年がハンカチで手を拭いているのを見つけた。

やや長めに垂らした濃いめの金髪で顔は隠れて見えないが、おそらく共演者だろう。

将は迷わず

「ね、ハンカチ貸してくんない?」

と声をかけた。

金髪の青年はこちらを振り返った。

ハッとするほどの美青年だった。

背は将よりかなり低いが、色白の肌に細めに調えた眉毛が、細面の顔に似合っている。

女のように長い睫の庇を持った切れ長の目の中で、冴え冴えとした瞳がこちらにゆっくりと動いた。

青年は将を一瞥すると、無言でハンカチを差し出した。

ちゃんと乾いた方に折り返してある。

「サンキュー」

将は手を拭わせてもらうと、それを畳みなおして返した。

そのとき、後ろの個室から、またガクラン姿の若者が出てきた。

髪は黒い短髪だが、ガクランの下に赤い派手なTシャツを着ている。

彼は将にハンカチを貸してくれた金髪の青年を見るなり、背筋を伸ばした。

「わっ、四之宮さん!お疲れ様です!」

しかし『四之宮』と呼ばれた金髪の美青年は、それに答えもせずに静かにそこを立ち去った。

「うわー、四之宮さん、怒ってないかなあ」

赤シャツの若者は、居合わせた将に言うともなく独り言を呟きながら、手を洗った。

鏡には、眉尻が少し下がった人のよさそうな顔が映っている。

「え、誰あれ?」

将は、さっきの美青年のことを知っているらしいその若者に、訊いてみた。

「KATZEの四之宮さんでしょ。知らないの?」

赤シャツはウソだろ、という顔で将を振り返った。

「知らない」

将は素直に答えた。

言われてみれば、たしかにどこかで見たような顔かもしれないが、そんなアイドルグループがいたことすらわからなかった。

「……ふーん。あ、僕、『ばくせん』で共演する大野啓介っていいます。よろしく」

赤シャツは気を取り直したように、自己紹介をした。

目と眉毛の間が、やや離れているおかげで、いつもなごんでいるように見える顔だ。

笑い顔になるとますます眉尻がさがり、人がよさそうになる。

「僕は……」

「SHOくんでしょ」

自己紹介する前から、彼は将を知っていた。

え、という顔を隠せない将に

「○○に出てたから」

と将が『一般人』扱いながら1Pで取り上げられた雑誌の名前を彼は出した。

「知ってる?メインの5人の中で、本当に10代なのSHOくんと僕だけなんだよ」

と啓介は親しげに付け加えた。

「へえ。さっきの四之宮くんは?」

「ハタチ」

「ふーん」

意外だった。

背が低いせいか、また美しい瞳がそう見せるのか、将には彼が自分より年下に見えていたのだ。

「あのさ」

啓介はあたりを見回しながら将を手で呼び寄せた。

声がぐっと小さくなっている。ナイショ話の合図だ。

「君の前に、飲酒喫煙でおろされたのって、四之宮くんの相棒だから。気をつけたほうがいいよ」

将は思わず啓介の顔をのぞきこんだ。

啓介は将の顔を見てうなづいたが目は笑っている。

「それに、あの人、芸歴10年ぐらいあるし」

ああ。このことか。

将は思わず声に出しそうになった。

武藤の注意が蘇る。

『将。この世界は、先輩後輩の礼儀をどこよりも大事にするの。たとえ年が若くても芸歴が長い人は先輩になるのよ。だから先輩に嫌われないように口の利き方にはくれぐれも気をつけてね』

「俺はまだデビューして1年ぐらいだけどぉ」

目の前の啓介が、ちらりと将を見た。

将はとっさに

「すいません」

と頭を下げた。

「いいって。気にしなくても。俺はまだ1年だから君とは同期みたいなもんじゃん。これからヨロシクね」

啓介はあいかわらず親しげな顔で、将の肩をぽん、と叩いた。