第112話 同棲開始(2)

 
「ああ、生理」

将は、ああ、という形で口をあけたまま、ハハと笑って顔をそらした。

「ご、ごめん。なまなましくて……」

聡はうつむいた。若い男のコ相手に、こんなことを口にするのは、知っているとわかっていても恥かしい。

「いいよ、そんな。女のヒトだったら、当然だもんな。で、痛いの? おナカ」

「う、ううん。今は大丈夫、大丈夫よ……。バファリン飲んでるから」

「そっかー。瑞樹のヤツも腹が痛いってよく機嫌悪くなってたし……」

――しまった!

言ってしまって将はハッとした。

一瞬見開いた聡の目と、視線が合ってしまった。しかも、こっちから、そらしてしまった。バツが悪くてなんだけど……。

「あ、えっと……。昔の話ね、昔の」

将はあわててフォローした。

「そ、そうね。瑞樹さん、いかにも体が弱そうだもんね」

聡も、フォローに答えようとしていたが、その声はうわずってしまっていた。

――そうだった。将は女性と暮らすの、初めてじゃないんだ……。

聡をにらみつける瑞樹の瞳が聡の脳裏にフラッシュバックした。

家に帰りたくなかった瑞樹が将の家に『入りびたっていた』というのは一緒に棲んでいた、と考えて間違いないだろう。

うすうすわかっていたはずなのに、その事実を将自身から知らされると、体が震えるほどのショックを聡は感じざるを得ない。

それを隠すように、聡はベッドを降りると

「これ、片付けるね。ほとんど着替えなんでしょ」

と明るく将のリュックに手をかけた。

「ああ、ああ、頼むよ」

将もベッドの上から明るくそれに答えた。

聡は、無造作にリュックに突っ込まれた将のTシャツやジーンズなどを引っ張り出すと畳みなおした。

「あ!」

先に将のほうが気付いて声をあげた。しかし、阻止する前に、

「あら……」

聡がリュックの中に潜んでいた『それ』に気付いて顔を赤くした。……何枚かのコンドーム。

「はははは……、一応、念のため、なんちゃって」

いぶかしげな顔をしていた聡だったが、照れ笑いする将についつられて、

「もう……まったくー」

と、ようやく苦笑いを浮かべることができた。

 
 

 
夕食は、将のリクエストで、萩の実家で食べた肉団子の鍋になった。

聡一人で作ろうとしたのだが、将は手伝うといって聞かなかった。

「これからは、オレも料理覚えるよ」

とあまりにも頑張るので、ローテーブルで野菜の皮むきをさせることにした。

その不器用な手つきに、聡はキッチンで作業をしながら、ハラハラしどおしだった。

「ちょっと、これなあに?」

結局、手こそ切らなかったが、剥いた大根の皮は、いやに分厚かった。5mmぐらいの厚みがある。

「ええー、初めてにしては上出来だろ」

「しょーがないから、これは取っといて明日キンピラか何かにしないとね……」

聡は分厚い大根の皮をタッパーに収めると冷蔵庫に入れた。

5時から作業を始めたのに、結局出来上がったのは7時近くになってだった。

「まだあ?オレ、超おなかぺこぺこだよ~」

野菜をむく以外は、座ってできる作業はなかったので、将は持ってきたDSをやっていたのだがもう空腹は限界だった。

「ハイハイ、お待たせ~」

聡は台所で煮ていた土鍋をローテーブルの上にセットしたカセットコンロに持ってきた。このカセットコンロも急遽買ってきたものだ。

「わーお、うまそう!」

鍋のほかに、卵焼きや、キムチなども並べる。

「アキラ、なんか足りないものない?」

「ん?ご飯もよそったよね。醤油も持ってきたし……」

ご飯は、将がどれだけ食べるかわからないので、とりあえず3合炊いた。これは聡の持っている炊飯器の限界値である。

「泡が出るやつ」

暗にビールのことを言っていることに聡も気づいた。

「……もー!未成年でしょ」

「いいじゃん、今日は退院祝いで」

と将は子供のようにせがむ。そのいたずらっ子のような顔に聡は弱い。

ま、今日ぐらいは、いっか。と聡は冷蔵庫から缶ビールとグラスを持ってきた。

「じゃあ、将の退院に乾杯」

「オレとアキラの同棲第1日目に乾杯」

二人は杯を触れさせると、ぐっとビールをあおった。

将は足を深く曲げられないので、ローテーブルに添うように横向きに座っている。

聡は、そんな動きづらい将を気遣って将の器に鍋をよそってやるのだが、あっというまに食べてしまう。

そうこうしている間に小さめの鍋の中身はあっという間になくなり、新しい具が煮えるのを待たなくてはいけない。聡が食べる暇もないほどの好評ぶりだ。

もともと鍋料理は、野菜もたくさん食べれるので、独り暮らしにはうってつけ、聡の冬の定番だったのだが、こうやって好きな二人でつつくほうが数倍美味しい、と食べる暇もないのに、幸福を聡は噛み締めた。

食後は、先に将に風呂を使わせて、聡はキッチンで食器洗いをしようと思ったのだが、将は

「いいよ、俺。昨日病院で風呂入ったし。冬だから毎日入る必要もないでしょ」

などと言う。

「ええー!不潔っ!鍋で汗かいたでしょー!」

聡がさんざん抗議したので、

「わかったよ。ギプスかばうの面倒なんだぜー、もう」

将はしぶしぶバスルームに消えた。それから素直に、しばらくバスルームから水音がしていたのだが、

「あ!」

聡は食器を洗う手を止めた。将は……案の定、タオルを持って入るのを忘れている。

将のマンションは、脱衣所に一通り揃っていたのだろう。聡がタオルを用意しようとしたそのとき、水音が止んで、中から

「ヤベえ」

と声がした。

「将」タオル持っていくから、と声をかけようとしたそのとき。

ガチャとバスルームの戸が開いて髪の毛がびしょぬれの将が顔を出した。

顔だけでなく隙間から濡れた体の一部が見えている。暖色のバスルームのライトを背にした、褐色の将の肌。聡は思わず目をそらした。

「アキラ、ごめん、タオル忘れちゃったよ」

「ハイ、タオル」

聡は目をそらしたまま、あわてて、タオルを渡した。あわてたので何か忘れた気がする。

それに気付いたときは遅かった。将は、腰にバスタオルを巻きつけただけの姿で、頭を拭きながら出てきたのだ。

「ぱんつも、忘れちゃったよー」

と別にあわてたようすもなく、聡に笑いかける。

頭を拭いているほうの腕は高くあげられているせいか、腋毛が見えている。毛深くない将なのに、やはり腋は黒々としている。

別に腋毛ぐらい、夏場だったら見えるものだし、どうってことないものだが、間近、しかも自分の部屋で見た聡は少しとまどった。

聡は、さっきしまったトランクスを取り出すと手渡した。別にトランクスぐらい、とも思うのだが、とても恥かしい。聡は顔が火照ってくるのがわかった。

「あっ、あたしもお風呂入っちゃうから、将、部屋のほうで着替えてていいよ。広いほうが着替えやすいでしょっ、暖房強くしてるから」

ごまかすように、そういうと、聡はタオルを持ってバスルームに入った。

しかし……なんてことだ。動揺したせいか、こんどは聡自身が下着を忘れてしまったのである。

もともと、聡は独り暮らしなので、風呂あがりは、せいぜい身につけてバスローブぐらいだった。

そしてバスルームが狭いので、部屋のほうでゆったりとテレビでもみながら、乾燥しやすい背中などに化粧水や乳液を塗りこんで、それからパジャマを身につけるのが冬の習慣になっていた。

つまり、バスルームに着替えを持ち込む習慣がなかったのでうっかり忘れてしまったのである。

――しまったぁ……。

聡はパジャマを手にして舌打ちした。

生理中ということもあり下着なしで、いったんパジャマを着るのも抵抗がある。

「将……」

聡は、バスタオルを体に巻きつけると、バスルームから顔を出して将に声をかけた。

将は聡がゆったりと湯船に浸かっているあいだに、下着も寝巻きも身につけたようだ。

リラックスしてテレビを見ていたのだが、バスルームから顔を出した聡を見て、ハッと上半身を起こす。

「あのさ……着替え忘れちゃったから、目ぇつぶっててぇ……」

将は

「マジ!目つぶるはずないじゃん」

と目をわざと見開くそぶりをする。

「もうヤダ~」

そういっているあいだにどんどん湯冷めしていく。聡は仕方なくバスタオルを巻いた姿で

「もう。覚えてなさいよ」

と毒付きながらバスルームから小走りにクロゼットに近寄り、中の引き出しから下着を引っ張り出した。

「アキラのぱんつ置き場お~ぼえた~」

などとからかう将に、聡は拳を振り上げようとして、胸からタオルがずれそうになって焦る。

なんとか、狭くて不自由ながらバスルームの中でパジャマまで着替えると、聡は小さくため息をついた。

 
 

 
あっという間に、寝る時間がやってきた。

聡はベッドに添って床に新しい敷布団を敷いた。こっちに自分が寝るつもりである。

「えー。アキラ、やっぱそっちに寝るの~?」

将はベッドの上にギプスの足を投げ出した姿勢だ。

「だって、狭いでしょ。あたし、折れたところ蹴るかもしれないよ」

聡はてきぱきと毛布と夏用のタオルケットを自分用に重ねた。

「それでもいいから一緒に寝ようよぅ……」

寂しそうに将は口をとがらせた。

「だーめ」

「じゃあ、おやすみのキス、しよ」

将は自分の唇を人差し指で指した。それには聡は、ちょっと下を向いて照れると、

「いいよ……」

とベッドサイドのスタンドを付けて、真上の蛍光灯を消すとベッドのふちに腰掛けた。

将は聡が腰掛けるのを待ちきれないように抱き寄せると、唇を重ねて、舌を割り込ませてきた。

今、歯を磨いたばかりの将の唾液は、ミントの味がかすかに残っている。それは爽やかで、セクシュアルなキスに似合わない味だった。

将はさらにミント味とかけ離れた行動……聡を抱き寄せたまま一緒にベッドに倒れこんだのだ。

「このまま、一緒に寝ようぜ。な」

将は自分の胸の上に聡を抱えたまま耳元で囁いた。

聡のベッドに横たわる将は、目を安心したように細めて二重の幅が広くなっている。

その瞳は、あどけない子供のようで、聡の母性本能をくすぐった。そして再び始まった深い口づけは男性として聡の中の『女』をじわじわと刺激していく。

いつしか、聡は将にのしかかると、さっきのように、いやさっきより大胆に自らリードしていた。

なんだか変だ。変になっていく。

本当に歯止めが利かなくなっていく。

聡はそんな自分を自覚していた。さっきもそうだった。

夕食のときに2本、風呂上りに1本飲んだビールのせいだろうか。いや、それだけではない。聡を燃え立たせているのは……。

「アキラ、その体勢はヤバ……」

聡は将の体に自分の体を重ねるように口づけを繰り返していた。パジャマ越しに柔らかい胸のふくらみを、将の胸板に押し付けている。

「あ……」

とうとう聡の腿に、将自身があたった。

「ゴメン……。ずっと処理してないから……」

将は素直に聡に謝った。なにせ、今まで入院していたのだ。敏感になっているのは仕方ないだろう。

聡はまばたきもしないで、将の顔をじっと見つめた。

「将、……あたしと……寝たい?」

将は、聡の瞳に吸い込まれそうになった。なんで聡がこんなことを言うのかわからなかった。

「あたしと……したい?」

将は、聡に何かを吸い取られてしまったように、何もいえずに、ただ深くうなずいた。が、

「でも、今は足が……」

と自ら、なぜか言い訳をしてしまった。いつもなら聡の側が自粛しようというのに、今は違う。

聡は、といえば、自分の中の『女』が暴走しているのはわかっている。

それは、嫉妬によるものだということを、とうに気付いているのに、止められない。