第196話 禁断の告白(2)※改題

大悟は嵩高い2つの荷物を抱えて夕方の商店街を歩いていた。

瑞樹のボストンに、例の紙袋。……朝さしていったビニール傘が邪魔だが雨が止んでいてよかった、と心から思う。

と、腹が鳴る。思えば、朝から何も食べていない。

腹が鳴ったとたん内臓が裏返りそうなほどの苦痛に近い空腹が大悟を攻撃してきた。

大悟はボストンを肩にかけると、財布を出す。

弁当屋にいってみようかと思ったのだがあいにく……聡からもらった5000円も、小山までの交通費でほとんど消えてしまい、小さな小銭ばかりしかない。

大悟は舌打ちする。だが、すぐに気を取り直す。

冷蔵庫にまだ何かあったはずだからだ。

それに将が気を利かせてくれれば、今日の夕食は家政婦さんがつくりに来ているはずだ。

部屋に帰ってきた大悟は、自分の寝室に使っている部屋に荷物を下ろして身軽になると、ダイニングへ急いだ。

案の定、テーブルの上には、麻婆豆腐の夕食が1人分用意されていた。

まだそれほど時間が経っていないらしくほんのり温かい。

大悟は、買ってきたビールをあけると、夕食をガツガツと食い始めた。

しばらく食うことに没頭する。

何も頭に浮かばない。部屋がシンとしていることもどうでもいい。

ようやく、胃を満たすことができた大悟は惰性でテレビをつけてみる。

空きっ腹へのビールは、感受性のアンテナを真綿でくるんでしまったかのように、テレビを見ても何も感じない。

大悟はソファにごろり、と横たわった。とたんに瞼が重くなる。

ビールがなくても……昨日からのことで、大悟は心身ともに疲れ切っていたのだ。

大悟が起きたのは、それからずいぶん経って……瑞樹といつも見ていたお笑い番組が始まった頃だった。

大悟はテレビで観客に大うけを博しているコントも無視して大きく伸びをした。

そしてボリボリと首筋を掻く。

眠っていたせいか、大悟の頭からはすべてが抜けていた。

瑞樹が死んだことも。昨日、愛知にいったことも。将と喧嘩したことも……。

大悟はただ、本能的に風呂に入るべく部屋に戻ると照明を点ける。

そこにあった紙袋とボストンを見てようやく、何かが大悟の頭に命中したかのように、すべての出来事とそれにまつわる感情が爆発的に大悟の頭の中に蘇った。

大悟は膝まづくとボストンを開けて犬のぬいぐるみを救出するようにそっと取り出した。

そして内ポケットから骨の瓶を大事に握ると

「瑞樹、お前が好きだったやつだぞ」

と語りかけながら隣に置いてやった。

骨とぬいぐるみは、暖色の灯りに同じような色に染まってお互い懐かしげに寄り添っていた。

そして、瑞樹が滋賀に持っていこうとしたお気に入りの衣類を取り出して、やはり骨のまわりに置いてやる。

続いて……大悟は紙袋から中身を取り出そうとした。

だが、その内容の曲々しさに、大悟はいったん骨とぬいぐるみに背を向けた。

たぶん瑞樹が好んだり愛着を持っていたものの逆だと思ったから。

フローリングの上に置かれたものは、あらためて、すさまじかった。

普通には着用しても意味をなさないような下着類。手錠、首輪、そしてさまざまな玩具と脱法ドラッグ。

出しながら大悟は顔をしかめていた。

中には大悟自身が体を売っていた頃の、嫌な記憶を刺激するものもあったのだ。

これを使って、いったい瑞樹は生前に何をしていたのだろうか……。

全部出し終わったとき、大悟はため息をついた。

何をしていたにしても、瑞樹はもういないのだ……。

大悟は、指定ゴミ袋とスーパーのゴミ袋を持ってくると、見えないようにそれをスーパーの袋にくるんで分別した。

たぶん、瑞樹だって未練はないだろう、そんなものに。

続いて入っていた紙袋をかさばらないように畳んで捨てようとした大悟は、それがうまく畳めないことに気付いた。

底のほうがなんとなくぷっくり膨れている。

大悟は再び紙袋をのぞき込んだ。もう何も入っていないはずだ。

「あ」

紙袋が二重になっていることに気付いた大悟は一人、声をあげた。

二重になった紙袋の底にまだ何かが入っているようだ。

重なっていることがわからないように紙袋の口の折り返しがきちんと被さっている。

その巧妙さに、大悟は何かを直感した。

何かを隠すべく、糊で貼り付けてさえある内袋を大悟は苦心してはがした。

「……!」

紙袋の二重底から出てきたものを見て、大悟は息を飲んだ。

そこにはセロファンの袋に小分けになった、大量の白い粉薬が隠されていた。

瑞樹を狂わせ、死に追いやったあの薬に違いない。

脱法ドラッグとわざわざわけて、こんな風に隠してあるのだから間違いない。

大悟は、帯状につながったままのセロファンの小包を乱暴に取り出すと、ぐしゃっと握りつぶした。

そのまま捨ててしまおうとして、こんなものをゴミに捨てたらマズイということに気付く。

水に流すしかない。

袋を切り刻むべく鋏を持ってこようとして、大悟の足が止まる。

 
 

「殺し……」

巌に問い詰められて将はついに答えてしまった。

恐くて顔をあげて巌の顔を見ることができない。

「殺し……だと?」

巌の声で忌々しい犯罪の名前が繰り返された。

将はだまって頷くしかなかった。

「将、本当にお前、人を殺したのか」

巌は、ソファからいつのまにか身を起こして、枯れ枝のような手で将の両肩を掴んでいた。

「将、顔をあげなさい」

絞り出すような声は、いっそうしわがれている。しかしその迫力に将は顔をあげた。

「本当なのか……、本当にお前が殺したのか」

巌の顔は、上からのアンティークランプの灯りで、その皺がいっそう深く見えた。

しかし丸眼鏡の奥の……いつもは皺に隠れたような瞳だけは、丸くこちらを向いている。

見開かれた目頭のピンク色が痛々しいほどだ。

それに反比例するように、将の目は巌の眼力を受け取るのに耐えられないがごとく、細くゆがんでいった。

歯を食いしばって、将は頷いた。

そのとたん、巌の喉の奥から「クカァァ」と声とも空気ともいえないような音が漏れる。

「戦争でもないのに……、お前は人を殺してしまったのか!」

巌は将の肩に手をおいたまま、悲痛な声を出してうなだれた。

巌の悲痛な声のままに、食いしばるようにぎゅっとつむった将の瞼から沁みだしてくるように涙が現れた。

それはひと筋を呼び水のように、あとからあとから流れ出した。

「何てこと……、何てことをしたんだ……」

巌も将と同じ顔で、涙を流していた。

将は、とめどもない涙を頬に感じながら、今までになく後悔している自分を感じている。

というより、そもそも本気で後悔したことがあっただろうか……そんな自分が恥かしく、苦しい。

罪を覆い隠した父に対しては、反発しか感じなかったが、今こうやって悲嘆にくれる巌を見て、

自分は敬愛する巌の血に殺人犯という泥をつけてしまったのだ、と気付いた。

いまさら気付いても、もう遅い。

巌に申し訳なくて泣く将の脳裏に、長い巻紙がほどけるように蘇った。

菩提寺で見せてもらった、家系図だ。

あのとき……血のようだった夕陽に、将は血脈を感じて息苦しくなった。

その息苦しさの正体は、これだったのかもしれない。

古びて黄ばんだあの重い和紙を、将は自ら血で汚してしまったのだ……。

「ヒージー、ヒージー、……ごめん、……ごめんなさい」

ヒージーは白目を真っ赤にして泣いていた。

たぶん将の目も同じようになっているだろう。

100歳と18歳の泣く顔は、血のつながりのままに、虚しいほど似ているのだった。

それを、古い洋館のアンティークランプの暖かい色が、哀しげに包んでいた。

 

巌は、袂からハンカチーフを取り出すと、丸眼鏡を取って自分の涙をぬぐった。

そして、大きくため息をつくと、ソファに再び寄りかかり、目を閉じた。

将は、巌のソファの腕置きにもたれてまだ泣いていた。

しゃくりあげるように泣くのは、いつ以来だろうか。

静けさが、夜寒と共に、しのびよってきた。

泣いて腫れた唇に、瞼に、その冷ややかさが差し伸べられる。

しばらくののちに

「もう泣くな。やってしまったものは……いくら後悔しても消えんのじゃ」

巌は丸眼鏡を掛けなおすと、将に声をかけた。

その口調は落ち着いていたとはいえ、声は普段になくしわがれていた。

「誰を……、何故殺した」

将は何を言っても、言い訳にしかならないように思えて、鼻だけをすすった。

巌は、軽くため息をついた。

「康三は、お前の罪を、友達の大悟くんに被せたのだな」

「……ハイ」

将は、新たに湧き出た涙を手の甲でぬぐって、鼻をすすった。

「……わかった。大悟くんの保護者の件は、ワシが手を尽くそう」

しわがれた声ながら、どっしりとした口調で巌はそう言うと立ち上がった。

「お前は……せめて康三の配慮を無駄にするな」

それだけ言い残すと巌は、将に背を向けて、母屋へ続くドアのほうに歩こうとした。

その体がグラリと揺れる。

「ヒージー!」思わず将は涙と鼻水をたらしたまま、巌に駆け寄る。

「……大丈夫じゃ。将、ステッキを、ステッキを持ってこい」

ヒージーは漆喰の壁に寄りかかった。

動転している将は、暖炉のわきに立てかけてあった巌のステッキを取ることだけに夢中で……巌の息がいつもより荒いことに気付いていない。