第221話 全部忘れられるもの(2)

ピンポーン。

「ん……」

大悟は、目を閉じたまま、布団の上で身をよじった。

あれから……明け方にマンションに帰ってきた大悟は、着替えもせずに万年床の上に倒れこんだのだ。

チャイムは再び鳴った。軽く戸も叩かれる。男性の声で

「郵便でーす」

と聞こえて大悟はようやく目をあけた。

瞼が粘りつくようにまだ重く、思わず眉根が寄る。

――なんで郵便がここまで来るんだよ。

と心で悪態をつきながらも、大悟は起き上がると、だるい体をひきずるように玄関へ向かう。

もうずいぶん陽が高いようだ。

カーテンをあけっぱなしにしていたリビングの窓から、真昼のバルコニーの照り返しが入ってくる。

「ハイ」

玄関に立った大悟は、投げるように返事をしながら無意識に頭を掻く。

シャワーを浴びなかったので少し頭がむずむずする。

「鷹枝さんに郵便ですが、郵便受けに入らなかったので持って来ました」

とドアの外から聞こえる。どうやら、本当に郵便局員らしい。

大悟はドアを開けると、その大きな封筒を受け取った。

封筒は大きいだけでなく、相当な厚みがあって、それで郵便受けに入らなかったらしい。

「なんだこりゃ」

と独り言をつぶやきながら大悟は、そのカラフルな封筒に、先日将と一緒にモデルのバイトをした雑誌のロゴがついているのを見つける。

『見本誌在中』とある。

手触りから自分の分も入っているのだと判断した大悟は、少し迷って封を開ける。

中に、フリー編集兼ライターの美智子からの手書きメッセージが入っていた。

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将くん、大悟くん

先日はお世話になりました。

記事、めっちゃいい出来です。二人ともカッコイイ。

見本誌を1冊ずつと、読プレのために作ったオリジナルTシャツを1着ずつ入れておきます。

グラフィックデザイナーの××さんの作品なので、

私は結構気に入ってるんですけど……。

じゃあ、また何かあったらよろしくお願いします

幸田美智子

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大悟は、ビニールに入っていたそのTシャツを広げてみた。

白いプレーンなTシャツの中に、大胆かつ粋に大きな柄がデザインされ、小さく雑誌のロゴが入っている。

2着あるが、お揃いじゃなく違う柄を入れてくるところが、お洒落な美智子らしい。

あまり金がない大悟にはかなり嬉しいプレゼントだ。

あと3週間近く帰ってこない将を待つ必要もなかろう、と大悟は自分の気に入った方を遠慮なくいただくことにした。

そのまま、雑誌をパラパラとめくる。

『街のベストジーニスト2007上半期』

という大きなタイトルはすぐに見つかり、大悟はそこを開いた。

次の瞬間、目を見開いた。

その、企画のタイトルページ見開きの左1ページ丸ごとの大きさで、将の写真が使われていたからだ。

フ、と鼻から息をもらして、知らず頤を傾けて斜め下に雑誌を見下した。

大悟は、次の見開きの上のほうに1/4Pの大きさで掲載されていた。

いちおうその見開きの中では一番大きいメイン扱いだ。

あのとき一緒だった、他のモデルたちも同じ大きさで、それぞれ見開きのメイン扱いになっている。

大悟も一般の読者に比べると、格段に大きい扱いだが、それにしても将の扱いは別格だ。

将のところだけ、まるですでに人気があるタレントが出現したようだ。

ヘアメイクにスタイリストがついたせいもあり、普段の将より数倍もイケている。

大悟も、まるで自分ではないような出来栄えだが、将のイケ方と比べると地味なように感じられた。

「ケっ」

大悟は雑誌をソファの上に放り投げた。投げたあとで、ちょっと恥かしくなる。

――まるで将に嫉妬しているみたいじゃないか。

――将は、いまや、本物のタレントなのに。

そう自分に言い聞かせる。

親友に対して、みっともない嫉妬はしたくない。そんなプライドはまだ大悟にもあった。

だがその直後に

――殺人者が、タレントか。

というフレーズが心に浮かび、大悟はギョッとした。

――何を考えているんだ。

大悟は頭をブンっと振るうと、大きく伸びをした。

なんか、ムカついているのを、汗ごと流してさっぱりしようと、大悟はバスルームへ入る。

 
 

トランクスとTシャツ姿でバスルームから出てきた大悟は、頭を拭きながら、冷蔵庫をあける。

今日も五月晴れのせいか、マンションの部屋はかなり気温が上昇している。

大悟は何の迷いもなく缶ビールを取り出すと、そのリップを立てる。

真昼の明るさも、もはや彼の飲酒になんの歯止めにもならない。

缶ビールは喉元で冷たく、腹に意外に熱く染みた……それで大悟は自分の空腹に気づく。

あいにく冷凍しといた残り物も尽きているようだ。

外に買いに行くのも面倒なので、大悟はカップ麺で済ますことにした。

ビールを飲みつつカップ麺のフィルムを破いて、お湯を火にかける。

ちょうどそのとき、部屋で携帯が鳴った。

あわてて、部屋に携帯を取りに行き、台所に戻りながら表示を見る。

『西嶋』と表示されていた。新しい保護者である。

「ハイ」

大悟はビールを一気にあけてしまうと、通話ボタンを押した。

「あ、大悟くん。西嶋の家内です……元気?」

「ハイ」

保護者が何の用だろう、と大悟はいぶかりながらも、いちおうハキハキと返事をしておく。

本当は「そちらはいかがでしょうか」と訊くべきなのだろうが、節子だけでなく社長の隆弘のことまで訊かないといけないだろう。

いちいちそれをするのが面倒くさくて、大悟は自分の返事を短くしたきり黙った。

しかし節子は、そんなことに構わないように本題に入った。

「大悟くん、今日、お誕生日よね」

「ハ……」

言われて初めて気づいた。今日5月8日は大悟の誕生日だった。

「18歳になったのよね、おめでとう」

大悟は、一瞬言葉が出なかった。

誰かに誕生日おめでとう、と声をかけてもらうのは何年ぶりだろうか。

「……ありがとうございます」

かろうじて、口ごもるようにだけど、返礼が出来た。

「それでね。たいしたものじゃないんだけど、プレゼントを用意してるの。もしよかったら、今日、うちに夕食を食べに来ない?主人も待ってるから」

「ハ……」

大悟は迷った。

将がらみの保護者なぞ、できるだけ頼りたくない。

そう思うのは、親友として将と対等な立場でありたい、大悟のプライドである。

だけど……すぐに断ってしまうには……、かの人たちの温かさは勿体なさすぎた。

「あくまでも予定がなかったら、だけど。今日は仕事は遅いの?」

節子はてっきり大悟は仕事中だと思っているらしい。

「い、いいえ」

仕事をしているのではない、という意味の返事をするつもりで、大悟はつい、予定がないという意味にもとれる否定をしてしまった。

「じゃあ、ちょうどよかったわ。ぜひ来て。ね?」

大悟はとうとう断る言葉を見つけられないままに、電話を切ることになってしまった。

気がつくと、お湯がシュンシュン沸騰していた。

それをカップに注いでしまうと、ソファーの前のテーブルにもっていきながらリモコンでテレビを付けた。

ちょうど、昼のニュースの時間らしい。

『次のニュースです。愛知県○○市の○○埠頭で車が沈んでいるのが発見され、中から4人が遺体で発見されました……』

あくまでも麺が出来るまでの暇潰しなので、画面に目をやっていても、内容は頭に入っていない。

大悟は、バラエティに変えることもなく、そのままの画面にして、麺ができるのを待つ。

『4人は死後1週間程度が経っており……』

大悟はそれを耳の端でとらえながら、1週間も経ってるんじゃ、さぞひどい姿だろうな、と想像した。

中学時代に一度、将と一緒に『カオリさん』の部屋のパソコンでグロ画像を見てしまったことがあるのだ。

だがそれへの想像くらいで、目の前のカップ麺への食欲がなくなることはない。

『車のナンバーから、○○市在住の××さん夫婦とその孫の△△ちゃん……の4人と見られています』

聞き流していた大悟は、○○市在住の××さん夫婦、のところでふと目をあげた。

脳が、記憶しているデータとの一致を告げて、大悟はあっと声をあげた。

鑑別所を出た大悟が預けられていた遠い親戚……つまり、大悟の前の保護者だったからである。