第277話 夏の終り(2)

「将、大丈夫?……眠くなったらいつでも休憩してね」

「アキラこそ、着くまで寝てていいよ。毛布、積んであるからかけて」

「大丈夫。夏だもん」

将と聡を乗せたミニは、夜の中央高速を走っていた。日にちは変わって、8月28日になっている。

ナビによると、松本・富山経由で到着予定時刻は朝6時頃となっている。

急に呼び出されての長距離ドライブとなったが、聡はときめいていた。

こんな風に二人で将が運転するミニに乗るのはいつ以来だろうか。

伊達眼鏡をかけた将の横顔を、聡はそっと見た。

顔が売れてしまっているので、いちおう将は伊達眼鏡をかけているのだ。

『帽子は?』と聡はさっき面白がって訊いた。

芸能人はよく、サングラスや伊達眼鏡と共に野球帽をかぶっているではないか。将は

『やだよ。暑いし。冬ならともかく。車ン中だからばれないよ』

と面倒くさそうに答えた。

 
 

将は自分を見る聡の視線に気づいて

「なに?」

と優しく問い返してきた。

その声音は、またいっそう大人になった気がして、聡の心臓は騒いだ。

「だいたい6~7時間。行って帰ってくるだけだね」

聡はナビの情報を口にして誤魔化す。

「そんなことないよ。明日の3時に病院にいればいいから、逆算したら今日はたっぷり遊べるよ。

金沢とかいく?世界遺産の白川郷とかも寄れるよ。せっかくだから俺、千里浜とかドライブしてみたいし」

いつ調べたのか将は楽しげに観光地を並べた。

「寝る暇ないじゃない」

「正月にアキラんちにいったときに比べれば全然マシ。高速使ってるし」

将の笑いにつられて笑いつつ、聡は胸があったかくなった。

はるばると東京から萩まで車を運転して逢いに来てくれた、今年の正月を思い出したからだ。

あのとき、聡は将と一線を超えてもいい、と思っていたのに、3日3晩の運転が祟って将は途中で眠り込んでしまったのだ……。

そのときの記憶をきっかけにして、聡の全身に記憶されている、将から触れられた感覚がふいにフラッシュバックした。

聡は、運転席の将に、それを気づかれないようにわざと窓に頬杖をつくようにして外を見た。

残念ながら高速の脇は、草むらの斜面になっていて、眺望はない。

星も今日は薄曇りなのか、見えない。

聡は自分に小さくため息をついた。

将が大人になるまで離れると決めたのに、最近のこのていたらく。

会うだけでなく、メールや電話も以前に近い状態で復活してしまった。

大悟のこと。それから巌の死。

いろいろあったから仕方ない、と言い訳しつつも、聡は自分に呆れていた。

……だけどそれは自分は本当に将が好きなんだ、将から離れられないんだ、という再確認にもなった。

それに、こんなふうに人目を忍んだ夜更けにドライブすることに、聡は喜悦を禁じえない。

いや、心の喜悦だけではなく、こうしていると自分の中の『女』が急速に目覚めていくのがわかる。

男としての将が欲しい、将に抱かれたい。……油断すると自分の中の欲望が顔を出す。

将に抱かれてから4ヶ月も経っている。そして当の将が目の前にいる……これから丸1日は一緒にいる。

聡は黙っていると膨れ上がっていくような本能を、別の本能でごまかすべく

「夜食に、おにぎりと卵焼きつくってきた。急いだから具は梅干とおかかぐらいだけど……」

と口にした。

「やった。ラッキー。次のパーキングで食べようか」

「ええっ、もう?」

「だって、腹減ったよ……本当は、メシよりアキラが食いたいんだけど」

将は冗談めかして伊達眼鏡の下の目をこちらに走らせた。

「んもう。何いってんだか」

と聡は笑って見せるしかない。

 
 

聡がつくってきたおにぎりと卵焼きで夜食を食べると、すぐに眠気が将に襲ってきたらしい。

それでも、将は諏訪湖SAまで頑張って運転した。そこで仮眠を取ることにする。

時刻は2時30分になっていた。

後部座席で横になりながら、聡はなかなか寝付けなかった。

将は日よけシートを張ったフロントガラスの下の助手席を倒し、ダッシュボードの上に長い足を乗せて

すうすうと寝息を立てている。

聡の足の上に、アイマスクをしたその頭が見えている。

建物から離れた場所に駐めたのに、道路を照らす照明とSAの建物から漏れた光で、車内は字が読めるほどの明るさを保っていた。

眠れない聡は、寝そべったまま、足の上のシートに横たわる将の横顔を見ていた。

目元はアイマスクで隠されてしまっているが、コシがあるけれど艶やかな茶髪に、鋭い鼻梁、形の整った唇。それを見ているだけで飽きない。

――そういえば、去年の8月31日に、初めてキスされたんだっけ。

聡はふいに思い出した。あれから1年。

あのときは、本当にびっくりした。

背の高い将は、やすやすとカウンターごしの聡を抱き寄せて唇をくっつけてきたのだ。

そのときはまだ、将の名前も知らなかった。

弁当屋の常連から、教え子になって……将という名前を知って、もうすぐ1年。聡は上半身を起こすと、シートごと横たわる将の顔を見つめた。

SAから漏れる白い光で、将の顔には深い陰影がついている。

その唇は少しだけ開いている。その下の喉仏が呼吸にあわせて上下しているのが見える。

「将」

小さく呼んでみる。

当然、返事はない。本当に眠り込んでいるらしい。

「……あのときの、仕返し」

聡はそう呟くと、アイマスクの下の将の唇に、自らの唇を重ねた。

いつ以来になるんだろうか……久しぶりの将の唇は、少し湿り気があって温かかった。

唇をくっつけただけなのに、その懐かしい感触はとても心地よくて、聡は繰り返し唇を押し当てた。

しかし、将は本当に疲れているのか、何度口づけしてもまったく起きない。

すとん、と落ちるように、いったん眠り込むと、ずっと起きない将。

こんな将を、聡は何度見ただろうか。

初めて結ばれたときも、こんな感じで、ずっと眠っていた。

IQ値が高い分、脳が疲れるのだろうか。だから眠りが深いのだろうか。

眠れない聡は、いっこうに起きない将の顔を飽かず、見下ろしていた。