第35話 拉致(2)

 
聡がヤバイと聞いて、将は真っ先に義母を思い浮かべた。口止めしたのに、告げ口したんだろうか。

「何、学校にバレた?」咳をこらえて将は訊き返した。

「いや、たぶん前原。松岡が見たっていってんだけどよー……」井口は続きを話し始めた。
   
     ◇ ◇ ◇

今日の社会見学は、『ゲーム会社の社員』だった。

希望者が多いので何回か実施すると予告した第1回には、くじ引きで選ばれた生徒6人が参加していた。

中には松岡と不良仲間の沖田海人(カイト)が含まれていた。

「服装がきちんとしていない人は連れて行けません」

と事前にいわれていたのでカイトは腰パンをやめ、今日はきちんと制服を着こなしている。

こうしてみると、なかなかジャニーズ系にも見えるのになんで、なぜわざわざずんだれているのか、謎である。

ゲーム会社は皆が知る大手の会社で、超近代的な高層ビルにあった。

聡の大学時代のサークルの先輩が、ここで働いていることもあり、快く社会見学を許してくれたのだ。

近代的なパーテーションで区切られた広いフロアに生徒たちは息を飲んだ。

そこで、ふだん「リーマン」と呼んでバカにしている大人たちが忙しく働いている。

パーテーションの中にはディスプレイがあり、そこでおのおのの仕事に集中している。

「制作はチームごとにわかれてやっています。報酬は能力主義なので、ヒット作を企画制作したチームはボーナスをいっぱいもらえるという仕組みです」

1つのパーテーションで制作途中のゲームソフトを大きなディスプレイ画面で見せてもらったときは皆興奮した。

ひととおり会社一周と仕事の様子を見学したのだが、会社が広いのと、案内担当が聡の知り合いということもあり、説明を丁寧に行ってくれたので、見学だけで少し予定時間を押した。

そのあと、小会議室で社員の1人に話を聞く。最初営業職で入社して、積極的に社内コンテストに参加し、見事優勝、企画に異動したという社員が語り役になったが、この人の話がまた面白かった。

成功だけでなく失敗談など、今は笑いで話しているが相当苦労しているという生の経験談に生徒一人一人が真剣な目になった。

そのとき、メモをとっていた松岡のシャーペンの芯がなくなった。替えもないらしい。動揺する松岡を聡が察して、黙ってペンを差し出した。

松岡は、首だけでぴょこんとお辞儀をして話に戻っていった。

質問もいろいろと飛び、社員のほうも丁寧に答えるので、予定時間をだいぶ過ぎた。

長く掛かったことを社員や聡の先輩に詫びて、皆で会社を出たのはすでに18時30分近い時間だった。

もう外は暗かったし、予想では雨または雪だったので、お茶はしないで解散することになった。

同じ方面の聡、松岡、カイトが一緒に電車に乗った。

ふだんは話もしない松岡とカイトだったが、聡が一緒だったということもあり、電車の中、今日の話でなごんだ。

3人は同じ駅で降りた。駅の階段を降りたところで

「じゃあ、気をつけてね」

と聡は2人を背にして歩き出した。

松岡とカイトも「じゃっ」と別れたが、

松岡は、数歩進んで「あ!」と聡に借りたペンを思い出した。かばんからペンを取り出して、返そうと、引き返す。

――間に合った。

聡の後姿はまだそこにいた。『先生!』と声をかけようとした松岡だったが……。

    ◇ ◇ ◇

「瑞樹が?」

将は意外な名前に電話を握りなおした。寒さから手がかじかんでくる。風が強く吹いて、みぞれまじりの雨が将のほうまで飛んできた。

「ああ。センセーは瑞樹のヤツと話してるように見えたらしい。でもすぐに……」

松岡は、現れたラテン頭に嫌なやつを見た気がして反射的に隠れた。

隠れた松岡はそっと顔を出して、見てしまった。

聡が数人の不良に囲まれ、抵抗する間もなく口に何か布をあてられて、その場に崩れるのを。

そのまま抱えられて、車道に着けた、黒いフィルムが貼られたワゴン車に乗せられてしまった。

一瞬だったので行き交う人の誰もが気付いていないようだった。

松岡は、誰かに連絡しないとと思ったが、彼は携帯を持たない。

警察はあてにならない、と直感で思った彼は、今別れたばかりのカイトを全速力で走って追った。

そのカイトから井口に連絡があったのだ。しかも、カイトは実は昨日、前原からメールを受け取っていたのだ。
 
>明日、面白いパーティをやるけど来ない?
 
「もちろんパスしたから、連絡きたわけだけど」と井口はここまで一気に話した。

将はすべてを聞いて、地面が脈打つのを感じた。

「それで、瑞樹は?」
「前原と一緒にワゴンに乗ったらしい」

「わかった」
「将、どうすん…」井口が言いかけている間に将は電話を切った。

そのまま瑞樹の番号にかける。

将は、あせる気持ちを必死で鎮めた。どこに行く気なのか、冷静に聞き出さなくてはならない。

  
その頃、都心と反対方向へと走るワゴン車の中では、念のために薬をしみこませたタオルを鼻と口に固定された聡が後部座席に倒れていた。

「結構、いい女じゃん」

スキンヘッドの不良は眠る聡の顔をのぞきこんで言った。

今日、前原の主催する集まりに参加したのは前原を含めて5人。他校生やフリーターばかりで、誰一人としてまともな風貌の者がいなかった。

赤や黄色の髪、髭づら、ピアスにタトゥーで趣味の悪さを競うがごとし、だったが肌や歯、濁った目は不健康さでも際立った。

「オッパイもたぶん大きいよね」

待ちきれない赤毛は聡のコートのボタンをはずしていた。

パンツスーツはきっちりとボタンをはめて着込んでいるが、その胸のあたりは、固い布のスーツにも関わらず、はちきれそうに横にピンと張り詰めている。

「瑞樹、マジでアレやんの?」

不良の一人が瑞樹の横顔に訊いた。

中シートに座っていた瑞樹は、振り返って後部座席に倒れる聡を一瞥した。

「そうよ。明日の昼、スクランブル交差点で放り出すの。マッパでね」
「こっえー」

車内の不良どもは皆笑った。

「そんなに憎たらしいんだ、この女が」
「顔はカワイイけどねー」

瑞樹は前に向き直ると

「恥をかかせるぐらいじゃ足りない。殺したっていいぐらい」

と窓に向かって少し大きな声で言った。すると助手席に座っていた前原が

「あそこ、生コンあるよ」

と瑞樹を振り返った。あそこ、とは今から行く目的地である。

不良どもが、「ひええー」「コンクリ詰め!」「冗談でしょぉ」とひゃらひゃら騒ぐ。

「やるだけやって、ダムに捨てちゃうのもいいんじゃない? 絶対ばれないよ」

瑞樹は、前原による、その残虐な企画に眉一つ動かさず、

「そうね」

と窓の外に目をやった。雨が降り始めている。みぞれまじりの雨は瑞樹が乗るワゴン車の窓を激しく打った。

白い粒粒が窓の下に溜まる。みぞれは雹になっている。

――アイツさえ現れなければ。将は……。

瑞樹はこの2ヶ月の屈辱を思い起こした。

将に追い出されてからの瑞樹の生活を思えば、それぐらいの仕打ちは当然だ。

瑞樹は雨に濡れて赤く光る路面を見つめた。