第68話 将、13歳(1)

その夜、将はリビングで大悟と枕を並べて遅くまで語りあった。

主に二人の中学時代の思い出が中心だったが、懐かしい思い出話の間にも、二人が離れていたあいだの、語り尽くせないいろいろが透けて見えるようだった。

 

 

  
もう4年半以上も前。

将の背中の火傷が治ってしばらくして、中学校が始まった。

火傷のせいで私立中の受験を棒にふり、公立に進むしかなかった将は、失意の中で『不貞腐れている』ポーズをとることでなんとか日々をやりすごしていた。

公立の中学校は、将にはバカばっかりに思えた。

1回説明すればわかるようなことを、50分使って説明するような授業はとても退屈で、将は落書きと居眠りで授業の大半を過ごした。

クラスメートは子供っぽいやつばっかりで、進んで友達になりたいようなやつはいなかった。

気がつくと将は、まわりのやつから浮いていた。イジメられていたというわけではない。恐れられていたというほうが正しい。

中学に入ったばかりのころは、背もそんなに高くなかったのだが、その不遜な言動は上級生の不興を買った。

で、桜が散って青葉になった頃、将はさっそく『なまいきだ』と上級生に因縁をつけられ、お決まりの体育館裏に呼び出されるのである。

『お前、携帯もってんだろ。出せよ。それで許してやる』

声変わりした上級生の声は、実は、将にはとても恐ろしく感じた。しかしプライドの高い将である。

『イヤだ』

とできるだけ低い声で即答した。まだ声変わりしない自分の声が腹立たしい。

『何だよー』

上級生は将の肩をこづいた。中1と中3では体格も筋肉も違う。体が大きく揺れ、よろけたが、目は上級生をにらみつけたままだった。

『何だ、その目はよォ』

左右からこづかれた。将はだまって上級生を睨みつけていた。

『なまいきなんだよ、コラァ』

ふいに体が揺れて地面が近づいた……将は地面に引き倒された。

起き上がろうとする背中を上級生の足が踏みつける。3年生の重みと力に1年の将が逆らえるはずがない。

将は起き上がろうともがいた。その将の襟首を別の上級生がぐいっと引き上げた。

『あのね。僕、暴力ふるいたくないんだ。だからおとなしく携帯出しなヨ』

甘く優しい……将を馬鹿にした声。

『イヤです』

将はいちおー敬語を使ってやったぜ、とその上級生を見つめた。

目の細いにきびづらは、眉を剃って細くしていることで目と眉毛の間隔が広くなり、よけいにのっぺりと間の抜けた顔に見える。

『じゃあしょうがないね、イケメンくん』

将は、その間の抜けたやつにグーでぶん殴られた。

頭が真っ白になった。口の中が切れたのかしょっぱくなった。

――オヤジにも殴られたことないのに。ってセリフがあったな。昔のアニメに。

そんなことを思い浮かべる間もなく、次のグー。

2発で将は起き上がる気力をなくした……小学生時代、武道や空手で優秀だった将は、あの程度だったら立ち向かうこともできたはずだった。

しかし、道場ではないところで実際に人を殴るのは怖くて出来なかった。

倒れた将の上着とズボンのポケットをまさぐり、上級生は携帯を見つけ出した。

『痛い目にあいたくなかったら料金払えよ』

そう言い残して、上級生は立ち去った。

とられた将の携帯は、暴走族の上級生に上納され、さらにそれはヤクザに渡って、闇取引などに使われるのである……そんなことを将は知らない。

将は倒れたまま、青空を眺めた。唾液が鉄臭い。しかし吐く気になれなかった。

なんだか、世界にたった一人で倒れてるような気がした。

 

  
次に、将がトイレに呼び出された、というより連れ込まれたのは連休の後だった。

今度はトイレに付くなり、いきなり突き飛ばされた。

『おい、何で使用停止なんかにしやがるんだよォ』

将はあのあとすぐに携帯を使用停止にしたのだ。それがバレたらしい。

『おかげで恥かいたじゃんか』

掃除をしても臭う、トイレのタイル床に倒れた将の前髪をひっつかんで、上級生は将を立たせる。

『金出せよォ。お前んち金持ちだろー』

『持ってない』

髪を引っ張られて体の自由を奪われた将は、それでも上級生を睨みつけた。

『何だとォ』

上級生は将の髪をつかんだまま引き倒すと、個室に引きずっていき、洋式便器の中に将の顔を無理やり突っ込んだ。

ドラマや漫画で見るような、イジメの典型的な場面。まさか自分がされるとは。

将は便器の水を飲みたくなくて、呼吸をとめながら、頭を押さえる上級生の手をはがそうともがいた。

上級生は意外にも将の力が強いため、押さえ込むのにてこずった。

しかし、将の我慢は1分が限界だった。

『グっ……ガボっ』

将は臭い便所の水を飲み込むハメになった。

――くそ。

その屈辱が将の馬鹿力を引き出した。

将は上級生に押さえつけられた頭を起こした……だが、まだ殴る勇気はない。

叫び声を上げながら、濡れた顔と頭を上級生のみぞおちに押し付けた。

『ウわっ』

将を押さえつけていた上級生はその勢いで個室を飛び出し、後ろ向きに倒れると、後ろ頭を壁に思い切りぶつけてのびてしまった。

将はびしょぬれの頭で、息も荒く立っていた。

『なんだコイツ』

『やっちまえ』

たかが中1の将1人に、上級生が3人も飛びかかった。あっという間に決着がついた。

 

 
トイレは薄暗くなってきた。

――くそっ。

将はトイレの個室の中、うずくまっていた。出るに出れないように……つまり全裸にされていた。

上級生は、将が意地でも金を差し出さないとわかると、将を身ぐるみ剥いでしまったのだ。

彼らは将の背中のケロイドを見て、一瞬ひるんだが、

『毛も生えてないくせに逆らうな、バーカ』

捨て台詞を残して将の制服ごと財布を持っていってしまった。金はたいした額じゃないからいい。

しかし、ここからどうやって出ろというのだ。

初夏の陽気であたたかい今日このごろとはいえ、裸でいると寒い。

ふいに涙が一筋流れた。こんなのが出てくるのすら、負けたみたいで悔しい。

将は流れた涙を手の甲でぐいっとぬぐった。そのときだ。小声で将を呼ぶ声がした。

『鷹枝くん、鷹枝くん』

少し声変わりした声に聞き覚えがあった。

『井口……くん?』

『ジャージもってきた。上から投げるから受け取れよ』

机の横にかけてあった将の体育用のジャージをクラスメートの井口が持ってきてくれたのだ。

それを身につけて、ようやく将は外に出ることができた。

『ありがとう。……なんでわかったの』

『俺も前にされたからさぁ』

井口は1年にしてはガタイがよく、髪も少し赤毛に染めている。それが上級生の気に障ったらしい。

『……俺んときなんか、誰もいなくなってから、マッパで教室に帰ったんだぜぇ。

お前、目付き悪すぎだから絶対やられると思ってたんだけど、やっぱりなぁ』

『目付き悪い?』

『悪い、チョー怖いし。女子なんか避けながらキャーキャーいってんぜ。お前が女子にモテるのもあいつらムカついてんだ、きっと』

井口は少し伸びた天パーの赤毛頭をゆらして笑った。

それで井口と意気投合した将は、夜遅くまで遊ぶようになった。

なんでも、井口には今年就職したばかりのエリートの兄がいて、何かの折に比べられるのがいやでたまらなく、それで家に帰りたくないのだという。

爆破事件以来、義母の純代とギクシャクしている将も家には帰りたくない。

純代の執拗な心配は、殴られたことや、携帯をぶんどられたこと、制服をなくしたことまで、将の非のように聞こえる。

彼女は本当に将を心配しているのではない。

彼女の夫や世間へのメンツのために、将を心配しているポーズをとっているだけだ。

爆破事件以来、それに気付いてしまった将にとって、家は自分の居場所ではなかった。

そうやって帰りが遅くなり、時に外泊する将を、純代はいっそう非難する。

――てめえのせいなんだよ。

将は口に出さずに純代を目でにらんだ。

『金』

将が彼女に口を利くのはこの単語だけだ。この頃、将が遊んでいたのは主にゲーセンである。それには金が要った。

最初はしぶしぶ出していた純代だったが、夏休み直前のある日、

『お父さんにお言いなさい』

というようになった。父には言えないことをわかっているのである。

将はフン、と鼻をならすと、風呂場に入った。今日はまあいい。

実は、この日、将はパジャマの中に毛染めを隠し持っていた。

風呂場に入るなり、臭いそれを全部頭髪に塗りたくる。それは、毛穴にえらく染みた。いてもたってもいられないような冷たさと痛さ。

それに何分か耐え抜いた上で、毛染めを洗い流すと……風呂場の鏡の前には濡れて濃い蜂蜜のような色の髪になった将がいた。

『ヤッタ』

将は裸のまま、自分の姿を見て満足げに微笑んだ。

最近ようやく声変わりが始まった将は、ちょうどあちこちの毛が生え始めてきたところだ。

眉毛やそれらの毛は黒いのに、蜂蜜色の髪。妙でアンバランスだけど、将はそれを気に入った。

蜂蜜色の髪はドライヤーでかわかすと、その髪は見事に明るい金髪になった。

金髪になってバスルームから出てきた将をみて、純代は

『ひっ』

と息を飲んであとずさりした。それは近年まれにみる愉快な気分だった。将は大いに満足した。

翌日、学校にいってもそうだった。

生徒は同級生、上級生を問わず道をあけ、教師があんぐりと口をあける。井口だけが

『将、どうしたん、その頭。超カッケーじゃーん』

と寄ってきて賞讃した。

教師はその日のうちに純代を呼び出し、それは父に伝わった。

ある日、夜遅く家に帰った将は、父にいきなりなぐりつけられた。

『なんだ、その頭は!』

父になぐられたのはそれが初めてだった。倒れこんだ将は、1回だけ父を睨みつけると、そのまま家を出た。

 

 
将は、新しくつくった携帯から井口の家に泊めてもらおうと電話をした。今までも何度か泊めてもらったことがある。

『やー、今日はサ……。ごめん、ちょっと修羅場で』

いつもノリがいい井口らしくなく、弱弱しく困り果てた感じの声が携帯から聞こえた。

断られた将は、途方にくれた。

後で聞いたのだが、あの頃、ちょうど井口の兄が会社を辞めて引きこもり始めて、井口の家庭はめちゃくちゃになりはじめたところだったのだ。

あてどもなく夜の街を一人っきりで歩く、まだ子供っぽさが残る金髪の将は目立った。

そして、高校生らしき不良に因縁をつけられ……案の定一発殴られた。

『警察が来たぞおーっ!』

そのとき誰かが叫んだ。その声に、高校生は一目散に逃げた。

『大丈夫?』

手を差し伸べてきたのは将と同じ年ぐらいの少年だった。

こんな盛り場をうろついている少年には珍しい、きりっとした濃い眉毛と意思の強そうな目を持っていた。

だが、たぶん中学生ぐらいなのに、ピアスをしていたし、某サッカー選手を模したであろう髪型の黒髪は天に向かって立っていた。

『目立つね、それ』

少年は将の金髪頭を指した。そこには笑顔があった。

『一緒に来る?』

少年は顎をしゃくって将を誘った。

その目付きはなんだかガイジンの俳優みたいに余裕があってカッコよかった。だから将は、ついていったのだ。

これが、島大悟との出逢いだった。