第74話 それぞれの年末(2)

将とのこと、博史とのことを舌にのせようとしたとき、携帯が鳴った。メールの着信である。

初美に断って、メールを見る。将からだ。
 
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さっきは言い過ぎた。ごめん。将
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短い一言だったが、聡はかなり救われた。

聡の表情の変化は、初美にも伝わったらしい。

「好きな人から?」

「……うん」

聡は携帯を閉じながら微笑んだ。

「悩みは、解決したの?」

初美はいたずらっぽく微笑を返した。

「……少しだけね」

そう。事態が進展したわけではない。だけど、心はずいぶん晴れた。

聡は、自分の心のありようさえ決めてしまう将の存在の大きさを噛み締めていた。

 

 

「将、さっきから何、携帯ばっかいじくってんだよー」

ゲームをしていた大悟はとうとう将にツッこんだ。将はさっきから携帯を開いては閉じ、閉じては開いていた。

それを繰り返して……ようやく、聡に短い謝りの言葉を送信できたところだった。

「アキラセンセーだろー」

井口がゲームを交代しながら言った。

「先生ぇ?」

大悟が不思議そうな顔をする。

「こいつ、担任とデキてんだぜ」

井口が面白半分に大悟に告げ口する。

「ウッソ、マジ」

大悟は冗談だと思い込んでいる顔だ。

「マジ、マジ。でもまだキヨい仲らしいけど。コイツらしくないよなー」

という井口に対してやっと将は

「別にデキてないよ」

とゲームのリモコンを奪いながら答えた。照れてるという感じではなく、そっけない感じである。

「またまたぁ」

「なーんか、彼氏が結婚早めたいらしいぜ」

将はゲームに意識を飛ばしながら、抑揚もなく言い捨てた。

「ウソっ!……だって、アキラセンセ、ここに毎日通ってたじゃん」

「知らねえーよ」

将は答えながら画面に現れる敵をバカスカやっつける。

こんな風に、博史も消してしまえたら。聡は自分だけのものになるだろうか。

そんな将に、井口は、どんな言葉をかければいいかわからない。ただ、将の気持ちは……わかっている。わかっているだけに困った。

「いくつぐらいの先生だよ」

大悟の問いに対し、井口が代わりに答えてやることにする。

「さー?23ぐらい?けっこーかわいくて、足キレイで、しかも巨乳」

と少しでも明るい雰囲気にしようと茶化す。

「26だよ」

将はゲームに目をやったまま、井口の言葉を訂正した。

「えー!アキラセンセ、そんなになるんだ!みえねー!9も年上!」

騒ぐ井口に、大悟が

「まあ、将の年上好みは今に始まったことじゃないけどな」と含み笑いをした。

「え」

大悟を振り返ったおかげでゲーム中で将はやられてしまった。

「そんな……、ヒトのことを年増好きみたいに言うなよっ!」

思わず将はムキになる。年上だからという理由で聡を好きになったわけではない。

「でもさー、結構、将、年上に可愛がられるタイプじゃん」

将の中学生時代の女性関係を知っている大悟である。事実だから将は口答えできない。

実際、将は最初の女も含めて、年上に好かれ、また付き合ったと思う。もっとも、中学時代の将にとって、年下はほとんど『お子様』に思えたからなのだけど。

「ところでさ、昨日の髪の長い子も将の元カノ?」

大悟は井口を振り返った。

「ああ、瑞樹?」

井口の口からこぼれた名前に将の目が鋭くなる。

「何、瑞樹がどうかしたの」

「なんかさー、昨日お前がちょっと留守にしてるときに、たぶん瑞樹だと思うけどー、髪の長い女が来たんだってー」

「そうそう。目がこんなにでっかくてキレイな子。でもすっげー顔色がまっさおでさ」

井口の説明に、大悟が指を丸めて目をかたどりながら、補足をする。

「元カノなんかじゃねーよ」

将は吐き捨てるように言った。

瑞樹が聡にしようとした企み。将が邪魔したから成就することはなかったが、将はそれを決して許していない。

「そういや、瑞樹といえばさあ。お前がここを追い出してから、前原んちに入り浸ってたらしいけど、ホントかな」

将はそれを初めて聞いた。

「何それ」

井口に訊き返す。

「いや、まえにサ、前原が自分で言ってたんだけど、『瑞樹がうちにいる』って」

将は前原の、隈取をしたかのような目を思い出した。

瑞樹は、事情があって……母の再婚相手である義父に迫られているから……家に帰れないと言って将の家にずっと泊まっていた。

その瑞樹が将の家を追い出されて、こんどは前原の家に泊まっていた。『泊まる』というのは将にもしていたように、やることをやっていたのだろう。

その瑞樹が、自分の家に再び現れた、というのは。

なんだか将は嫌な予感がした。

 

 

 
12月31日。

将は井口、大悟らと一緒にクラブのカウントダウンイベントにいった。井口は大ノリで得意のダンスを披露していた。

「上手いなァ。プロみたい」

大悟は井口のダンスを見て、大音量の音楽に負けないよう、叫ぶように言った。

「ホントー!ねー!」

隣にいる今知り合ったばかりのギャル系女子が黄色い声で相槌を打つ。

「なんか、本気で習ってるらしいけど」

将はカシスソーダをあおりながら大悟にだけ聞こえるように教える。

実際、聡の企画した社会見学に刺激された井口は自己流のレッスン以外に、そのときプロに教えてもらったスタジオで本格的にレッスンを始めたのだ。

そのレッスン費用のためにバイトも始めるらしい。

「すごいね~!」

将の隣のギャルにも聞こえていたらしい。ギャルは将と大悟の会話に積極的に参加しようとしているらしい。

明るい感じの可愛いコだったが、正直なところ今の将にはウザかった。

もともとイベントにあまり気乗りのしない将は言葉も少なく、やはり隣にいるギャル系の質問にも

「ああ」とか「うーん」「そうそう」程度に適当に答えている。

そういってるうちに今年もあと30分以内に迫ったクラブは踊ろうにも体を揺らすのが精一杯なほど込み合ってきた。

将たちもフロアに出ることにした。

飛び交う鮮やかなライトに自然に体が動くほどに響く重低音。

しかし、将はふいに体をとめてしまいたいほどの思いにとらわれる。

――聡。

この年末、将の脳裏にはいつも聡がいた。

聡から掛かってきた電話で、ひどいことを言ってしまった。聡に見捨てられたくないのは自分のほうなのに。

しかし、どうしても電話をかけられなかった。かろうじて短いメールを送れたが、そんなものは自分の思いのすべてではない。

表面のフォローだけなのだ。そのフォローメールに聡からの返信はこれまた短いものだった。
 
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こっちこそ本当にごめんね。
年が明けたら直接話したい。
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何を直接話すんだろう。まさか最悪の内容ではないだろうが、と思いつつ将の心は不安になる。

聡を失うことが、今の将にとっては一番の恐怖である。

この東京を襲うかもしれない大地震よりも。無一文になることよりも。そして死よりも。

だからどんなに楽しいイベントも、ゲームも、美味しいものも、もはや将の心の穴を埋めることはできないのだ。

DJが腕を高く上げて、カウントダウンを始める中、将は祈るように聡のことを考えていた。