第79話 1300キロを越えて(3)

 
まず最初は、集合写真だ。

「これが聡で、これが俺。1年のとき学級委員だったんだ」

一番前列で教師の両側に二人はいた。まだ幼さが残る顔だ。

「あんまり今と変わんないじゃん」と大悟。

「おっさん白髪増えたけどね」

とよけいな口を叩く井口のおでこを秋月が『コラ』とこづく。

「おおっ、これ運動会?」

ブルマー姿の聡と秋月のツーショットに思わず皆の目が集まる。

「これは、1年のクラスマッチかな」

「……昔はそんなに巨乳じゃなかったんだな」

「どこ見てるんだよッ!」

こんどは大悟が井口をこづく。

たしかに、足を付け根から剥き出しにしたブルマー姿は清楚な感じだ。

ぴったりくっつくわけでもなく、少しだけ間をあけて立つ秋月との関係は、将にとって安心できるものだとすぐわかった。

「今は女子も短パンなんだろ」

「てかウチはみんな夏でもジャージ着てるけどー」

秋月と井口、大悟のやりとりをよそに将は食い入るように昔の聡を目で追った。

自分と同じ年頃の聡。

仲良しだったという秋月だけあり、聡が写っている写真は多い。

遠足、クラスマッチ、キャンプ、運動会など行事ごとに写真が残っている。

みんなで行ったという海水浴では、目隠しをしてスイカ割りの棒を振り上げているパレオを巻いたビキニ姿まであった。

が、細身の体はまだ発育途中らしくすがすがしい線をつくっていた。

この頃はいずれの写真も、すこしふっくらとした顔にくったくのない明るい笑顔が特徴的だった。

制服も短くしすぎず、田舎の進学校に通う、健全な女子高校生がそこにいた。

将とはあまりにかけ離れていた。

もし目の前にこの聡がいて、果たして好きになっただろうか。

いや、自分は好きになったとして、聡の側は、おそらく将のことなど歯牙にもかけないだろう。

アルバムをめくっていく。

「これ何?」

将が指差した一枚の写真には派手な、たぶんパンクバンドが映っていた。

髪を立て、素顔がわからないほどの化粧をほどこした女性ヴォーカルが中央に映っている。

「聡だよ。2年のときの文化祭かな」
「ええええ!」

一同、宿中に響くほどの大声で驚愕した。秋月がさすがに「しぃ!」と指をたてる。

NANAもびっくりといういでたちである。

「センセーこんなのやってたんだー!」
「すっげー」

井口も大悟も目をみはって写真を見直した。

「このときは、このバンドのヴォーカルの子が急に盲腸になっちゃって、聡が代打で出たんだ。ほら、聡、帰国子女で英語できるだろ。英語の歌を3曲だけ歌ってさぁ」

「すっげー……」

将は、聡のパンク姿を見つめた。

破けまくって、足をまるで覆っていないジーンズに、これまた破けていることも関係なさそうな網のタンクトップからは黒いブラジャーが見えている。

ジャラジャラとつけたクロスなどのアクセサリーは重そうで、髪は根元を高く立てて。黒い口紅に黒々とアイラインを入れた目は、強く観客を睨みつけている。

『照れ』とか、『あがり』がまるでなさそうな、堂々たる迫力のステージが聞こえるようだった。

「でさ、このときだけのつもりだったらしいけど、結構人気がでちゃって、何回かライブでヴォーカルやってたよ。……でこれが、聡の元カレ」

聡の後ろでベースを弾いている男を、秋月は指差した。

ヒュー、と井口が口笛を吹く。

下をむいて演奏に集中しているこの写真ではよくわからない。

将は卒業アルバムを手に取り顔写真を探した。秋月がそれに気付いて、該当ページを開いた。

「この人だよ」

将は目を近づけて、東というその男の写真にガンを飛ばした。悔しいけどイケメンだ。

「センセとこの東クン、どんくらい付き合ってたの?」

将の代わりに井口が訊いてくれた。

「高2の夏から卒業まで、かな」

「へーそう、じゃセンセ食われたかな」

遠慮もない井口だが、秋月は薄く笑ってタバコに火を点けると

「たぶんな」

煙と共にと言い放った。淡々としたようすだ。

将はまた、文化祭のところまで戻った。その後、聡の写真は激減している。特に秋月との2ショットは皆無になってしまった。

修学旅行の電車の中らしき写真など、大勢で写っているものばかりだ。そして、そこに映る聡の横には必ず、あの東がいた。

頭をお互いのほうへ傾けたり、大胆に肩を組んだものまであった。1年のときと違って表情が大人っぽい。

将は、聡をこんなふうに成長させた、写真の中の東に激しい嫉妬が湧き起こるのを感じた。

「秋月サン、この東って人にアキラ先生を取られたの?」

大悟が鋭い質問をした。皆に倣って聡のことを『先生』と呼んでいる。

「……バレた?最近のコは鋭いなあ……。ま、昔の話だけどね」

秋月は煙を吐きながら目を細めて笑った。

食い入るように写真を見ている将に秋月が

「鷹枝くん、だっけ。ちょっと東に似てるよ」
「え」

将は顔をあげて秋月を見あげた。そして訊いてみる。

「アキラ、いや先生は、この人とその後……?」

「さあ。大学入ったら自然消滅したって聞いたけど」

秋月は煙草の煙をひと吐きすると、煙草を灰皿に押し付けた。

将は、なんだか嫌な気がして薄まった焼酎を一気に飲んだ。

「ぶっちゃけ、聡が好き?」
「ゲホ!」

突然秋月に単刀直入されて、将は激しくむせた。

「ごめん、ごめん」

秋月は笑いながら水を差し出した。

将の咳がおさまるのを待って、秋月は静かに言った。

「正直、俺、鷹枝くん、若すぎると思うけど……。でも聡が好きだっていうんだからいいと思うよ」

将は驚いた。

「そんなこと、アキラがいったの?」

「うん。ついさっき。……ちょっと酔ってたからね」

秋月は2本目の煙草に火を点けると、将のグラスに焼酎を注いだ。

それを将は一気に煽った。腹の底が、心と同じように熱くなった将は立ち上がった。

「俺、行ってくる!」
「どこに」

井口が将を見上げる。

「アキラんち」
「もう12時になるぜえ」

大悟も暗に迷惑だぜ、という。

「さすがに飲酒運転はヤバイ。……送ろっか?」

秋月だけがくわえ煙草のままだけれど、将の肩を押した。

「ハイ!」

秋月はうなづくと、「じゃ、行こう」と素早くカウンターを出た。

 
 

 
いつのまにか上弦の月が空をりんどうのような色に明るく照らしていた。

聡の家は車だと本当にすぐだった。それは古い民家がこみ入った小さな通りにあった。秋月は通りの手前で送迎用のワゴン車を止めた。

「この小道を入って最初の門が聡の家。聡の部屋はたぶん玄関に向かって右横すぐだから……じゃ、Good luck!」

といたずらっぽい顔で将を送り出した。

秋月の車が走り去ると、しんとした寒さだけが残った。将は震え上がりながら月明かりの中、聡へ会いに行く。

川というよりは溝といったほうがいい流れが静かな夜にチョロチョロと響いている。

――あった。

元武家屋敷だという聡の家。溝に掛かる石橋を渡り、利休色に変じたこれまた古式ゆかしい木の門扉を押してみる。

それは無用心にもたやすく開いたが、『ギギー……』という音が途中で大きく鳴り、将は飛び上がりそうになった。

 

 
聡は、ちょうどいい具合に酒が入っているにもかかわらず眠れずにいた。

将が、自分に逢いに、はるばる東京から萩までやって来た。そのことだけで胸がいっぱいで、体中の血液が駆けめぐるのが止まらない。

――どうしよう。

もう聡の気持ちはセーブできない。この押さえられない思いのままに、将を選んでしまってもいいのだろうか。

聡は久しぶりの自室のベッドで寝返りを何度も打った。体が火照っているのか、今日は木造の古民家の冷え込みが気にならない。

と。門が開く、ギギー……という音がした。

今日最後に帰ったのは聡である。

――しまった。門を閉め忘れたんだ。

酔っていたせいか、門の鍵を閉めないでそのまま家に入ってしまったらしい。

――犬でも入ってきたのかしら。

聡はベッドから起き上がって、カーテンを開けると、ガラス越しに門のほうを見ようとした。

そのガラスのすぐ外、聡の顔の目の前に男がいた。泥棒?痴漢?

(キャ)

すんでのところで悲鳴が出るところだったが、その前に、聡の目は月明かりの中に将の顔を判別することができた。

聡はあわてて鍵を開けてサッシをからりと開けた。古民家だが、寝室だけサッシに変えているのだ。

冷え込んだ冬の夜の空気と共に、浴衣羽織姿の将の上半身がなだれ込むように飛び込んできた。