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12◆人殺しとテストと
「なにやら鷹枝のやつ、ガリ勉してますなあ」
将の勉強ぶりは職員室でも話題になった。
「中学校の復習のようですが、今日は、N高校の入試問題をやってるようでして、いきなり質問されて焦りました」
というのは数学の教師だ。
「そうですか、国語の時間にはR高校の問題をやってましたよ。質問はなかったですが……古城先生、補習で何か喝を入れられたんですか?」
将のテストの問題をパソコンで作成しながら
「いいえ、何も……」と聡はお茶を濁した。
まさか、テストの成績次第でデートする約束をしたなんて言えない。
◇ ◇ ◇
あの日、うっかり寝てしまった聡が、次に目を覚ましたのは暗くなってだった。
目を覚ますと、将はまだ勉強していた。
「……ん?鷹枝くん? ……まだ勉強してたの?」
「あ、先生、やっと起きた?じゃ俺帰るよ」
「え?あ、今何時?」
もうすぐ7時だよ、といって将は立ち去ろうとした。
「もしかして待っててくれたの?」
「うん。だって俺が帰っちゃったら、鍵開きっぱなしでキケンだろ」
「起こしてくれたらよかったのに」
聡は教え子、しかも男子生徒の前で油断して寝てしまったのが少し恥ずかしかった。
「だって、あんまり気持ちよさそうに寝てたから。じゃ。先生。デートの約束忘れるなよ」
◇ ◇ ◇
今日は約束の金曜日だ。あと1時間終えれば約束のテストだ。
この1週間、将は集中して勉強した。
話題になったのは、職員室だけではない。クラスでも気味悪がられていた。
めったに来ない将が毎日出てきている。そして勉強ばかりしている。
クラスには変な緊張感が流れ、授業中もシーンとしていた。
特にとばっちりを受けたのは、不良仲間だ。
アジトというか、溜まり場にしていた将の家を追い出された。
『うちに泊まるのはかまわないけど、俺の邪魔をするな』
と将本人に言い渡されたからだ。
それでもこっそり女の子を連れ込んで酒飲みゲームをしているのを見つかって、ぶん殴られたやつもいる。
殴られたユータが頬にシップを貼ったまま
「あいつ、気が狂ったんじゃない?」と呟いた。
「てか、アキラちゃんに夢中なんでちょー?」というのは難を逃れたカイト。
視聴覚室で聡の腕を押さえつけていた二人だ。
「ゲロゲロ、カンベン、いくつ年上だよ?」
と井口がピアスだらけの顔をしかめた。
将が聡と二人で(屈強教師の監視つきだが)放課後に補習をしているというのはクラスの皆が知っていた。
これまでは夜遊びするときに、気前よく将がみんなの分のお金を出していたのだが、それも期待できなくなってしまった。
瑞樹はシャーペンの芯を出したりそれを指先でひっこめたりして弄びながら、一番前で授業も無視して勉強しているらしい将の背中を睨みつけていた。
家に帰りたくない瑞樹の事情を知っているから、一応家には泊めてくれるが、先週以来一度も相手にしてくれない。
誘っても「眠いからやめて」と完全無視だ。
実際、夜は早い時間からすべての機能を停止したかのように眠ってしまっている。
それに、瑞樹は見ているのだ。
聡の補習に将が出かけるときの、ポーズではだるそうに見せていて、楽しそうな目を。
―――なんであんな
そのとき指先に強く押し当てたシャーペンの芯が折れた。
「っつ……」
桃色をした瑞樹の、人差し指の皮膚の先に黒い芯が刺さっている。紅い血がみるみる滲み出した。
その横でチャミとカリナは、昨日放課後に買った髪飾りやらアクセサリーやらを机の上に広げ、他の女子生徒と共に品評会をしていた。
「かわいいー!」
「昨日××いったらちょうど安売りしてて超ラッキー」××とは若者が集まる町である。
「ありえなーい!超カワー!」
というたわいのない甘い声。
が、何かの拍子か、ネックレスの細いテグスがちぎれ、ついていたビーズやトンボ玉が散らばった。
「キャー、拾って拾って」
その1つが瑞樹の椅子の下に転がった。
「ごめん」
チャミがそのトンボ玉を拾おうと屈むと、瑞樹はおもむろに立ち上がり、玉を上靴のかかとで踏みつけた。
ボリっという鈍い音と共に、玉はバラバラに砕けていた。
「ちょー何するんよ。ひどくなーい?」
「何?何か文句ある?」
瑞樹は横目でチャミを睨みつけた。その光る瞳と白目に圧倒されて、チャミはだまりこんでしまった。
将は、一番前の席で難問の練習問題を解き終わって、伸びをしていた。
元の体勢に戻るときに、床を転がってきたキラキラした玉に目がいった。
足元で止まったので拾い上げる。将が玉を拾ったのを見て、玉を追ってきたカリナは凍りついた。
いや、見ていたチャミやみんなすべてが固まった。
「あ、あの……」カリナは意を決して将に話し掛けた。
「これ?……ハイ」
将はカリナの手の中に、玉を落とすと何事もなかったように机に向かった。
「チョーヤバかった、見てるほうが怖かった」
チャミは席に戻ってきたカリナに囁いた。
「でもさ、……人殺しに見えないよ。鷹枝君」
カリナは将の背中を見ながら呟いた。
「……まあね。それに超イケメンだしね」
「優しそうだった」
「おっとお。でもあの瑞樹とつきあってるんでしょ。そーだ、ちょー聞いてよ瑞樹ってばあったまくるー……」
クラスでは『将は人を殺したことがある』というまことしやかな噂が囁かれていた。
そしてクラスの誰もがそれを信じていた。ゆえに、めったに学校に来ないというのも、納得されていた節がある。
「フン、いい気になりやがって」
教室の隅でつぶやいたのは、あのとき将に顎をやられた前原だ。
「……人殺しがよ。本当はあいつのほうがカンベツ送りのはずなのによ」
将の後姿を憎憎しく見つめていた。
金曜日の6時間目は自由学習の時間となっている。
従来であれば図書室を利用したり、ボランティア活動をしたりする時間だ。
その時間から、特別に許可をもらって将のテストを始めることになっていた。
教頭や教師たちには、このテストの成績がよかったら、努力を認めて、放課後の補習から解放することにしたい、と話して許可をもらっていた。
2時間30分で5教科、しかしその問題は、聡が自ら、難関校の受験問題から難問を選りすぐって作成したものだ。
「古城先生も恐ろしいテストをつくりましたねー」と教師たちは笑った。
すべての教科で60点以上も取れれば日本全国どんな一流高校でも受かるだろう。
この学校の生徒がやっても20点も取れない者が大半で、おそらく将とはいえ1週間の付け焼刃では40点にも届かな
いだろう、というのがこのテストを見た教師の意見の大半だった。
とどこおりなくテストが終わって、聡が採点する横で将は祈っていた。
慎重に……マーカーの音がシューッと少し長い音がするときは○で正解。
シュッと短い音のときは間違い。その音が聞こえるのを将は恐れた。
1教科平均15題の問題はすぐに採点が終わった。
「終わりました」聡が宣言した。
「すごいよ。国語が95点、数学が100点、理科が90点……」
思わず将がよっしゃ、と拳を握る。
「社会が85点、英語が70点」
ガクッと肩を落とす将。
いくら頭の回転が速い将とはいえ、たった1週間では記憶系教科の網羅には足りなかったのだろう。
特に英語は長文問題がキツかった。
「でもすごいじゃない!すごいよ、鷹枝くん!たった1週間で」
聡ははずんだ声をあげた。まさかここまでいい成績をとるとは。
「鷹枝、お前すごいじゃないか」一緒に監視していた多美先生も驚いている。
「でも……。俺、90点以上とらないと意味ない……」
将はしょぼーんとうなだれた。
「なんだ、その90点てのは?」
いぶかる多美先生の横で聡はなぜか笑いがこみあげてきた。
聡とデートしたいがためにそこまで必死になるなんて。しかもダメでうなだれている。
―――なんてカワイイやつ。
聡はなんだか、しょぼくれる将をぎゅっと抱きしめてあげたい気分になってきたのだ。