第10話 登校(2)

将が目をさますと、隣で寝ていた瑞樹はいなくなっていた。

安心して無防備なあくびが出る。睡眠は記憶と共に罪悪感を薄めてくれていた。

リビングへ出ると『酒飲みゲーム』をしていた奴らがまだ2~3人寝ている。

みんな他校のやつらだ。クラスメートは瑞樹も含めてみんな学校へいったらしい。

昨日いた中学生らしい女の子ももういなくて、将は心底ほっとした。

顔を洗おうとして、頬を殴られたことを思い出した。冷えピタのおかげでだいぶマシになっているが、まだなんとなく腫れている。

しかし、そんなことより将が思い出したのは「アキラ」だ。

急いで学校にいかなくては。昨日、実家からもってきた制服を着ようとする。

が全体的にキツイ。袖も足も丈がやはり極端に短い。この制服をつくってから将は10センチも身長が伸びていた。

足などはすね毛が見えていてたいそうみっともない。

ボタンを留めようとシャツの前を無理やりひっぱると脇の下の縫い目がビリっと裂けてしまった。

細身な将ではあるが、身長だけでなく横幅もそれなりに増えたらしい。

将は仕方なく、昨日と同様のTシャツとジーンズにパーカーをひっかける。そして聡が落とした携帯を握りしめると、急いで学校に向かう。

学校への道、将は全速力で走った。走って走って走って、教室の入り口をあけた。

――いた。

教壇の上に、聡の姿を確認した将は、安堵で力が抜けそうになったのだ。 

 
 

将は、頬を少し腫らしたまま、でもツカツカと聡に向かって歩いてきた。

大遅刻したからか、息こそ荒いが、まったくものおじしていない。

「おはよ、先生」

将はそれだけいうと何故か教壇の上にあがって聡の方へ近づいてくる。

聡は何か注意すべきだとわかっていたが、動悸がして何も言えない。

 
 

さっき、職員室で。わずかな時間の間に、聡は自分のクラスの生徒のファイルを見直していた。

そして昨日、自分を襲った生徒の顔と氏名を一致させた。

そういえば……二学期が始まるずいぶん前、臨時教師が決まったばかりのときに、教頭からこのファイルを見ながら、要注意の生徒について説明を受けていた。今頃になって思い出す。

昨日の生徒は、教頭の説明と見事に合致した。

そして「東大生、山田」と嘘をついていた「ショウ」と呼ばれていた少年も確認する。

――あった。鷹枝 将。

ポイントが一人だけ極端に低い。

データに貼付された写真には、憮然とした表情ながらなかなかの美少年が写っていた。しかし昨日の彼と比べると段違いに幼い。

写真の中の彼はまだ子供……少年だが「東大生山田」は、青年……大人だった。

あのとき、教頭は写真を指差して

「鷹枝将。一番の問題児です」

吐き捨てるように言った。月に一度程度しか登校しないのがどうやら低ポイントの原因らしい。

試験も受けていないので1年生の終わりで退学になるだろうに3月に高いポイントを獲得している。

コメントに「ボランティア」とあった。

「ここだけの話ですが金銭的な貢献、つまり寄付です。彼の父親は与党の有力者でね。官房長官の鷹枝康三、知ってるでしょう?」

「そのうち、イロイロ噂を聞くでしょうが。とりあえず今はおとなしくしてるので、ヘタにあまり関わろうとしないほうが賢明です。問題児ではあるけれど、学校としては在籍していてほしい生徒なので」

なるほど、官房長官の息子が在籍していることは、私立の底辺校にとってはメリットが大きいのだろう。

ファイルには、㊙情報として、IQ値が記載してある。その数値に思わず聡は「ウソ!」と小さく叫んだ。

その値は、テレビのIQ番組に出ればトップレベルの数値だった……。

 
 

身構える聡をよそに、彼は体を水平にすると聡の背後……黒板との間ををすり抜けた。

クラス中がその動向を見守っていた。

将は教壇を降りると

「どいて。そこ俺の席」

一番前、聡が立っている教卓のすぐ脇の席に座っている丸刈りの生徒に将は言った。

「ここは僕の席ですっ!」

と丸刈りは主張した。

「あぁ?」

将の眉がいびつにいきり立った。

「将、席替えしたのよ。アンタはこっち」

瑞樹が後ろから将に声をかけた。将は瑞樹が指す一番後ろの隅のその席を一べつすると、

「俺、前がいい。お前、替われよ」

と丸刈りの少年に向き直った。

「嫌ですっ」

丸刈りも負けていない。

「何……」

将が鋭い目でにらみつけるのを見かねて、丸刈りの隣の席の、ハンカチを鼻にあてた男子が

「あの、ここでよければ、替わります」

と将に席をゆずった。ちょうど教卓のまん前になる。

「悪いね。サンキュ」

将は睨んでいた形相をいっぺんさせて一瞬笑顔になり、次には澄ましてその席に収まった。皆あっけにとられた。

「た、鷹枝くん。制服はどうしたの」

聡は将に注意をした。教師らしい台詞を頭の中で検索してやっと探した言葉だった。

「制服ですか?」

「そうよ」

「……ああ、着ようとしたんですが破けました」

聡は「すぐに制服を直すなりつくるなりしなさい」としか言えない。

「はーい」

素直に返事する将を不良どもはウソだろ、という目で見ている。

「それに、そこは松岡くんの席でしょ。勝手に変わっちゃ」

「センセー、あいつ鼻炎持ち。チョークの粉ツライのを我慢してたの気づかなかった?」

聡が後ろに移った松岡を見ると、松岡は鼻をハンカチで押さえたまま、おずおずとうなづいた。

その後のHRは、誰も騒がず、静かだった。