第6話 絶体絶命 —古城 聡—

雨は5時間目の始まりには止んだ。やがて雲の隙間から陽がひとすじ差し込んだ。雨に濡れた木々は、9月だとはいえ、名残の夏の香りを強く放ちだした。

5時間目と6時間目の間の休み時間。2年2組は解放されたように生徒が動き始めていた。

「あーあ、今日も6時間かー。だりーの」

机につっぷす、さっきの顔面ピアス男・井口。さきほど聡に「犯すぞ」と言い放った生徒である。

「ちょっと、井口」

携帯をチェックしていた隣の席の葉山瑞樹が、井口の肩をつついた。

「あアん?なんだよ瑞樹」

「ちょ、見てよ」

瑞樹が携帯を井口に差し出す。

新江学園高校の携帯版HPで、各生徒がポイントをチェックできるページが表示されていた。

「ウソ!?」

井口は般若の目をひんむいて、ガバと起き、瑞樹の携帯を奪いとった。

そこには井口春樹の持ちポイントからきっちり100ポイントが減点されていた。

まわりにいたガラ悪めの生徒も井口のまわりに集まってきた。

皆、一様に100ポイントずつ失っていた。

「クソッ!マジでやりやがったな」

「どうするよ」

井口をにらむ瑞樹の白目の面積が広くなり、キツイ顔立ちになった。

「やるか?」

ラテン系の濃い顔の前原茂樹が、分厚い唇にゆがんだ好色さを浮かべている。

「一度教えてやらないと、ね。巨乳先生に」

前原の言葉をきいているのかいないのか、井口は悔しそうに画面を見つめている。そのとき6時限を知らせるチャイムがなった。

 
 

「お疲れ様」

6時限目を終えて、職員室の席についた聡に、紙コップ入りのお茶が差し出された。隣の席の権藤先生だ。

「あ、権藤先生。すいません。私のほうこそ淹れますのに」

聡は恐縮して立ち上がった。

同じ英語で3年生を担当している権藤は、自衛官のような角刈りの血色のよい顔をほころばせた。

「いやいいんですよ。お疲れのようですから」

「すみません。いただきます」

鼻のあたりをくすぐる湯気にまじる茶の香りには憩いがあった。職員室は冷房が効いているので、こんな熱い茶も悪くない。

強面の教師ばかりか、と思ったけど、みんな中身は案外優しいのかも。聡は少しなごんだ。

そんなところへ、女子生徒が二人、職員室へおずおずと入ってきた。

茶髪にドロップのようなヘアピンをつけた背の低い女子と、日に焼けたサーファー風の二人だ。

権藤が目を柔らかくしたところを見るとまじめな部類の生徒なのだろう。

「おう、村上麻美に豊川香莉菜。どうしたんだ」

「あのぉ……。あたしたちぃ、映画鑑賞部の顧問をぉ……。古城先生にやってもらいたくてぇ……」

背の低いほうが話し始めたが、言葉は尻切れとんぼになって、二人とも下を向いてしまった。

「ああ、辞めた今井先生が顧問だったもんな、いいじゃないですか?」と権藤。

「……」二人とも、下を向いたままだ。

(いいなよカリナ)
(ヤダあたし)

香莉菜も麻美もコソコソと下をむいて、つっつきあっている。

「なんだ、お前たち?」さすがに権藤が不審に思ったようだ。

「ああああの、そっそれで今から視聴覚教室に……」

麻美のほうが意を決したように口を開いた。

「ああ、まだ活動してんのか……行っても大丈夫ですよ。古城先生。映画部は比較的マジメで可愛い奴らばかりですよ」

「でも今から職員会議じゃ……」

すぐ後に教職員全員参加での職員会議が予定されていた。

「あっあの、みっ……みんなに挨拶だけでもお願いします……」

麻美の声は、最後の方は消え入りそうだった。なぜか必死の目で訴えている。

「わかりました」

生徒の必死の願いに、聡は席を立った。

「少しだけ遅れますけど、大丈夫ですよね」

「ああ、大丈夫ですよ。僕の方から説明しておきます」

 

職員室を出ると、なぜか香莉菜が泣きそうな顔をして顔をブルブルと横にふるわせた。

麻美がそんな香莉菜に『バカ』とこれまた必死な顔。

「……どうしたの?」

「い、いいえ」二人思わず声が揃ってしまった。

廊下の壁が、ガラス窓を通して落ちる直前の太陽により茜色に染まっている。

狭い校庭は、水はけが悪いらしく、一面の水溜りになっていた。

その静かな鏡のような水面に金色に染まる雲が映り、校庭はそこが泥水でなすすべもない地面であることを忘れさせる美しさになっている。

「あの……。ここが視聴覚教室です……」

視聴覚教室の扉のまえで麻美&香莉菜はあとずさりする。

「え、何?」二人は一気に逃げていった。

「映画部のチャミにカリナ、サンキューよ」

かわりに視聴覚教室のドアから現れたのは、あの顔面ピアスの不良生徒・井口らだった。

「何?あなたたち」聡はあとずさる。

彼女の後ろにはいつのまにか仲間の不良がガムをくっちゃくっちゃ噛みながら立っていて、あとじさる聡を受け止めた。

「先生の教育指導にお返しせんと、と思ってサァ」と井口。

「ね?」後ろにいた唇の分厚い茶髪が聡の耳元でいやに優しく囁いた。

息が耳たぶに吹きかかる。むせるような若者の体臭。気持ち悪さで背筋がぞくっとした。

次の瞬間、視聴覚室の中に向かって突き飛ばされた。片方の靴が脱げて転がった。

 

「ホラホラっと」

聡は、視聴覚教室の奥の準備室まで連れ込まれた。

聡が床に倒れこむと、すかさず金髪と茶髪の男子生徒が聡の両腕両足を一人一本ずつ床に押し付ける。

聡は大の字の姿で、標本に止められた蝶のように動けなくなってしまった。

いや、まだ生きているから必死で体をよじろうとする。

男子が「なんだよ」「無駄なんだよ」といいながらそれでも押し付ける力を強くする。

聡を押さえつけているのは知らない顔ばかりだ。他校生だろうか。

「やめなさいっ!何するの!」大の字のまま聡は叫ぶ。

「何するって……先生トロイんじゃない」と女子の声。

デジタルカメラを持った黒髪の女子生徒・瑞樹が準備室に入ってきた。

平然とした顔の女子生徒、それから動画で稼動しているらしいカメラ。

「何でこんなこと。……いつもこんなことをやってるの!?」

「そうだったらどうする、アキラちゃん」

井口が噛んでいたガムを聡の顔にむけて吐き捨てた。

聡は顔を反射的にそむけた。唾液にまみれたガムはサナギのように聡の右頬にへばりついた。

そしてドロリと落ちていった。それでも聡は井口らに顔だけでも向き直った。

「あなたたち、こんなことして、どうなるかわかってるの!」

「うるさいなあ。早くむいちゃえばァ」。

瑞樹のその声を合図に腕をつかんでいた男子が聡の上着を引っ張った。

「あっ!ダメ!何する……」

聡の抵抗も空しく、上着のボタンが次々に飛びちり、聡の上半身を守るのは頼りない水色のレースのランジェリーだけになってしまった。

ヤバイ。どうしよう。

「ヤバイよ。これ」

聡の心の中と奇しくも同じ台詞を見守る男子生徒がひゃっひゃっひゃと笑った。

もちろんこの場合は、ピンチである、というほうの意味ではない。

下着のみとなった聡の白い上半身の豊かさが欲情するほどだ、という意味である。聡は大声で叫んだ。

「誰かァ!誰か!来てください!誰かー!!」

「うるせえよ。誰もこねえんだよ。ばーか」

この視聴覚室は校舎のはずれにあるのだ。

井口はバタフライナイフを取り出して、その刃を聡の顔の前で音をたててかざした。頬ぎりぎりの……産毛まで近づける。

――切られる!

聡はおもわず目を閉じた。

しかし、刃をあてられたのは、ブラジャーの前の一番細い部分だった。

刃先で引っ張られて、あっけなくそれはちぎれてしまった。

聡の胸を守るものはなくなった。拘束されていた白い柔らかい塊が左右に流れた。

体を水平にしているのにそれは一定のボリュームが残っていた。

不良がいっせいに色めき立った。

裸の上半身をこんな悪童の前でさらしてしまったことに対する、激しい憤りと悔しさで聡は歯を食いしばった。

ガキどもは、聡の裸の上半身を見て、口々に卑猥なことを浴びせ掛けた。

「ちゃんと映ってるのか?瑞樹」

同じように卑猥なことを言っていた井口が、カメラを操る瑞樹に向き直った。

「う…ん。なんかぁ、暗いせいか。いまいち」

視聴覚準備室の蛍光灯はあまり明るくない。

「なんだよ」井口は、瑞樹からデジカメを奪ってのぞきこむ。そのすきにも

「まだまだこれから」

と斜に構えて聡の姿を見下ろして楽しんでいた男子の一人が、かがんで聡に近寄ってきた。

さっき視聴覚室の前で聡のわきにたって耳元に吐息をふきかけた茶髪。ラテン系のバタ臭い顔の奴だ。たしか前原茂樹。聡は脳裏でファイルをめくる。

奴は聡のほうへ黒い毛がその半分にも生えた手をにゅっと伸ばしてきた。

そのまま裸の肌に手のひらを這わした。柔らかい膨らみをわしづかみにされる。

聡は本当にふるえがきた。

「ふるえてるの?まさか処女じゃないよね」

ラテンはそのまま聡の黒のズボンに手をかけた。

「やめなさい!」

聡は本当の恐怖を感じても叫ぶ。絶対絶命。腰を床に押し付けて、必死で抵抗する。

「誰かーー! 視聴覚室ーーー!」

聡は、職員室にモニターがあったことを覚えていた。そして視聴覚室を映し出すモニターもあった。

ここは準備室だから異変は映らないけれど、モニターから音声が伝わるかもしれない。

「誰もこねえってば」

前原は聡の細い腰を軽々と持ち上げて、黒のズボンとその下の下着ごとぐいぐいと掴み降ろそうとした、その時。

将がやってきたのはその時だった。