第43話 寝室(4)

「これだけ離れれば問題ないだろ」

将は聡から見てセミダブルベッドの反対側の端に寄った。

それでも、手を伸ばせば届く距離に二人は並んで横たわっている。

コンポの星々を眺めながら、聡は疲れているはずなのに、目が冴えていくのを感じた。心臓の音が暗闇の中に空気も震わすほどよく聞こえる。

目が慣れると、将の体が横たわっている影がよく見える。

将は眠ったのだろうか、沈黙している。数分たって、聡はのしかかる静けさに耐えられず声を出した。

「……寝ちゃった?」
「起きてるよ」

かすれた将の声がして、聡は安心したのか、自分の心境を素直に吐露する。

「なんか……やっぱキンチョーするかも」
「なーんで」

こちらを振り向く将が立てる布団の音と、あいかわらずかすれた将の声。さっき話しすぎて、治りかけた喉を痛めたのだろうか。

「だってサ……」

暗闇の中、こちらを向いた将の視線を感じて聡の胸は息苦しいばかりに振動した。

「アキラ、やっぱ俺のこと、好きなんだろ?」
「……」

また、将は返答に詰まる問いかけをしてきた。聡の心臓どころか、体中の脈がドクンドクンと音を立て始める。
なんで、将は答えられない質問ばかりするんだろうか。わかっているくせに。

「そうなんだろ?」

その声と同時に、将の手が聡の体に伸びてきた。そして、聡の体を、ベッドの中で不意にきつく抱きしめた。

聡は将の匂いを強く感じた。聡の鼻先にある彼の首筋からは、風呂に入っていないせいか、男性の香りが強く香ってくる。

しかしそれは嫌な匂いではなかった。逆に聡の中の『女』を強く目覚めさせるような香りだった。

将の匂いと、きつく聡の体を抱きしめる腕の感触、そして熱い体温。すべてがむせるような将の実体となって聡を襲う。聡はあせった。

「ちょっと、何もしないって言わなかった?」
「何もしてないよ。ダッコしてるだけ」

聡は、体中が熱くなるのを感じた。
本能を制御するどこかが溶けて、それが下腹部の奥から液体となって流れ出すのがわかる。体中が心臓になったように脈打っている……と思ったら、実はそれは将から伝わる音だった。

聡を抱きしめる将も同じように、強い鼓動に翻弄されているのだ。

理性が溶けた聡は抵抗することすら思いつかず、そのままに任せていた。

もう、どうなってもいい――諦めと願いの境界は、聡自身でもわからなくなっている。

そして将は聡の髪に顔を埋めながら、さらに腕に力を込める。華奢な肩がきしむようだ。

自分の腕を聡の背中で交差させて、より彼女の体を自分に密着させようとする。

ひんやりとした、聡の上腕。滑らかで柔らかい皮膚に覆われているが、華奢で細い。腕だけでなく体中の骨が簡単に折れそうな細さなのだ。

将は、子供の頃に買ってもらったヒヨコを思い出した。両手で大事に包むように握る。温かくほわほわの体は、慎重に扱わないとつぶれてしまいそうだった。

腕の中の聡もそんな感じだ。

聡はといえば、そんなふうに撫でられるだけで、背筋がぞくぞくするような感覚を感じていた。
将に触れている全身で「感じて」しまう……そんな危うさが怖いけれど、聡は将の腕から逃れられない。

聡も無意識のうちに、将の背中に手を回していた。二人はしばらく、お互いの鼓動を感じながらそのまま抱き合っていた。

どれくらい時がたっただろう。
狂おしいほどの本能は、優しく穏やかな体温にいつしか溶けていった。興奮は安らぎへと変貌を遂げていった。

 

「将……」

聡は将の首筋に顔をうずめながら囁いてみた。

将は聡を抱きしめたまま無言だった。

聡は熱い体温に抱きしめられたままの状態で、暗闇の中で将の顔を見た。

将は眠っていた。暗い中に将の幸せそうな顔が見える気がした。

――将ってば。

聡はふっと微笑むと、将の胸に顔をうずめた。ゆっくりと打つ、将の鼓動に耳を傾けた。

鼓動を100も数えないうちに、聡も眠りに落ちていった。

 
 

遮光カーテンの細い隙間から朝日が漏れて、将の瞼の血の色を赤く透けさせている。

なんだか体が温かい。おそるおそる目をあけた将の目の前には……。

茶色がかった女の髪の毛――忘れていた将だが、瞬時にそれが聡だとわかった。聡の腕が自分の体に巻きついている。

一瞬びっくりするが、ゆうべの記憶はすぐにフラッシュバックし、将は幸せな気分になった。

朝の光の中で、聡を抱いている。

こんなに幸せで安らいで、それでいてわくわくする朝を過ごしたことがあるだろうか?

聡を愛したときから、将にとって女は世界に彼女一人きりになった。

まだ、男女として交わったわけではないが、その聡と抱き合って眠った。

将は幸せのあまり目が熱くなるのをこらえて、聡の髪を撫でた。

「…んん……」

すると、聡は寝ぼけたのか、よけいにギュッと将を抱きしめてくる。

すると将の腹のあたりで聡の柔らかな胸の感触。

――ヤバ。

その刺激でもう一人の将が、いきなり起きてしまった。

「アキラ、アキラ」

聡の耳もとで将は小声で囁いた。

「うん……?」

聡はようやく目が覚まし、将の顔を見上げた。顔がピンク色に紅潮し、半開きの目は黒目がちに潤んでいかにも眠そうだ。

「……将?」
「アキラ、あんまり胸くっつけんなよ。俺、ヤバイ」

「あ」

次の瞬間、聡の顔がはっきりした。お腹にあたるものは……。聡は一瞬顔を赤くしたが、イタズラっぽい顔で微笑むと、

「すっかり元気じゃん」

と将のおでこをこづいて、さっと起き上がり、ベッドを降りた。

将は聡のむきだしの脚を一瞬目にし、しばらくベッドから起き上がれなかった。

 
 

高い熱は下がり、容態がある程度落ち着いた将だが、喉の腫れはなかなか引かなかった。声もずっとかすれたままだった。口を開けると、喉の奥に大きな潰瘍状の患部の一部が見えた。

あまりに喉が腫れたので、それが化膿したのである。

月曜日の夜までなんやかやと世話をする聡に、将は

「ハスキーヴォイスがセクシーだろ」などと冗談を言って強がったが

夕食に聡が柔らかめに作ったリゾットも

「美味しい」と喜びつつ、顔をしかめて食べている。喉を通るときに相当痛むらしいのだ。

プリンや茶碗蒸し、ゼリーに葛湯といった柔らかいものでさえヒイヒイいいながらようやく喉に通している。

聡が心配だからと、将は翌火曜日から学校に行きたがったが、これでは無理だった。

すると将は、井口に電話をして『前原のやつを聡に近づけないでくれ』と念を押した。

しかし、火曜日に学校に行った聡は、朝の職員会議で前原茂樹の退学処分を知った。

前原は麻薬所持で警察に捕まったのである。