第206話 策略

「将くん、今のシーンだけど。『俺の勝手だろ』の前に1拍間をおいてみたらどうかな。

……前半にも同じセリフがあるけど、この頃には結構政子に気を許してきてるわけでしょ。それを表現するのに」

「ハイ、わかりました。そうしてみます。奄美さん」

リハーサル中の休み。

何度となくある、容疑者の将と弁護士の奄美ユリの面会シーンについて、ユリは将に演技上のアドバイスをしていた。

「お、ユリちゃん。面倒見がいいね」

と通りかかったPが愛想よく声をかける。

「あったりまえでしょー。新人クンに足引っ張られたらたまんないもん」

とユリは言ったが、そういうわりには将に親切だ。

 
 

「あの奄美ユリが新人に演技指導をするなんて……、将、よっぽど気に入られたのね」

とリハーサルを終えて局をあとにした帰りに武藤が感嘆した。

将初出演のドラマのリハーサルは、演技の特訓のかいもあって、問題なく終わった。

むしろ、初出演で演技初体験の新人としては出来がかなりいい、と言える。

来週の本番もそのとおりにできれば文句ない。

それは、将自身も手ごたえを感じていた。

疲れてはいたが、自分は演技をすることに向いているのかもしれない、という心地よい充実感があった。

そのあと、夕食を食べながら、武藤と打ち合わせをする。

将のリクエストで中華だが、オフレコ話ができるよう、念のために個室を取っている。

高級な中華は、将がイメージしている中華料理とずれているが、文句を言わないことにした。

「今日はね。SHOのホームページが立ち上がったわ」

「俺のホームページ?」

将は、どす黒い八宝菜風の野菜炒めに入ったうずらの卵を箸で突き刺して口に運んだ。

「まだ簡単なものだけどね。それで、来週はダウンロード用の着ボイスとかムービーをあいてるときに撮るから。もしアイデアがあれば、言って」

「へー。着ボイスねえ」

照れくさい気がして、将は口の中でつるっとした卵を噛んだ。

「それから、将、パスポート持ってる?持ってなかったら早速申請するから」

「何で?」

「実は、5月に急遽『ウルウル滞在日記』の仕事が入ってね」

「うっそー!あの『ウルウル滞在日記』?」

将は驚きのあまり、皿の上に屈みこんでいた上半身を起こした。口が縦に丸くなっている。……日曜日にある聡の好きな長寿番組だ。

「どこ、どこ、どこに行くの?オレ」

将はワクワクと武藤に訊いた。

「モロッコ。『サハラ砂漠の遊牧民・ベルベル人とSHOが出会った』……っていう企画でね」

武藤は、その番組の名物ナレーションの口調を少し真似て説明した。

将の耳にもそのナレーションが聞こえるようだった。

「サハラ砂漠~?暑そっ」

「でね。それだけじゃないのよ。その話が決まったら、前から話があった『E』のCMがからんできてね。ほら、あそこ『ウルウル』のスポンサーだから」

『E』というのは、先日、大悟と一緒に参加した雑誌のヤラセ読者モデルのバイトで穿いた、ジーンズのブランドだ。

あのときいた広告宣伝の担当者は将に注目していたんだという。

「最初『E』のロケ候補地はオーストラリアだったんだけど、『ウルウル』がモロッコなら、バーターしようという話になって。それで急遽モロッコで撮影することになったの」

「へー」

なんだか話がどんどん大きくなっているようだ。

「それだけじゃないのよ」

さらに武藤はバンバンジイとくらげの酢の物を手元に取りながら続ける。

「ついでに写真集も撮っちゃおうということになってね。モロッコに行くのにパリ乗換えだから、パリとモロッコで写真集も撮影するから。

……コンポジでお世話になった篠塚先生よ。ついでに『E』のコマーシャルフォトも撮影してくださるらしいわ」

『ウルウル』に『E』に写真集。将は、余りにも膨らんだ話を消化するのに、今口の中にある肉の塊を噛み切るのと同じぐらいの時間を要した。

「どんくらい、あっちに行ってんの?」

肉を飲み込んで、将はようやく質問を口に出した。

「まだ未定だけど……短くて2週間はかかると思うわ」

「えー……そんなに」

将はあきらかに顔を歪めた。

「どうして?」

「だって、学校……」

といいつつ、将の頭にあるのは聡のことだけである。

「学校のほうだけど、ポイントは心配いらないって先生方は言ってくださったわ」

それでも将は口を尖らせたままだ。

そのとき将の頭に聡のことがある、というのは武藤にはわかっていた。

が、無視して続ける。

「戻ったら『ばくせん2』が始まってますます忙しくなるわよ」

「まだ、本決まりじゃないじゃん」

「今日のリハーサルを見れば、下ろされる理由は見つからないわ」

将はそれほど嬉しくもなさそうに、フカヒレスープをレンゲで掬って無言で飲んだ。

「でね……将。考えたんだけど、今のマンションも遠くはないんだけど、これからもっと忙しくなるから、事務所とTV局の近くにマンションを借りようと思うの。

学校に行かないときはそっちを拠点にしなさい」

武藤の提案に、将はとうとう、さも不機嫌そうに顔をはすにして、抵抗を口にしはじめた。

「なんでそんなに忙しいんだよ。俺はバイト程度って言ったはずだけど」

武藤は、箸を置いて、将の顔を見据えた。

「芸能界ってところはね、ヒマか、忙しいか、どっちかなの。そして新人のときが一番大事なの。忙しいことはいいことなのよ」

「てかー。俺、モデル程度だと思ってたしー」

将はテーブルにヒジをついて、レンゲでスープの中を探っている。

無作法は不機嫌のアピールでもある。

「将」

武藤は、それでも、あくまでも親身な声を出すよう努めた。

「今日、リハーサル、楽しくなかった?」

将は押し黙った。楽しくなかった、やりがいがなかったといえば嘘になる。

今日の将は自分でもイキイキしているのがわかった。

「社長から聞いてるけど、彼女がいるんですって?」

武藤の口からいきなり『彼女』という言葉が出たので、将は驚いて、武藤の顔を見つめた。

そのクールな顔の中に、咎めだてする様子はなかった。

「……別れろなんて言わないわよ。うちは恋愛に関しては寛大だから」

と前置きをした上で武藤は、ゆっくりと語りかけた。

「彼女のためにも早く大人として自立したいっていうのも聞いてる。……ねえ、聞いて将。今忙しくて彼女に逢えないのは寂しいと思うけれど。

奄美さんやPにも気に入られるようなアナタよ。きっと実力派の俳優になれるって、みんな期待してるのよ」

「そんな、まだ初出演だし」

将は斜め下をむいて、気のないそぶりをした。

が、武藤には『そぶり』の殻の中にある将の自尊心が嬉しげに震えるのを見抜いていた。

「今、頑張れば、早く若手実力派としての地位が確立するわ。そうやって身につけたものは立派に『手に職』よ。大人として自立するのに、こんなに近道はないと思うけど」

将はあいかわらず黙っていた。

だけど、その俯いた顔からは、反抗の度合いはあきらかに薄れていて、武藤は少しホッとした。

実は、『ウルウル滞在日記』は、同じ事務所の先輩にあたる男性俳優に来ていたオファーを無理やり将のために武藤がもぎ取ったのである。

海外ロケ、人気番組、CMと派手な仕事を立て続けに入れていったのは、もちろん武藤の計算である。

そこにはいくつものもくろみが隠されていた。

1つは純粋に将を売り出すため。……2つめは聡と引き離すためである。

武藤は将や聡に直接「別れろ」などと言うつもりは、事務所の方針同様まるでない。

そんなことをすれば、マネージャーとして一番重要な『タレントとの信頼関係』が失われる、というのを武藤はわかっていた。

そんなことをしなくても、二人が自然に離れていくように、武藤は策略を張り巡らせていた。

まずは将の体が空かないほど仕事を入れて、物理的に二人を逢えなくしようというもの。

しかし、そっちよりむしろ、もう1つのほうこそ、武藤には勝算があった。

それは、派手な仕事をさせることによって、芸能界の面白さ、人の注目を浴びて、大衆に愛される快感に、将をどっぷり浸らせるというものであった。

ひとたびその味を覚えてしまえば、そこから離れられなくなる。

そして、ついには、それを守るためなら、一般人の恋人などは捨てても惜しくないと思うようになる……。

芸能界というところは、そんな、阿片窟のような魔力があるところなのだ。

――それに。アイドルや女優たちが常に手に届くところにいるようになれば、8歳も年上の『アキラ先生』どころじゃなくなるでしょう……。

武藤は一昨日に会った、年に似合わず、桃のように可憐な聡の姿を、目の前の将の姿に重ねた。

それは思いのほか似合っていて……武藤は少しだけ罪悪感を感じた。