第261話 叶わぬ恋(1)

それからしばらくして、あゆみが帰ってきて、大磯の邸宅は再び賑やかになった。

あゆみは聡を見ると

「まあ……素敵なお嬢さんですわね」

と華やかに微笑んだ。そして

「ぜひ、うちのポトフを食べていってくださいね。季節外れだから材料をそろえるのに苦労したとシェフが申しておりましたが。

……こういったら何ですけれど、うちの自信作なんですのよ」

と夕食を食べていくように勧めた。

巌も将も強く勧めたので、聡はそのまま皆と一緒に夕食をいただいていくことになった。

「わたくしは、今日はお台所をさせていただきますので、失礼ですけれど、巌様のお手を揉んでさしあげて」

あゆみは、将と聡に巌の手を揉み解すように言いつけて、忙しく台所に消えた。

「ほっほっほ。忙しい女よのお」

巌はそれでも楽しげにあゆみの背中を見送った。

将と聡は巌の両側に座って、その皺だらけの手を取る。

ハルさんが持ってきた熱いおしぼりで丹念に指の間もぬぐってやると、巌は気持ちよさげに息をついた。

掌を揉んだり、その指を握り締めさせたり、指を一本ずつ開かせたり、肘を動かしたりといった軽いリハビリも行う。

全身が麻痺してしまった巌だが、あゆみはこうして毎日のように手足を揉んだり関節をゆっくり動かしたりして少しずつリハビリをしていたのだ。

「痛くないですか?」

聡は心配そうに巌の顔をのぞきこんだ。

あくまでも優しくゆっくり、ではあるが聡は大胆な角度に肘の関節を曲げさせている。

「気持ちいい。こわばった肘がほぐれるようだ。もっとやってくれ」

そうは言うが、苦痛もともなうのだろう。巌は目を閉じて少しだけ白い眉をしかめていた。だが

「痛い、ということはまだ神経が生きているんじゃ。見ておれ。いまに……箸とて持てるぞ」

巌は嬉しげに呟く。

巌の回復を願う将も右腕を聡と同じように動かしてみる。

そんな3人がいる和室には、そろそろ床の間あたりに薄闇がしのびより始めていた。

ガラス障子に映る庭は徐々にオレンジがかってきて午後も遅い時間に入ったことを告げている。

しかし蝉の声はあいかわらずだ。

今日という日を惜しむかのように鳴き続けている。

巌は、熱心に手の運動を続ける二人を「もうよい」と制すると、

「実はな。二人に頼みがあるんだ」

としっかりとした声で語った。そして将に

『書斎の机の右側の一番下の引き出し。上から3番目にある帳面』

と細かく指示をして、それを持ってこさせた。あいかわらずすごい記憶力だと、将は思う。

「一番後ろの背表紙にI県の住所が書いてあるだろう」

将は少々黄ばんだ古いノートの背表紙をめくる。

たしかに巌が言ったとおり、そこにはI県の住所が書いてあった。

「その村に、安楽寺という小さな寺がある。そこに森村という家の墓がある。

わしが死んだら……聡さんと二人でそこへ行き、わしの骨の一片なりとも、その森村の墓が見えるところに撒いてくれ」

将は巌による『死』という言葉にいきりたち、言葉を中断させようとした。

だが、巌の声音は淡々としながら真摯な響きに満ちていたので、その機会を逸して黙っていた。

聡は巌の顔を一心に見つめているようだ。

「どうして、そんなところに……持っていくんだよ。うちの墓は、東京にあるんだろ」

墓という単語を口にするのに少しためらう。

だけど、あまり過敏になるのは、逆に巌の死が近いものであると自ら認めているようなものだ、と将は気づいた。

だから明るく、少々乱暴な口調でさりげなく口にした。

「いかにも。わしの骨の大部分は東京の墓に入る。そこには先に逝った妻、周太郎たちがいる。

……だが、そっちには……わしが若いみぎりに……きっと添い遂げようと誓ったひとが眠っているのじゃ」

巌は遠い目を蝉の泣き止まない庭に投げた。

「叶わなかった恋ではあるが……。わしは墓のまわりの土となって、あのひとの墓を見守りたいんじゃ」

「前に言ってた、無理やり接吻したっていう小学校の先生?」

将は好奇心旺盛な声に、悲壮感を隠して訊いた。

「いかにも。……よく覚えてるのう」

巌は遠くに行きかけた目を将に向けると笑った。

『死』『墓』という言葉の響きが薄まったような気がして、将は心から安堵した。

「生みの母を早うに亡くし、学校の先生に惚れたというところで、わしはお前のことが自分のことのように思えて仕方がないのじゃ。

わしの恋は叶わずじまいであったが、お前は先生とうまくいきそうだ」

巌につられて、将は傍らの聡を見た。聡は恥かしそうに頬を染めて少し俯いていた。

だけど、その口元はまんざらでもない。

「そのお前たち二人に、わしの骨をあの人の墓のそばにひそかに埋めてもらえれば、わしはたいそう浮かばれる。

あの人もきっと喜んでくれると思うのじゃ……自己満足かもしれんがのう」

巌は言葉の最後を、静かに微笑みで締めくくる。

「ヒージーの好きだった先生って、何て名前?」

将はこの話題、つまり巌の『恋バナ』をしていれば、暗い雰囲気がなくなるかもしれない、と突っ込んでみる。

「うん。彼女は森村先生といった。名は史絵(ふみえ)といってな。前田家に仕えていた武家の出じゃ……」

何十年ぶりになるだろうか。巌は彼女の名前を舌に乗せていとおしんだ。

白い睫にふちどられた将と同じ色の巌の瞳。

それには黄金色に輝く夏の庭が映っていたが、巌自身はそれではなく、遠い記憶を見つめていた。

 
 

明治の終わり、鷹枝巌は東京で生まれた。

このころ薩摩藩士の出である祖父は衆議院の議員を務めていた。その待望の初孫ということで皆に期待と歓迎を受けての誕生だった。

だが、医療が今ほど発達していなかった当時、巌を生んだ母は、産後の肥立ちが悪くて、巌を生んですぐに亡くなってしまった。

衆議院議員の家といえど、それほど裕福でもなかった鷹枝家では、常時乳母を頼むこともできず、

巌は飼っていたヤギの乳を飲んで、それでもすくすくと育った。

巌の父もいつまでも『やもめ』でいるわけにもいかないだろう、と財産家の娘を後添いにもらって自らも衆議院に出馬することになった。

巌が5歳のときである。

継母はすぐに巌の義弟や義妹を次々に生んだ。

 
 

「この継母が、きつい人でのう」

巌は、遠い目をやや下に向けて、吐息のように笑った。

「もう亡くなっているから言うが、長男であるわしは、とかく目の敵にされてのう。

たまったもんじゃなかったわ。今の言葉でいえば『ムカツク』といったところだのう」

「ふーん。アイツと一緒じゃん」

将は同調して笑った。ちなみにアイツとは将の義母の純代のことである。

「ばかめ。一緒にするでない。純代さんのようにわきまえた後添いはいない。お前と孝太をほとんど分け隔てなく可愛がっていたではないか」

巌は目をむいた。とたんにふくれる将にかまわず、

「将。もう1ついっておくことがある。……いいかげん、純代さんを許してやれ。これがわしのもう1つの遺言だ」

将は、そっぽを向きながらも、

「で、それで、どうしたの。ママハハは。センセーはいつ出てくんの」

と続きを乞うた。

「おうよ」

巌は得たり、とばかりに話を続ける。

 
 

社会全体がそれほど裕福でなかった当時である。

継母の態度は、今では考えられないほどあからさまだったのだ。

それでも、長男で後継ぎとされた巌だから、父が在宅のときは、それなりにきちんとしてくれた。

しかし何といっても新人議員の父は忙しい。家をあけることも多く、そのたびに巌はつらく当たられた。

まもなく尋常小学校にあがった巌は、父や祖父の期待通り大変優秀で、毎年のように級長に選ばれた。

それも継母には面白くなかったらしい。

手習いをしているそばを、わざわざ床が震えるほどドスドスと通り過ぎたり、静かに本を読んでいる時にわざと子守りを頼んだり、

作文を読んでやろうといって『これではダメです』とビリビリに破かれたり、さんざんな仕打ちをされた。

父に継母の行いを訴えると、いちおう叱りつけてくれた。継母は父の前では神妙に

『そんなつもりではございませんでした。あいすいませんでした』

と手をついて謝る。

だがそのあと、父の目が届かないところで、頬が伸びんばかりに力いっぱいつねられたり、寒い中の水汲みを命じられたり、挙句、

『そんなに憎らしいわたしのご飯などいらないであろう。毒を盛ってるやもしれぬしな』

と食事を抜かれたりした。

結局とばっちりはまだ幼い巌のもとに倍となって返って来たのである。

だから、いつしか巌は継母の行いを父に告げ口するのはやめてしまった。

男尊女卑の世とはいえ、一家の実権を握っていたのは主婦なのである。

家で疎外感にさいなまされた巌だから、学校は天国のようだった。

勉強も出来、負けん気の強い巌だったから、ケンカも強かった。

家でのうっぷんを外で晴らすがごとく、巌はガキ大将になっていった。

 
 

「ガキ大将、といってもお前の世代にはわからぬであろう」

「ジャイアン、みたいな感じ?」

将は訊いた。

「あのような乱暴者とはちと違うがのう。ワシは歌もうまかったぞ」

おどける巌に、聡はくすっと笑いながらも、100歳でドラえもんがわかるなんてすごい、と内心驚いていた。

ちなみに巌は、将を預かっていたときに一緒に『ドラえもん』を読んでいたゆえに、100歳にして『ジャイアン』が通じるのだ。

「あまりに乱暴が過ぎて小学校3年のとき、初めて級長を落ちた。成績は学級どころか学年で一番だったのだがのう……。

そのときの先生が森村先生じゃ」

小学校3年生のときに、師範学校を出たばかりで赴任してきたのが森村先生だった。

級長という名誉職を剥奪された巌は、当初、恨みを持って教壇の森村史絵を見つめた。

「当時、成績は廊下に1番からドンケツまで張り出されたものじゃ。級長をはずされたわしは、見ておれ、と猛勉強をした」

恨みに燃える巌だったが、当時20歳の森村先生は、他の生徒と同様、にこにこと優しく見つめるだけだった。