第310話 未曾有の大雪(1)

「お疲れさまです」

「じゃあ、早いけど、よいお年を!……クリスマスといったほうがいいのかな?」

主演のベテラン俳優が、将にウインクを返した。

若い頃、美男俳優ともてはやされていた彼は年をとってもそういう顔が非常にチャーミングだ。

大雪で押したドラマの撮影だが、月曜からこの3日は順調に進んだ。

将はたった今、出番が終り、その足で東京に帰るべく、残る役者やスタッフに挨拶をしていたのだ。

新年まで撮影はない。もっとも年が明けると、センター試験直前なのにも関わらず、番組宣伝のバラエティなどに多少は出演しなくてはならない。

「やだなあ……、そんなヨユーないです。受験勉強ですよ」

それはフォローでもあったが、余裕がないというのは将の正直な感想だった。

しかし、心は浮き立っていた。余裕がない、といいながらも明日のイブは、聡と一緒に過ごす約束をしている。

といっても外を歩くのは目立ってしまうから、聡の家で英語を教えてもらいながら二人の時間を楽しむ目算だ。

「そうか、そうだったな。頑張れよ」

「そうだ、将。飛行機、止まってたら連絡して」

スタッフのひとりがかけた言葉に将は、え?と止まった。

なんでもスタッフによると、本州は今朝から大雪に見舞われているらしい。

「カミさんから、学校も休みになるくらいひどいって聞いたから」

その場の皆がへえ、と意外そうな顔をする。

それもそのはずだ。皆を取り囲むまっ白な雪の丘の上には雲ひとつない青空が広がってたからだ。

 
 

将は、タクシーに乗るなり携帯を取り出し、まずは事務所に撮影が終わった旨を連絡した。

このところ将は、北海道ロケに関しては単独で動くことが多い。それはマネージャーの分の交通費までは撮影予算で出ないという事情もある。

だが単独で動けるようになった一番の理由は、最近ようやく騒動が収まってきたというところにある。

空港からタクシーで撮影現場に直行する限り、ファンやマスコミに囲まれて身動きがとれなくなるということはなくなっていた。

事務所への連絡をすまし、次は聡に電話しようした将に

「お客さん、東京行きですよね」

と、ふいに運転手が声をかけた。

「はい」

「東京行き、今、止まってるみたいですよ」

「え?」

「こっちはこんなにいい天気なのに、本州は今、すごい雪らしいです」

運転手は、カーラジオを付けた。

折りよく、ニュースをやっていた。

『本州を覆うこの冬一番の寒気団が今朝から各地に記録的な大雪を降らせています。……積雪量は東京で1時間に10センチ、名古屋で5センチ、仙台で……。
この大雪で、都内を始め、交通は大混乱になっており、羽田空港は視界不良のため、航空機の離発着を見合わせています』

将が東京で経験した一番の雪は、一晩で10センチほどだ。それが1時間に10センチ。

前のシートにもたれかかるようにしてラジオに耳を傾けていた将は、ウッソー、と呟くとシートに寄りかかった。

「こっちはこんなに晴れてんのにねえ」

運転手の明るい調子の北海道なまりは、天気予報に相槌を打つようだ。

「こんな異常気象も地球温暖化のせいかねえ……お客さん、どうします?空港に行っても、たぶん飛行機は飛ばないんじゃないかな」

「いちおう、お願いします」

午後3時をすぎた外は、オレンジがかった陽の色に染まった雪の丘の起伏が見えている。

そのなだらかさは聡の肌を思わせて、将は携帯を手に取った。

23日、祝日の今日だから、電話しても咎められることはない。

「将?」

電話から聞こえる、いとしい声。将は自然に携帯に噛み付くような姿勢になっている。

「アキラ、そっちすごい雪なんだって?」

「すごいよ。屋根がみんなまっ白。東京でこんなの初めて見た」

未曾有の大雪を伝える聡の口調なのに、なんだかのんびりしている。

「まだ降ってんの?」

それに対して、将は自分でも焦っているのがわかる。

「うん。朝からずっと降ってる。……将は撮影終わったの?」

「終わったんだけど……。終わって空港に向かってるんだけど、飛行機が止まってるらしい」

「この雪だもんね。仕方ないよ」

「アキラは、大丈夫?」

「大丈夫。病院は土曜日に行ったし、食料も買い込んであるから」

将が訊いたのはそういうことではない……自分に会えなくて心配じゃないのか。

将のほうは、こうやって声を聞いただけで、焦れがつま先からのぼってきて思わず奥歯を噛み締めてしまうほど……聡に逢いたい。

逢って抱きしめたい。

「俺……、絶対明日までにそっちに戻るから」

「うん」

電話の声だけでは、将の狂おしいほどの決意が聡に通じているかどうかがわからなくて、将は続ける。

「俺さ。クリスマスプレゼント、買った。きっとびっくりする……」

それは撮影のあいまの希少な時間に、ひそかに札幌に出かけて買ったものだ。

聡への愛の証であるそれを、将はいつも持ち歩いていた。今も傍らにあるリュックの中に入っている。

「あたしも、将へのプレゼント用意してる。気に入ってくれたらいいんだけど」

将の心に、温かい聡の声が沁みこんでいく。

気がつくと、窓の外の丘が一面の桃色に染まっていた。

それは聡のぬくもりを色にしたかのようだった。逢いたい気持ちは募っていくばかりだ。

 
 

本州行きの飛行機がすべてストップした旭川空港は、客でごったがえしていた。

その中に、今朝出発したはずの相手役の若手女優の○○谷詩織を見つけた。

彼女も一人で疲れたようにベンチに座っていたが、将を見つけると笑顔で手を振った。

将は軽く頭を下げるとベンチに近寄った。

「朝からずっと飛行機が飛ぶのを待ってるんだけど。ダメみたい」

詩織は困ったように笑った。将と同様、伊達眼鏡をかけているが、眼鏡の下のさくらんぼのような唇に聡を重ねて将はハッとした。

聡に逢いたいあまり、こないだからすべての女性の中に、聡との共通点を見つけようとしてしまう。

そんなことにも気付かず、詩織は座っているベンチを少し詰めて隣を将に勧めてくれた。

21歳と将より少し年上の彼女は、若手にしては珍しく舞台畑出身で演技派としても名高い。

今年初めには大河ドラマで評判を取ったという。

にもかかわらず謙虚で気さくな性格の彼女は撮影現場でも皆に好かれている。

「予報だと、明日はもっとひどくなりそうじゃない?だから、どうしよう、と思って……」

「明日、もっとひどいんですか」

将はため息まじりに訊き返す。詩織は頷いてさらに続ける。

「名古屋も、仙台も同じ状況で飛行機が降りれないらしいよ。大阪は今は大丈夫みたいだけど、大阪から東京に向かう新幹線がストップしてるから……はぁ」

いつも元気な詩織が、珍しく語尾にため息をつけた。

空港のテレビでは繰り返し大雪に関する気象情報を放送している。まるで台風のときのようだ。

それによると飛行機だけでなく、雪に慣れない関東一円ではJRも軒並みストップしてしまっているという。

寒気はさらに強まりながら南下するらしく、明日24日の夜まで雪は断続的に降り続くらしい。

東京行きの飛行機が飛び立つのは絶望的だと思われた。

……案の定、まもなく、今日の東京行きの便は全便欠航というアナウンスが流れた。

ごったがえしていた客が一斉についたため息が揃うようだった。

その客の中から、女性3人ほどが、ベンチに座っている将と詩織を見つけてサインを求めてきた。

主に将のファンらしき女性たちは、どうやら飛行機を待ちながら、二人に声をかけるかどうか迷っていたらしい。

詩織は、思いがけないサインと握手に感激しながら去っていくファンを見送りながら

「将くん、どうする?……現場に戻る?それとも、近くのホテルかどっかに泊まる?」

と将に問い掛けた。

そうするしかないんだろうか。

将はあたりを見回した。ざわめくフロアの中で窓が……夕陽が最後に差し出した濃い茜色の陽だまりを透過させていた。

まるで舐めたら甘いような色は聡を……そして聡のイメージは、将を呼んでいるかのようだった。