将には「やられかけた」と話したが、実は瑞樹の処女を奪ったのは、母の再婚相手の義父だった。まだ瑞樹が小5のときだ。
こんなことは誰にも話したくないから、瑞樹は初体験の年齢を聞かれたときはいつも『14歳のとき。ナンパされて、なんとなく』と明るめに嘘を言った。
義父の相手をするのが嫌で嫌で、友達の家に泊まったり、街角で夜明かしをしたこともある。
そのうち瑞樹は、体を他人にまかすことで、宿を得ることを思いつき、中学に入ってついに家出をした。
男に身をまかせて、その家に居着く。または、夜の街で知り合ったばかりの友達の家に何日も居候をする。
そうやって義父の魔の手から自分を守ってきた瑞樹は、高校に入ってようやく安住の地を見つける。
それが将の家だったのだ。
自分と同じように家に帰れない理由をもつ将だから、1年以上も「帰れ」とは言わなかった。
なのに。
あんな年上の教師に熱をあげた将は、あっさりと自分を追い出したのだ。
2ヶ月前、将の家を追い出された瑞樹はふりだしに戻ってしまった。
アイツ(義父)のところには帰りたくないから、出会い系サイトで、その日の宿になる男を捜す日々。
しょぼい男にあたり、やるだけやられて、くれたのははした金だけ、泊めてくれもしない雨の夜もあった。
雨に濡れて、しかたなく家に帰ると待っていたのは義父の下半身だった。その日2人目のものを咥えさせられながら瑞樹の脳裏には炭火のように小さく、しかし深く熱く復讐の炎が燃えはじめていた。
――許せない。
なんで自分だけがこんな、娼婦のような暮らしをしなくてはならないのだ。
復讐の炎は、自分を追い出した将でもなく、倒錯した義父でもなく、将を夢中にした聡のほうに一途に向かったのだ。
そして1ヶ月ほど前。
疲れた瑞樹は、繁華街の道端で、制服姿でうずくまっていた。
10月の夜は、暖かかった昼間からガラリと変貌して、冷たい夜風を瑞樹に吹き付けた。
生理中だった瑞樹は、宿になる男を捕まえることもできず、しくしくと痛む下腹に耐えられず道端にしゃがみこんでいたのだ。
「何やってんの」
そんな瑞樹に声をかける聞き覚えのある声があった。
隈取をしたような大きな目、分厚い唇、まわりの髭といったラテン系の濃い顔立ちに、根元が黒くなった茶髪のマカロニくずれ。同じクラスの前原だった。
瑞樹は返事をする力もなく目をあげた。
元・将の女だった瑞樹が、将に追い出されたらしいことは不良仲間は皆知っていた。
「うちにくればぁ?」
前原は語尾を延ばしたバカっぽい話し方で瑞樹を誘った。
ついていけば、何をされるかわかっていたが、疲れていた瑞樹はもうどうでもよかった。
工務店の社長をしている前原の家は、一戸建てで、母屋から独立した離れが前原の部屋になっていた。前原の親は放任主義で、警察沙汰にならない限り、離れで前原が何をしようと口を出さないらしい。
その離れで案の定、前原はヤリたがったが、瑞樹が生理中だと知ると、あっさり引き下がって、母屋から鎮痛剤を持ってきて
「女は大変だよなー」とヘラヘラ笑った。
そして立ち上がると押入れの奥から箱を取り出してきた。
「コレは効かないのかな」
と、開けた箱の中には白い粉と注射器が入っていた。
瑞樹は目を丸くして前原の顔を見た。本物を初めて見た。
――こいつヤバイかも。
「やってみる?」
瑞樹は無言で首を横に振った。前原はケケケと笑うと
「そんな顔で見るなよ。別にチュードクじゃないんだから。たまに楽しむだけだよ。気持ちいいぜ。悩みがふっとぶ」
と箱をしまった。
生理が終わり次第、関係を持つことになってしまったが、瑞樹は幸いしばらくそこに居着くことが出来そうだった。
前原との行為は、どうでもよかったが、薬をヤッてるせいか、途中でやたらと将と比べたがるのには閉口した。
大きさ、技巧、優しさ、よさ。
すべての項目を執拗に聞いてくる。全部、将のほうが優れている。などとは言えない。
返事をしないでいると、痛い行為に及んでくる。その目には狂気があった。
だから、声を出さずにうなづくなど適当にごまかすが、毎回のことで、さすがに瑞樹も嫌になった。
よほど、この男は将に劣等感を持っているのだろう。瑞樹は必死で体を揺らす前原の下で、その濃い顔を見上げた。
――バーカ。ぜんっぜんよくない。早く終われ。
そういうかわりに、わざとらしく声を出してやった。
もうたまらない、とばかりに、体をのけぞらす。早くこの不快な摩擦を終わらせるためには、このくらいの演技は軽い。
瑞樹は偽りの声をあげながら、早くここを抜け出したいとそればかりを感じた。
だけど、どこへ――瑞樹には居場所がない。絶望にとらわれた瑞樹は、とうとう、前原に薬をもらった。
体が軽くなると同時に、思考はぼんやりとしてし、かわりに本能が剥き出しになる、と自分でも思った。
いつもより前原の行為を好ましく感じてしまう自分に嫌悪しながら、居場所を奪ったあの女への憎しみが脳を占めていく。
薬は一時的に体を軽くしてくれたが、翌日、瑞樹は激しい吐き気をもよおした。
だるくてだるくて苦しい。瑞樹は布団の上でもがいた。そのとき離れの縁側が開いた。
「アンタ、今日1日家に居るの?」前原の母だった。
ダンプカーを思わせる四角く太った体の両端に垂れた胸がついている。
「出かけるなら、今出て。私もでかけるんだから」
そんなわけで、瑞樹は最悪の体調を抱えて、前原の家を出かけなくてはならなくなった。それが先週の金曜日だった。
瑞樹はダメだと思いながらも将の家に近くに来てしまった。
運が悪く、自分より年下らしき非行少年に目をつけられてしまった。
体が思うように動かない瑞樹は、倒れこんでしまった。どこだかもわからない。そんなあのとき、助けてくれたのが将だ。
しかし、将は非情にも、瑞樹を家に置いてくれず、別れたあと、瑞樹は前原の家に帰るしかなかった。
「な、将って、あのアキラと付き合ってんのな」
瑞樹を抱いたあと、前原は蛍光灯を付けると煙草をふかしながら言った。夜には薬は抜けてだいぶマシにはなっていた。
「見たの?」
「ああ。スタバで仲良さそうに抱き合ってたぜ」
前原に背を向けていた瑞樹の動きが止まった。
「瑞樹?」
前にまわった前原は能面のような瑞樹の顔を見た。
「……せない」
「なんだよ?」
「許せない」
唇を噛み締めた瑞樹は、決意を固めていた。
――絶対に復讐してやる。
瑞樹は前原に向き直った。
「ねえ。茂樹ィ、将のこと憎たらしくない?」
高めの声で急にしなをつくる。前原は、一瞬ぎくっとした。失禁させられたことを言われたのかと思った。もちろんこれは皆に秘密にしてある。
「だってサ、差し歯」
ああ、そっち。前原はほっとしたが、今度はすっかり忘れていた、アッパーを食わされたときの悔しさが蘇ってきた。
「将のさ、新しい彼女をひどい目にあわせない?」
「新しい彼女って……」
「そう。アキラせんせい」
瑞樹は前原の肩に顔を乗せて瞳だけで前原の顔をのぞきこんだ。そうすると白目が妖しく光り、抗うことは絶対許さないという目になった。
瑞樹は立ち上がると、いつもの隠し場所から薬を持ってきて、注射器にセットして、前原に渡した。
「茂樹だって、あのときやり損ねたうえに、殴られて悔しかったでしょ……だから、ね」
不快な屈辱の思い出に駆られて、前原は注射器を奪うようにして自らの手に打った。前原にその計画を拒否することはもはや、できない。
瑞樹は、自分の携帯が鳴るのに気付いた。将が表示されている。
将が企みに気付いたのかもしれない、と一瞬ギクっとする。瑞樹が声を出す前に将の声が聞こえた。
「俺」
「何?」
「暇だから久しぶりに会いたいんだけど。今どこ」
将は何気ないふりを装った。咳をこらえるのに苦労する。
「何よ、いまさら」
冷たい調子を装い答えるものの、会いたいという言葉に瑞樹の気持ちは動いた。
「いいじゃーん……」
――こうしている間にも、聡は?
将は瑞樹とつながる電話の向こうの音を必死で聞き取ろうとした。聡を乗せた車はまだ走っているらしい。ということは、まだ無事。
「ねえ。やっぱ、お前がいいんだよ」
そらぞらしく聞こえないだろうか。将は嘘をつく自分に気持ちが悪くなる。しかし聡を助けるためだ。
「ちょっと待って」
瑞樹はそれを信じたらしい。携帯の向こうで、『いまどのへん』と誰かに問う瑞樹の声が聞こえる。
将はそのすきに、こらえていた咳をする。喉の奥の痛みは咳にかわりつつあった。
「もしもし」瑞樹の声が戻る。
「今どこ。迎えに行くよ」
「もうすぐ××ぐらいなんだけど」
そこだったら、まだ近い。少しいけば将の家がある。
「じゃ、今すぐうち来いよ」
将は、電車に乗るために、携帯がつながったまま、駅へと足早に向かう。歩き始めたせいで咳が出そうになるがこらえる。
「わかった」
「すぐだぞ」
なんとかだましおおせたらしい。
携帯を切った瑞樹は
「将だった」
と助手席の前原に言った。
「何だァ」
前原は剃った眉毛を歪ませた。
「あたしさ、念のために将の足止めしてこようか」
瑞樹のガラにもなく浮き足立った様子に、前原は面白くなかったが
「そうだな。お前がいてもヤることないしな」
と仕方なく途中下車を許可した。少し回り道して××駅へまわる。
駅前のネオンを反射する濡れた路面に白い粒がバラバラと落ちてくる。
瑞樹は、ミニスカートと長い黒髪をなびかせてワゴン車を飛び降りると駅へ駆け込んだ。
前原が、瑞樹の長い黒髪姿を目にした最後だった。