第66話 すれちがい(3)

「正月休みの間、ここに置いてくれないか」

という大悟の懇願に

「ああ、いいよ」

将は即、快諾した。

「本当に?……よかったぁ」

大悟は眉毛をゆるめて、安堵したようだった。その顔を見て、将も安心する。

時計を見る。もう18時近い。家庭教師のバイトに行かなくてはならない。

うっかりビールを飲んだので車で行けない分、早く出なくてはならない。

いつもならこの程度の飲酒は無視するが、さっきまで留置場にいた将である。自重することにした。

「悪い、俺今からバイトなんだ。勝手にゆっくりしてくれていいから。帰ってきたら飯にでも行こうぜ」

将は大悟を家に残してバイトに出かけた。

 

 

権藤との打ち合わせが長引き、終わったときには、他の職員たちはあらかたもう忘年会会場に行ってしまっていた。

「権藤先生、忘年会の『××屋』の場所わかります?」

みんなで一緒に移動するつもりだったから、場所を詳しく聞いてなかった聡は権藤に訊いてみた。

「あれ、たしか地図があったはず……」

権藤もガサガサと探しているが心もとない。

さっき整理整頓したばかりだが、整頓というよりは体裁を整えた、といったほうが正しい。この場合、しまいこんだ紙切れなどは、まず出てこない。

聡は、先にいった先生に電話をかけようと携帯を取り出した。

たしか、保健の三田先生の番号を登録していたはずだ、と携帯を開く。……そこで初めて、将からの着信履歴に気付いた。

一瞬、世界がゆれた気がした。携帯を思わず握りなおして、表示されている『鷹枝将』の文字を眺める。

携帯を抱きしめたくなるのをなんとかこらえて、三田先生に電話をかける。そのために画面を切り替えるのですら惜しい気がした。

 

 

将は、乗り換えの地下鉄を待っている間に、もう一度聡に電話をかけてみた。

あいにく話中だった。

かけなおそうとしたとき、電車が入ってきた。

 

 

三田先生に場所を教えてもらい、権藤先生と忘年会の会場へ向かう。最寄り駅前商店街の雑居ビルの地下にある居酒屋だ。

「権藤先生、私1本電話入れますんで、お先にどうぞ」

権藤先生を先に行かせると、店への階段を降りる前に聡は、将にもう一度電話をしてみた。

『この電話は電波が届かないところにあるか……』というメッセージが流れた。

……ちょうどその頃、将は地下鉄に乗っていたのである。

聡はがっかりして、階段を降りた。雑居ビルの地下だけあって、携帯の表示は「圏外」になってしまった。

聡は後ろ髪を引かれる思いをひきずりながら、居酒屋の縄のれんをくぐった。

「おお、今日の主役の登場だ」「古城先生こっちこっち」

聡が登場すると、ムサい男教員が集まるテーブルのあちこちから歓迎の声が飛んだ。

 

 

将の家庭教師先では、今年最後ということで、夕食まで用意されていた。

ボロを出したらまずいので断りたかったが、教え子の母親がはりきって作った料理が並んでいるのを見ると、むげにはできなかった。

父親は単身赴任ということで、小4の教え子と小2の弟、その母親と将の4人で食卓を囲んだ。

そのことは、主に教え子を喜ばせた。教え子は何故か将のことが大好きで、なついているからだ。

「山田さんのおかげで、通信簿の『大変よい』が増えたんですよ」

いつもに増して気合を入れて髪や化粧をセットした30代後半の母親は、にこにこしながら将のグラスにビールをついだ。

公立小だったら、人数制限のない絶対評価だからそれほど価値がない『大変よい』だが、この家の子は私立小に行っている。

そこは昔ながらの相対評価で、クラスのうち『大変よい』がとれる人数は決まっている。つまり、『大変よい』をとった教科は、クラスでトップレベルだということになる。

母親のそのきちんと内巻きにセットされたカールは、将に昨日の朝の聡の髪を思い出させた。

「山田先生は学校の先生より面白いし、わかりやすいもん」

教え子が口をはさんだ。

「山田さんはたしか、法科系でしたわよね。将来は……?」

そらきた。あまり大学のことを訊かれるとまずい将である。

といっても、ウソの身分を名乗る以上は、東大の学内や授業、教授などの情報はネットなどで一通り仕入れて暗記している。

学校をさぼってた頃は、偽の学生証を使って東大の一般教養の授業にこっそり出席してみたこともある。

幸い本物の山田が不真面目で学校をよくさぼっているせいか、バッティングしなかったのだが、背が高く足が長い将の容貌は、学内で目を引いた……特に女子学生の。

授業が終わって

『すいません、キャンパス××といいます。ちょっと写真をとらせてもらっていいですか? 1年生の方ですか?』

とキャンパス誌の記者らしき女子学生に声をかけられてしまった将は、『いや、写真苦手だから』と取り繕ってあわてて逃げたものだ。

 

「そうですね。弁護士にでもなれれば、と思っているんですが」

とっさにウソが出た。それは実は、将がまだグレる前、小学生時代に父から言われていたことだった。

忙しくてたまにしか顔をあわせない父だったが、将と顔をあわせると

『お前は弁護士になるといい。そこで一般市民の悩みや問題などを勉強したあとで、お父さんやお祖父さんの跡を継ぐんだ』

と毎回のように言い聞かせていのだ。

エリート官僚から政治家になった父は、自分に足りないものを自覚していて、それを息子に託したのだ。

「まあ、ステキ。山田さんだったら、ナントカ弁護士みたいに、テレビでも活躍できそうですね」

母親は軽口を叩きながら、またビールを注ぐ。おかげで、少し遅くなってしまった。大悟が待っているだろう。

連絡したいが、大悟は携帯を持っていないといっていた。将は急ぎ足で夜道を歩きながら、聡に電話をかけてみる。

 

 

忘年会は、会場を2次会に移すことになった。

聡は、生理中で体調がいまいち、ということもあり、2次会を固辞しようと思ったのだが、

「ええー!」

「古城先生が来ないと話しになんないよ」

と温かい抗議に引き止められて、かつ他2人の女性教員も行くということだったので、少しだけ付き合うことにした。

2次会はカラオケボックスだった。聡はいったんトイレに立つとそのついでに将に電話をかけてみる。

あいかわらず『この電話は電波が届かないところにあるか……』というメッセージが流れるばかりだ。

「アキラ先生は何歌うの?」

戻るなり、電話帳のように分厚いリストを渡される。

「やっぱ英語カラオケでしょ」

カラオケをつかった英語の授業のことは、教師全員が知っていた。

「いえ、いまどきの歌は、授業で私も一緒に勉強しないとわかんないんですよ」

そこで笑いが起きる。

「英語でナツメロっていったら何」

「ビートルズとかでしょ。僕歌えますよ」

と、やはり自衛隊系の若い体育教師。

「ビートルズもいいと思うんですけど、私はストーンズが好きなんです」

そういった聡の心の底のほうで、ひそかに懐かしくて甘酸っぱい空気が流れた。高校時代を思い出したのだ。

それをかき消すように、さっそく他の教師が、自慢げに最新ヒットナンバーを歌い始め、ボックスは話もできないほどの大音量に包まれた。

いやがおうでも歌に喝采を送るほかはない、という音量だ。

聡も勧められて、はじめのほうのページに載っていた無難な最近のナンバーをリモコンでセットする。

 

カラオケはいよいよ盛り上がりを見せてきた。

最新ナンバーの次には、人気歌手のメドレー、それに触発されて懐メロと続き、酒がまわった頃には多美先生の『宇宙戦艦ヤマト』を皮切りにアニメソングが連続投入された。

「すごい、上手いですね!」

聡は、大音量の中、隣の教師に叫ぶように話し掛けた。隣の教師は

「ホンモノのササキイサオそっくりでしょー!」

と興奮してやはり叫んだ。残念ながら、聡はホンモノを知らないのだが……。

『ガンダム』『ヤマト』『ルパン三世』程度だったら、聡もなんとかメロディぐらいはわかるが、そのうちまったくついてゆけない古いものが次々と大合唱される。

わけもわからず、とりあえず手拍子をとる聡に携帯の振動が伝わった。

聡は、携帯を手にして、部屋を出ながら、表示を見る。

――将!

「もしもし……」

ようやくつながった電波にお互いの思いが交差した。