第75話 出発

イベントのあと、3人は初日の出を見に、将のローバーミニで太平洋に面した海岸をめざした。

井口はまだ踊っていたそうだったが、大悟も将もノリがいまいちだったからだ。

運転は将、井口が助手席で大悟が後部座席、と全員175センチを越す大男の若者3人でミニは悲鳴をあげそうだった。

都内から2時間ほどかけてようやく「本州で一番早い日の出」とやらが見える海岸にたどりついた。

が、うっすら明るくなりかけた水平線はなんだか曇っているらしい。紫色の海面の上は同じく紫色がかった濃いグレーの厚い雲が覆っていた。

「なーんかビミョーだなあ」

といいながら助手席のドアをあけた井口の金髪が、海風に押さえつけられるように歪む。

3人はいちおう、外に出てみた。

「寒っ!」

一同車から出たとたんに身を縮こまらせた。

明け方というのと、吹き付ける海風とで、全身の毛穴がギュッと音をたてそうなほどだ。一同肩を縮めて海のほうを見る。

砂浜に打ち寄せるのは墨色の波。将はまた、聡と二人でびしょぬれになった波打ち際を思い出した。

場所も波の色も、あたりの温度もまるで違うのに。海を見るたびに、聡とのあの海を思い出すのだろうか。この先、永遠に。

将はそんなことを考えた。

あたりには、初日の出を見に来た若者が結構いる。車を新年仕様にペイントした暴走族もいるが、少数のグループのようだ。

「もう明けてもいい頃だな」

大悟が時計を見ながら言った。

しかし、雲は茜色にすらならず、厚いままだ。それでも雲の厚みのムラに光が透けはじめた。

「将さ、今さ、センセーのこと考えてるべ?」

水平線に目をやったまま、ふいに、井口が言った。

あまりに唐突だったので、将は否定も言い訳もできず言葉につまった。実際、ずっと聡のことばかり考えている将なのだ。

「わかるべー!」

井口は金髪に、冬休みで少し伸ばした無精ひげ、という悪人づらに似合わなく明るく笑った。

「そんなに好きなんだー」

大悟も将を振り返る。

「そんなに好きならさ、会いに行けばいいじゃん」

とんでもない提案までする。大悟は昔から将の思っていることを大胆に先回りをするところがあった。

「そうだよ!今から行こーか? みんなでよー」

井口まで賛成する。

「……無茶いうな。アキラんち、萩なんだぜ」

「萩ってドコよ?」

「山口県だよ」

「ヤマグチ~?それって九州?だっけー」

さすが偏差値37、荒江高校の生徒・井口らしい返答だ。

「広島の近くだろ。ちょっと遠いな」

むしろ、中卒の大悟のほうがよっぽどマシだといえる。

「ヒロシマかあ~」

間の抜けた井口の声を最後に皆だまり、再び海を見つめた。

雲の切れ間から眩しい光が海に落ちはじめる。縦に幾筋もの光が水平線近くの海面に落ちて、まるでオーロラのようだ。

それは太陽本体ではなく、光があたった波だけをキラキラと輝かせている。太陽はそれ以上姿を現さないらしい。

「今日はダメだな」

井口の言葉は、初日の出が、という意味なのか、聡に会いに行くのが難しいという意味なのか、わかりかねた。

3人、申し合わせたように車に戻ろうとしたとき。

「何だァ……おまえら」

と背後から声がかかった。

声のほうを振り返ると、シャコタン車とそのまわりに特攻服で『正装』したヤンキー数人が鋭い目付きで将を睨んでいた。

反射的に睨み返す将と大悟だったが、そんなふうに敵意を丸出しにされるようなことをした覚えはない。

しかし、井口だけが、「ヤベ!」とあわてた。

「将、逃げないとマズイぜっ。お前がクリスマスにカランだやつらだよっ」

将はまるで覚えていなかったが、留置場に入れられたときの相手か、と即座に判断した。

「コラァ、あんときはヨォ……」

と剃りこみを入れた『正統派』のやつが凄んでくる。

将は対抗して睨み続けたが、大悟と井口が将を引っ張って車に乗せた。

『早く、早く』と2人にせかされてエンジンをかける。

「逃げんのかコラァ!」

「ぶっ殺してやる!」

獣のような咆哮をあげながらヤンキーも、シャコタンに乗り込む。将はわけもわからず、ミニを急発進させた。

「ゲエエ!追ってくるぜ!」

井口が後ろを見ていう。わざわざ追いかけてくるとは……将は、自分が何をしたのか思い出そうとしたがまるでわからない。

「これ、リミッター切ってる?」

大悟が聞いた。最高速度の制限を解除できるよう改造したか、ということである。改造していない場合、普通の車は180キロ程度しかでない。

「切ってない」

将は必死でアクセルを踏み込んだ。

「やべえじゃん!」

「大丈夫!」

単なるスピードでは負けるが、道路には他の車が何台もおり、全速力を出せる状況ではなかった。せいぜいが100キロだ。

対向車を避けながら、他の車をちょこまかと追い抜いていく。ハンドルを切るたびに3人の体が大きく揺れる。

細かい取りまわしではミニのほうが有利とはいえ、相手も直線で差を縮めてピッタリついてくる。

「わ!渋滞だ!」

前方で車が列をなして止まっているのを見て助手席の井口が悲鳴をあげる。

こんなところで止まったら、引きずり出されてひどい目にあわされるに違いない。何せ、今日は相手の人数が多すぎる。

「見てろ!」

将はハンドルを大きく切るといちかばちか、歩道に乗り上げた。ミニでぎりぎりの幅らしく、街路樹が助手席の窓を激しく擦る。

歩行者がいたら、終わりだ。

無免許運転に、免許証偽造、おまけにこのスピードだ、歩行者がいたら重傷はまぬがれまい。

将は祈るように歩道を猛スピードでくぐりぬける。

シャコタンも続こうとしたが、歩道の幅が狭すぎたらしい。追って来れない。

窓から首を出して何かを悔しそうにほざいているのがバックミラーから確認できた。

「ヤッター!」

大悟が歓声をあげつつ、追って来れないヤン車を振り返って、ベロを出す。

「よっしゃー!」

車中の3人は安堵して、笑いあった。

横断歩道で、本来の車道に戻る。そこでちょうど渋滞区間は終わっていた。

しかし念のためスピードは緩めずに走り続ける。

そのとき、ようやく遅い朝の光が車の中にも差し込んできた。

「なあ!」

笑いながら井口が運転席の将に叫ぶように提案した。

「このまま、今から行こうぜ!ヤマグチ県ハギ!」

「……バカか?1000キロ以上あるんだぜ」

将は前を見たまま言い放った。

「いーじゃん、ヒロシマって、お好み焼きうまいんだろー!」

日本地理にうとい井口にしては、よく知っている。

「面白そうじゃん。行こう、行こう!」

後部座席から身を乗り出して大悟もノってくる。

「バカ、おまえら本気?」

将は呆れたふりをしながら、大きく心が動いていた。

「どーせ、お前が運転すんだから、俺らは別にラクだっしー」

「そーそー」

井口と大悟は顔を見合わせて将を促した。

「もー、マジかよ」

といいながらも将はすでに、萩までどれぐらいの時間で到達できるか計算していた。

千葉-山口。ほぼ本州を横断する形になる。

1000キロ、いや1500キロを走りぬける。聡に逢うために。

決意した将は太陽を背にして、ハンドルを握りなおした。