「お正月ぐらい着物でも着たらどう?せっかくつくってあげたのに」
と出かけるために着替える聡に母が言った。
「やめてよ。飲みに行くのに着物なんか着ていく人誰もいないってば」
新年もあけて2日。聡は夕方から行われる同窓会に出かける準備をしていた。
客間のほうからは父と教え子たちの笑い声が聞こえる。すでにお酒が入っているようだ。
今日は、父の昔の教え子が福岡から総勢6人で来ていて山口旅行がてら泊まっていく予定なのだ。
築100年を越える古民家である聡の実家は父母と聡だけで住んでいたにしてはかなり広い。
聡が小4から中3までカナダにいた聡の一家だが、この萩に戻るにあたって、A川ぞいにある下級武士の家だったここを管理がてら借り受けることにしたのだ。
『古い家でも人が住めば生き続ける。逆に住まなければ荒れる一方だ』
と紹介した人は言ったが、それに父母が感銘を受けたのだ。水まわりを変えたりやエアコンをつけたりなどはしているが、東京のコーポに住みなれた聡にはもはや少し居心地が悪い。
特に冬はすきま風が入るし、廊下は氷のようでとても裸足で歩けないし、とにかく寒いのだ。しかし、来客には、『風情がある』『旅館みたい』とすこぶる好評な家だ。
父も母も教職ということで昔の教え子などの来客が多い。
昨日の元旦は、萩焼の窯元を営む叔父一家が昼からやってきて、酒が入って運転できない、と泊まっていった。
明日も、昼は母の教え子、夕方は父の教え子である中学生がやってくるだろうということだ。
聡が実家でのんびりできたのも年内だけで、新年は来客のたびにもてなしにあれこれ狩り出されて落ち着けなかった。
今夜は同窓会があるおかげで、『パシリ』や『姐や』からやっと解放されて聡はホッとして爪にマニュキアを塗っていた。
秋月も来る、と聞いて浮き立つ聡の気持ちは少し濃い目のマニュキアを選ばせた。
マニュキアを乾かすのに少し時間がかかって、開始時間から15分遅れてしまった聡だが、店の引き戸を開けるなり
「聡~!こっち!」
初美が座敷から身を乗り出して手を振った。出席者ほぼ全員がこちらを振り返り、おおー、と声が上がった。
「古城さん久しぶり!」
「ちょっと聡~何年ぶりよ!」
「めちゃくちゃキレイになっちょらん?」
次々に声がかかる中、聡は秋月の姿を探した。まだ着てないようだ。
20人ほどが参加している同窓会は、カウンターと座敷……というより小上がりだけの小さな居酒屋の座敷を占領しているようだ。
とりあえず初美の隣に座る。とたんにビールが注がれる。
「聡!久しぶり!」
と声をかけるふっくらした女がいた。
「……美佐?」
卒業と同時に国語教師と結婚してすでに3人の子持ちだという美佐だ。
「ちょっと、もう3人も子供いるんだって~?」
と声をかけながら、聡の脳裏を将のことがよぎる。教師と生徒の恋愛のなれの果て。
美佐は、小柄で可愛かった高校生の頃の面影はない。それでもまん丸でツヤツヤした頬は幸せそうだ。
「もう、今4人目がいるよ。5ヶ月だよ」
とお腹を差してにっこりする。あいかわらず、聡はそんなふうに国語教師に孕まされている美佐を、少し汚らわしいと感じてしまう。
――もし将と結婚して4人も子供をつくったら、教え子たちは自分を汚らわしい女だと思うんだろうか。
聡がそんな想像をしているとも知らず美佐は
「聡は何してんの?なんかめっちゃ色っぽくなってない?」
と訊き返して来た。
「東京で高校の先生してるんだ」
「なんか胸、すっごく大きくなっちょらん?ニンシンしてんじゃない?」
脈絡もなく話が飛ぶところは昔の美佐のままだ。
聡は今日は少し胸のあいたニットにジーンズというシンプルないでたちだ。それで靴を脱ぐときにかがんだ際、谷間が大胆に見えてしまったらしい。
「ちょっと、いきなり、何いうのよー」
「あー、これしてきてくれたんだー」
初美が返答に困る聡の胸元にペンダントを見つけた。年末にさっそく初美の工房を訪れて買ったものだ。
「昔はもっと胸なかったハズ!」
「ちょっとさぁ。男子が話題に入れなくて困ってるよ」
すでに酔っているのか、しつこい美佐に初美がフォローをいれてくれる。そこで男子も聡になんとなく注目しているのがわかった。
幸い、といったらなんだが、昔、彼氏だった東が来ていないのにほっとする。安心して男子とも声をかけあう。
聡が同窓会に来るのは、成人式以来だから6年ぶりということになる。
それでも、あまり変わらない人と、すごくおじさんになった人といるのにびっくりした。しかもそれは高校時代の美形度に比例していないのだ。
高校のときはカッコよくてモテていた男子が、すごく疲れた感じになっていたり、パッとしない地味な男子がパリッとしていたり。それに対して女子のほうは、美佐は別としてだいたい高校時代の雰囲気を残しているといえよう。
引き戸がガラッと開くたびにそっちを気にする聡に、
「秋月くん、旅館の夕食を出し終わって来るって。今7時すぎだから、もう少しだね」
初美が聡に囁いた。
正月といえば一番の稼ぎ時、旅館も大変なのだろう。
しかし、秋月がどんな風に変わっているのか、聡は少し心配になった。
それから1時間もたって宴もたけなわになり、出席者は皆赤い顔になっていた。
聡もビールからそろそろ違うお酒にしようかとメニューを見ていたその頃。
引き戸がガラリと開いた。思わず聡の目はメニューからそちらに移動する。
「ごめん!遅くなって!」
秋月が一升瓶を持って現れた。
――変わらない。
たぶんユニクロのフリースを着ているその姿は太りもせず、やつれもせず……。
頭に若白髪が目立ったが、少年っぽい感じなのに落ち着いた雰囲気は変わらなかった。
最初に聡のほうを見た、と思ったのは気のせいだろうか。
しかし。
その後ろに、ショートカットの女性が見えて、聡の甘いノスタルジィはすぐ打ち破られた。
「秋月!それ嫁さん?」
ヒューヒューと冷やかしの声が座敷のあちこちからあがる。
秋月はそれでも、小上がりまで歩いてくると、聡に
「よっ」
と声を掛けて、伴った女性ともども、聡の隣にさりげなく座ると
「まずビールでいいよね」と女性に確認してから「生2つちょうだい」と店の人に注文した。
低い声は完全に大人の男性のものだ。
「聡、すっごいキレイになったねー」
如才なく聡に声を掛けるところなどは少し大人になったのかもしれない。昔はそんな直接的な褒め方をしなかったよう思う。
「そんなことないよ……。奥さん?」
聡は隣にいる女性に気を遣った。
「綾、といいます」
和服が似合いそうな涼しげな目が笑顔のおかげで柔らかくなっている。いかにも旅館の若女将が似合いそうだ。
「福岡の大学のときから付き合ってて、去年結婚したんだよね」
初美が解説するのに代わって、秋月が妻の綾に聡を紹介する。
「こちらは古城聡さん。僕が高校のとき片思いしてたヒト。きれいな人でしょ」
「本当ねー」
綾は悪びれもせずに答える。
聡は思わずドキッとしたのを「ヤダー、もう」と笑って誤魔化す。
――片思い、だって。
片思いはむしろ、聡のほうだと思っていた。
そのとき、秋月が持ってきた酒がさっそくぐい呑みでまわってきた。聡は萩焼のそれを受け取りながら秋月を盗み見る。
秋月のほうは、綾を交えて美佐や初美、まわりの男子と近況を話している。
聡はほっとしたような、がっかりしたような気分でぐい呑みの酒を飲んだ。
「どうですか?」
綾が聡を振り返って話し掛けた。一瞬どぎまぎする聡だったが、酒のことか、と安心する。
「美味しいです。とっても」
「よかったぁ。これうちの里でつくってるお酒なんですよ」
「福岡の?」
「いいえ、山口です」
その『T』という酒は実際口当たりがよく旨かった。
聞けば山口には小さな酒蔵がいっぱいあり、最近は各酒蔵で個性を競った酒造りをしているのだという。
秋月の妻の綾は、とてもさっぱりとした性格のようで、話していて気持ちのいい女性だった。
それで、聡は秋月が今とても幸せなのだということがわかった。だからああやって、聡のこともさらりと話せるようになったのだろう。
「じゃあ、私はそろそろ」
綾は30分ほどで席を立った。
「え、もう?今来たばっかりじゃ」
聡の口から社交辞令なしで、心からの引止めの言葉が出た。
秋月が幸せである証拠である綾と話すことで、とてもほっとした気分になっていたのだ。
「3ヶ月の子供がいますんで……。それに皆さんのお邪魔をしちゃ悪いですし。たまには主人に羽を伸ばさせてあげないと」
そうやって引き上げていく綾を見送って、聡は完全に秋月が『過去の人』であることを実感した。
「気をつけて帰れよ」
秋月も身を乗り出して、綾に声を掛ける。本当に幸せな二人なのだ。
「めちゃくちゃ、いい奥さんだね」
口当たりのよいお酒で酔いがまわった聡だから本心しか口にできない。
「そう?」
聡の隣で赤い顔の秋月は心から嬉しそうだ。
「実はさぁ、俺、会社勤めしてたんだけど、萩に戻って旅館を継ごうって言ったのもアイツなんだ」
秋月は綾との出逢いから、萩に戻ったいきさつまでを嬉しそうにひととおり話した。
「聡は、どうなんだよ。東と別れたのはなんとなくわかるけど、誰かいい人いないのかよ」
聡はまたぐい呑みに口をつける。
「いい人ねえ……」
そのとき酔った頭に浮かんだのはまぎれもなく将である。