第159話 バレンタインデイ・キス

聡は駅前のカフェに入るとあたりを見回した。将の姿を探す。

「アキラ!」

ソファの席で手をふる将をまもなく見つける。

本当は、人目がなければ抱きつきたい今の聡だが、こらえて小走りで駆け寄るだけに留める。

「あ……」

今日はジーンズ姿の将の隣には、子供が座っていた。

小学校低学年ぐらいのその男の子は、聡の姿を見つけると行儀よく、ぺこっと頭を下げた。

……将に似ているその子は見覚えがある。

あれは、将と初めてのデートで行った、夕食のフランス料理店だった。

『弟さん?』と聡が問う前に、将が

「ゴメン、アキラ。どうしても付いていくって聞かないんだ」

済まなそうに説明した。聡は、隣のソファに腰掛けながら

「こんにちは。お名前は何ていうの?」

と優しく訊いた。

「たかえだ・こうた、K大付属小学校1年です!」

と元気よく答える孝太に、聡も

「こじょうあきらです。よろしくね」

と自己紹介する。

「アキラ、本当にゴメンな」

手をあわせて、本当に困っている将に、聡は

「いいよ、別に」と笑顔を返すと、孝太に

「孝太くん、どこ行きたい?」

と身をかがめるようにして、孝太に訊く。

「ぼく、……遊園地にいきたいな」

孝太はやや遠慮がちに、言うと、伺いを立てるように上目遣いで将を見る。

「遊園地、行こうか」

聡は、孝太の頭をなでながら答えると、将にも「いいよね」と訊く。

将は、ふん、とため息をつくように頷くと

「遊園地行ったら、大人しくおうちに帰るんだぞ。わかったな」

と孝太に念押しをした。

孝太は、こっくりと頷いた。話は決まった。

 
 

遊園地といっても、子供連れだ。

ネズミ系や絶叫系のいわゆるテーマパークではなく、3人は昔ながらのベタな『遊園地』を選んだ。

「キャーーー(聡)」

「わああああ(孝太)」

あまり怖くないとされる、マイルドな傾斜と捻りが入ったジェットコースターだが、聡と孝太が並んで歓声をあげている。

後ろの席では、一人で座った将がむすっとして万歳をしていた。

孝太を一人で乗せるわけにはいかず、将と聡でジャンケンをして聡が孝太の横になったのだ。

「怖かったねえー!」

嬉々として聡と手をつないでいるのは孝太だ。将はそのあとをブスっとして、ステッキを付いて歩く。

「本当、案外怖かったね、将」と聡が振り返ったときだけ

「……そうだな」と笑顔をつくる。

中学時代、無免許でバイクを乗り回していた将には、あの程度のスピードや捻りはどうってことはない。

薄曇りだった空には薄日が差していて、2月にしてはほんのり温かい。

梅がちらほら咲き始めていた園内には、家族連れのほかに、バレンタインデーというのもあり、カップルの姿も目立った。

「お兄ちゃん、次はあれ!」

孝太が指差した先には、お化け屋敷があった。

「……二人で行ってこいよ」

将は、さも面倒くさそうに、傍らのベンチに座った。梅がいい香りだ。

「お兄ちゃん、怖いの?」と孝太が無邪気に訊く。

「ハ?」

「怖いんだー」と聡まで笑う。

「ばっ、バカいえ。わかったよ、行けばいいんだろっ!行けばっ」

将は立ち上がると、ステッキを付いて、いきおいよく先に歩き始めた。

お化け屋敷に入るなり、何も見えない暗闇が数メートル続いた。

「将、足元大丈夫?」

聡が将に声を掛ける。こうなんにも見えないと、ステッキを使って歩く将は歩きにくいだろう。

「全然、大丈夫だよ」

と将が答えたとたん、稲妻のような光があたり、目の前に恐ろしい形相の親子の幽霊が3人現れる。

「うわああああーっ!(将・孝太)」

将は驚きのあまり、バランスを崩しそうになる。

半ギプスの方の足は筋肉が衰えていて、とっさのときにふんばることができないのだ。

それを後ろから聡が支える。

幽霊はすぐに消え、ふっと、また暗闇に戻る。

「大丈夫?将」

背中に聡の手を感じて、将はホッとする。心臓はまだドキドキとしている。

「……鏡だよ」

と聡がつぶやいて、

「なんだよー、あービックリした」

と急激に落ち着いた将は、まだドキドキの余韻を感じながらも、

――この暗闇に乗じて聡とキスできるじゃん。

と思い直す。そして手探りで聡の体を引き寄せようとした。

が、そのとき、ごく薄い照明が復活し、将はがっかりした。

以降しばらくは、人が扮した幽霊や妖怪の登場が続く。

急に登場するのに驚くだけで、あまり怖い、というわけではない。

しかし、さっきから心臓はかなりフル稼働だ。

「アキラ、冷静だな」

将は、気味悪い照明に浮かぶ聡に話し掛けた。いつのまにか、聡は将の腕に自分の腕をからませていた。

「え、結構驚いてるよ」

と振り返った聡は。

――顔が、ない!

「わあああ!(将)」

体中に衝撃が走った将はビクッとあとじさって、尻餅をついた。

尻餅をついた将に、聡はあわてて駆け寄る。お面をはずして。

「お兄ちゃん、大丈夫?(孝太)」

「ごめん、足、大丈夫?(聡)」

「なんだよー、アキラ……」

「お化けの一人にもらったの、これ」

聡はいたずらっぽい笑顔で、のっぺらぼうのお面を将に見せた。

「くっそぉ、あとで、覚えとけよ。おしおきしてやるからな」

将は悔しそうに立ち上がった。

ようやくお化け屋敷を出ると、薄曇りながら空が眩しく感じる。

「あんまり怖くなかったね」と孝太が手をつないだ聡を見上げる。

「そうね。将が一番楽しんでたね」と聡は将を振り返る。

将は、いよいよブスっとして二人の後をステッキをついて歩いていた。

あのあとも……、再び真っ暗になった中で、聡にキスしようとした将に、いきなりぐにゃっとしたものが飛んできたりなど、結局将がいちばんビックリさせられたのだ。

 
 

「わーい!」

メリーゴーランドに乗って歓声を挙げている孝太に、手を振る聡。

「大丈夫?将」

聡は、隣で、手すりにもたれてぐったりとしている将を振り返る。

「ああ……」

実はあのあと、コーヒーカップに乗った3人だが、孝太が面白がってカップをぐるぐる回したので、将はすっかり気分が悪くなってしまったのだ。

「俺、スピード系は大丈夫だけど、回転系はダメ……」

とヘロヘロだ。将は

「遊園地でよかったの?デート」

傍らの聡に訊いた。もっと大人っぽいところで、語らいたいのではないのか。

と将は気分が悪いながらも、聡に気遣ったのだ。だが、聡は深く頷いて

「うん。大声で笑いたい気分だったから」

とぐったりした将の髪を撫でた。

聡の優しい指を感じながら、将は訊く。

「博史とは……」

訊きながら、蛇足だな、こんな質問は、とも思う。

「うん……ちゃんと、終わったよ」

案の定、聡はキラキラとまわるメリーゴーランドに視線を浮かべながら答えた。

その横顔は、少し寂しげながら、憑きものが落ちたような晴れやかさが漂っていた。

――これで、アキラは俺だけのアキラ……。

将の朦朧とした頭の中で、今はそれだけが嬉しい。

 
 

メリーゴーランドを終えて、3人は焼きそばの昼食を食べた。

ふだん食べることのない、庶民的なソース焼きそばの味に、孝太は「おいしい!」と食欲旺盛だった。

将もようやく復活し、午後もソフトクリームを舐めながら動物を見物など、休日の遊園地を満喫する。

「ちょっと疲れたね」

聡がもらしたのは、もう午後も遅い時間だった。

薄曇りのまま赤みがかってきた空はすでに夕方の気配だった。

「じゃ、最後はあれで休憩しようか」

と将が指差したのは、観覧車だ。

昼食以外ずっと広い園内を歩き回っている。

普通に歩いていても疲れるが、ステッキをついた将はやや疲れが早い。

同じくヒールのブーツを履いていた聡も疲れているようだ。

「うん……」

なぜか神妙にうなづく孝太。

その理由は、乗ってしばらくしてわかった。

かごの中のベンチに、将と孝太が並んで座り、聡がその向かいに腰掛ける。

3人を乗せたかごは、ゆっくりと上へ登っていった。

「わー(聡)」

「結構眺めがいいなあ(将)」

それほど高度がある観覧車でもないが、かごは徐々に視野の面積を増やしていった。

うっすらとピンクがかった午後の空に近づいていくようだ。

はしゃぐ二人をよそに、孝太は外をみようともせずに、俯いている。

「こうやって見ると、将と孝太くん、本当に似てるよね……将の小さいころもこんな風だったのかな」

聡は、並んで座る将と孝太を見比べた。

孝太は、将に似てるといわれて嬉しいはずのに、ちょっと笑っただけでまた視線を下に戻した。

「孝太くん?」

「あ、お前ひょっとして」

そう。将が気付いたとおり、孝太は高所恐怖症だったのだ。

かごが高くなるにつれて、孝太は目をつぶって、小刻みに震え始めた。

そこへ。

ぐらっと、3人を乗せたかごが揺れた。

すでにかなり高いところに来ているので、やや強い風がかごに吹き付けたのだ。

「怖いよう!」

ついに孝太は将にしがみついた。

将と聡は顔を見合わせて微笑む。

「ほら、孝太。ここに座れ」

将は腰掛けた自分の両膝を広げると、その空間に孝太を座らせた。

そこにすっぽりと収まった孝太の目の上に、将は両手をかぶせた。

「これで、見えないから怖くないだろ。もし落っこちてもお兄ちゃんが捕まえてやるからな」

「うん……」

将に目隠しされた孝太は神妙に、自分の膝の腕に両手を置いている。

聡は、自分の膝の上に頬杖をついて、そんな将と孝太を微笑ましく眺めていた。

かごの中に、午後の名残の薄日が差し始めた。

もうすぐ、てっぺん。最高地点だ。

将は、聡にあごをしゃくって合図をした。

隣に座れという合図だ。

聡は、かごが揺れないように気をつかいながら、そっと将の隣に座りなおした。

「てっぺんだ……」

将はつぶやくと、孝太の目を両手で覆ったまま、首を聡のほうに伸ばして目を閉じた。

薄桃色の雲に一番近い地点。

聡も……、将のほうに肩を乗り出すと、将の唇に、そっと自らの唇を重ねた。