第121話 ヤクザ教師(2)

走りたいのに、こんなときに松葉杖はもどかしい。

将はできる限り、松葉杖を大きく傾けながら職員室へと急いだ。他の生徒も将に付いてきている。

「タミー!」

タミーとは多美先生のことだ……将は職員室の引き戸を開けると、大声で読んだ。

その大声に、京極が振り返って睨みつけた。先週まで聡が座っていた席に座っている。

その蛇のような目付きに、将の後ろで様子を伺っていた生徒は、ぴゅっと引っ込んだ。

お茶を入れていた多美先生は、京極に「まあまあ」ととりなして、将のほうへ歩いてきた。

「なんだ、鷹枝」

将の言いたいことがわかっているのか、後ろ手で引き戸を閉めながら廊下に出る。

ターミネーターのような容貌の学年主任・多美先生は、京極に負けないコワモテで、将もたびたび彼に叱られていた。

だが、その怖い顔の中にある目は温かいのが京極と違った。比べると京極はアナコンダのように冷たく、残忍な目をしているように思えた。

「何だよ、あの極道は? アキラ……センセイはどうしたんだよ」

「コラ、口の利き方に気をつけなさい」

多美先生はいちおう将の乱暴なタメ口を静かに注意しながらも、その瞳は将ら生徒に同情していた。

「先生もよくわからないんだよ。今朝の職員会議でいきなり配置転換が発表になって……。みんな驚いているんだよ」

多美先生はため息交じりだった。

「なんでっ……」

将は前のめりになって多美先生を問い詰めた。

「わからないんだ……。古城先生の指導は高い評価だったはずなのに……」

多美先生は首を横にふって目を伏せた。

「あの……、それでセンセイはどこに……?」

頭がまっ白になった将に変わって、横から兵藤が割り込んで質問した。

「山梨の……新しい施設の副校長に任命されたんだが……」

「副校長ー?」

将と兵藤の声が思わず揃った。

「しかし、あそこはまだ電話もなければ、建物も出来てないはずなんだが……」

多美先生も本当に困惑して、首をひねっている。

そのとき、1時限目開始の予鈴チャイムが鳴り、職員室入り口の引き戸をガラッとあけて京極が現れた。

「お前ら、さっさと教室に戻らんかっ!」

多美先生がいるのをものともせず、将らに怒鳴りつける。

多美先生の優しいテノールの声と違って、男にしては耳に響く甲高い声だ。

同時に小さな雷鳴のような音が下から鼓膜をふるわせた。京極は竹刀を持っていて、それを廊下にたたきつけたのだ。

そこにいた生徒は皆、逃げだすように走って教室へ向かったが、将は松葉杖のまま、立ち尽くして彼を睨みつけた。

「なんだぁ?その目は」

京極は、因縁をつけるヤクザのように将にむかって肩をいからせて寄ってきた。もちろん、睨みつけるのを将が、やめるはずがない。

「京極先生、けが人ですから……」

と多美先生があわてて、とりなそうとする。

「よぉ……。鷹枝将」

京極は、将のことをフルネームで呼んだ。

将の瞼がピクリと動き、そのまま少し目を細める……そうすることで睨みつける目がさらに鋭くなった。

「根性ある目してんじゃねーか、え?」

京極は、竹刀を持ち上げると、その先で将の肩を小突いた。

「京極先生、相手は子供ですよ!」

フッと鼻で笑い、京極は一瞬多美先生を振り返った。

「これが子供の目ですか? ガタイも立派だ……彼は立派に大人ですよ。なぁ鷹枝将」

それだけ言うとすぐに、京極は将のほうに向き直った。

「いいか……。オレは政治家の息子だろうと、けが人だろうと容赦はしねえ。それがわかったらとっとと教室に戻れ!」

多美先生のほうが、あわてて京極を睨み続ける将に

「早く教室に行きなさい!早く」

と肩を抱きかかえるようにして促した。

 
 

 
「早く教室に入れ」

教室の入り口で京極は、将の肩を小突いた。松葉杖をつこうとしていた将はバランスを崩して転びそうになった。

片方の松葉杖がガターンと音を立てて倒れた。

将は、一番前の席に手をついて、危うく転倒を免れた。

一番前の席になった真田由紀子が、倒れた松葉杖を拾って将に渡す。

「サンキュ」

由紀子に礼を言った将に、京極は後ろから

「無駄口を叩かないで、早く席に着け」

とどやす。

「てめえが後ろから押したんだろ!」

将は向き直った。

「押されたくなかったらとっとと席につけ」

「なんだとぉ……」

思わず将は、足がギプスなのも忘れて拳を構えた。

「マイナス2000点」

京極は、将に向かって斜に構えて、冷酷に言い放った。

「教師への暴力はマイナス2000点。もっともお前に2000もの持ちポイントが残ってるのかな。鷹枝将」

「なにぃ」

「退学になりたかったら、早く殴れ」

将は拳を震わせながら京極を睨みつけた。

「ほら、どうした」

「将!やめろってば!」

ギラギラとした目で京極を睨みつける将を、後ろから井口が飛び出てきて、辛くも引き止めた。

井口は将に肩を貸して、席へと連れて行った。振り返った将は京極を鋭い目で追い続けた。

京極は、さっさと教壇にあがると、

「今日は、教科書109ページ!」

と叫んだ。それにまた生徒がざわめく。

「なんだ、早く出せっ!」

出せといっても、出せないのだ……なぜなら、聡の授業のときは、教科書を使わなかったから。

恐ろしくて誰もそれを言いだせない中、勇気ある兵藤がまた手をあげた。

「なんだ、またお前か。丸刈り。言ってみろ」

クラス中が水を打ったように静まり返って、京極と兵藤の動向を見守った。

「古城先生は……、教科書を使ってませんでした」

「なんだと?……じゃあ、どうやって授業をやってたんだ」

京極が、竹刀片手に兵藤の席に近寄っていく。その途中の生徒は、上体を仰け反らすようにして、道をあける。

「こ、これで……」

近寄ってきた京極に、さすがに兵藤の声もうわずっている。

聡が手作りしたプリントを出した。映画やカラオケからの抜粋表現である。

京極は、兵藤の手からそれを奪うように取ると、綴じられた中身をパラパラ読みながら教壇へ戻った。

教壇にあがるなり、

「くだらん!」

とそのプリントの束をバリっと2つに破いた。

「ああっ!」

思わず兵藤が声を上げた。2つに破いたものをさらに重ねて、もう一度破く。

厚みがあるはずなのに、ものともせずにビリビリに破く。

兵藤のプリントはあっというまに修復不能なほどにビリビリに破かれてしまった。

「チョー、ヒドーイ!」

「何するんですか!」

生徒から抗議の声があがる。兵藤は、といったら口をあけたまま呆然としている。

「おい!人のもの勝手に破っていいのかよ!」

将は耐えかねて片足で立ち上がった。

「そうだー!」「そうだー!」

井口やカイト、ユウタの援護に続いて、クラス中から抗議の声があがった。

「うるさいっ!」

京極が教卓をビシッと竹刀で叩いた。

それで沸いていたクラスはシーンとなった。将一人が立ったまま、京極を睨んでいた。

「ということは……お前ら、全員教科書を持たないんだな……なっとらんっ!」

教壇を降りた京極は、一番前の席……そこはちょうど真田由紀子の机だった……を竹刀でもう一発ビシッと叩いた。

真田由紀子はのけぞって、両手で顔を覆った。

「罰として、この時間、全員机の上で正座!」

ええー、と再びクラス中から抗議の声があがる。

それに答えるように、京極は、一番前の生徒の机を順繰りにバシバシと叩いていった。

「文句があるやつは、マイナス100ポイントだ! 授業妨害だから当然だ!」

それには全員シーンとした。

「わかったらさっさと正座ッ!」

皆しぶしぶ、自分の机の上にあがり、正座を始めた。

そんな中、ギプスで正座できない将と京極の目があった。

というより、将はさっきからずっと京極を見据えていたのだ。もちろん仮に正座ができたとしても絶対する気はない。

「鷹枝。お前は正座ができないんだな……。そしたらこっちへこい」

将は黙ったまま、動かなかった。

すると、京極は正座する生徒の間をズカズカと歩いてきて、

「こっちへ来るんだよ」

と引っ張った。もう将の足はかなり回復していて、今週末に松葉杖からステッキに変わる。それでも、むちゃくちゃだ。

将はギプスの足をひきずるように前に連れてこられた。

足が踏ん張れたら、そう無様に引っ張られないのだが……。

京極は教卓脇の椅子に将を座らせると

「おれが、このふざけたプリントを集めるから、お前全員の分を破れ」

何をいうのか、と将は京極を見上げた。

将は、そのプリントをつくるのに聡がとても苦労していたのを知っている。

毎日、視聴覚室でDVDをMDにダビングしてきて、必要な部分を英文と聞こえるとおりの振り仮名などに直してパソコンに打つのを家で遅くまでやっていたからだ。

もちろん、将との同棲が始まってからも。

『将、これさ、○○○に聞こえる?それとも○△○に聞こえる?』などと、将もたびたび聞かれたものだ……。

京極は将を一瞬睥睨すると、生徒たちの机の中から次々とプリントを出し始めた。

プリント以外にも私物が入っていた生徒には、まるでヤクザが恫喝するように、怒鳴りつけた。

怒鳴られて泣き出す女子もいた。そして15分以上たつと、皆揃って正座がつらそうになってきた。

ようやく、全員分のプリントを集めてきた京極は、将に

「さあ、破れ」

と命じた。将は黙って座っていた。

「破るんだよッ、ほら」

黙って座る将の肩を、京極はまた小突き始めた。

しかし将はどんなに小突かれて体が揺れようとも、返事をしなかった。

「コラ、お前逆らう気か、アア?」

唾が雨のように将の顔に降り注いで、将は京極のほうに鋭くした目を突き刺した。

「コイツ……」

京極は憎憎しげに将を睨み返した。

クラス中が、正座の苦しみの中から将の動向を見つめていた。

「減点されていいんだな」

「ハイ」

将はあっさりと返事すると、集められたプリントを持って、立ち上がった。そして、ギプスの足を引きずりながら、教室を出た。

京極は追わなかった。そしてわざとクラス全員に聞こえるように

「授業妨害でマイナス100。授業放棄でマイナス100。計200マイナス」

と大声で言った。

将は、手すりを頼りながら、なんとか階段を降り、職員室にやってきた。しかし、頼みの多美先生はいない。

将は、がっくりと肩を落として校門を出るべく、靴を履き替えた。

もう、学校にいる気がしなかった。ヤクザ教師だけがその理由ではない。……聡がいない学校なんて。

朝の冷えた空気で、将はマフラーもダッフルも教室に置きっぱなしだったことを思い出した。

松葉杖はいいとして、カバンも全部だ。

携帯はポケットに入っているが、財布がカバンの中だからタクシーにも乗れない。

将は、そのまま空を見上げた。

――アキラ、どこにいるんだよ。いったいどうしちゃったんだよ!