「うわっ、もう11時?」
篠塚が腕時計を見て言った。ようやくコンポジの撮影が終わったところだ。
5時頃から開始したので、6時間も掛かったことになる。
さまざまな衣装、ポーズでの撮影は面白かったが、将はかなり疲れた。
途中で小休憩があり、差し入れがあったが、お腹もすいていた。
ちなみに結局、髪は切らずにそのままで撮影している。
「みんなでどっかでメシ食っていきます?」
アートディレクターが提案したが、
「将は明日も学校があるんでしょ。私が送っていくわ」
とマネージャーの武藤が却下した。
将と武藤以外のスタッフは「お疲れ様ー」と言い合いながら、そのまま夜の街に繰り出すようだった。
「将、お疲れ様。疲れたでしょ。すぐ車をまわすから待ってて」
武藤はクールな顔の中に将への気遣いを見せた。
「ハイ」
将は素直に、通用口の前で待つ間に、携帯を開く。
聡の待ち受けに23:18の表示。もうあと42分で明日、つまり18歳の誕生日だ。
――そうだ。
このまま、聡の家に行こう。
自分の思いつきに将は疲れを忘れて元気になった。
「お待たせ。さ、乗って」
武藤が運転する車が着いた。シルバーの高級国産車だ。
助手席のドアを開けた将は、
「あなたは後ろ。大切なタレントなんだから」
と促される。よく意味がわからなかったが将は素直に後部座席に乗りなおした。
後部座席の窓は、スモークガラスになっていて外から見えにくくなっているのがいかにも芸能プロダクション仕様だ。
「お腹すいた?」
「いいえ、大丈夫です」
本当はお腹が空いていたが、寄り道するよりは一刻も早く聡の部屋に行きたかった。
びっくりさせたいので、敢えてメール連絡はしないことにした。
「185センチ、66キロ。ダイエットの必要はないけど、もう少し筋肉をつけたほうがいいかもしれないわね。週2回程度ジムのスケジュールを入れていいかしら」
「ハァ」
バックミラーに、武藤の眼鏡のあたりが映っている。やや上向きの切れ長の目が将のほうを見ている。
誰かに似てるなあ、と将は思った。
「あ、そうだ!」
思い出した将はすっとんきょうな声を出した。
「武藤さん、スケートのイナバウアーの人に似てるって言われません?」
「えー、何よ、急に」
武藤は、クールな顔と言葉つきを崩した。
「似てる、絶対似てる、そっくり!」
「もう、スケジュールと関係ないでしょ!」
と、たしなめる声が少し大きくなりながらも、アクセルさばきは乱れることはない。
大切なタレントを乗せている自覚があるからだろう。
「……ところで、将」
「何ですか」
「学校は転校することになるからね」
「……え!」
何でいきなり。
将は一瞬狼狽したが、シートから身を起こし、運転席の背もたれに向かってはっきりと
「嫌です」
ときっぱり言った。
今度はそれに武藤が驚いたようだった。幸い信号待ちになり、振り返って
「何で」
と聞いてきた。切れ長の目が見開いてキツイ印象になっている。
将は、武藤を一瞥すると
「そっちこそ、何で、転校しないといけないんですか」
と訊き返す。
「だって、身元を隠すのが、あなたがウチに入る条件でしょう」
武藤の口調は、すでに落ち着いている。
「なんだソレ」
「あなたの保護者から言われたのよ」
「カンケーねーよ」
将は乱暴に言い捨てると、後部座席のシートにふんぞりかえった。
保護者=父関係、が話題に出て、思わず将の言葉は崩れてしまっている。
「だって、学校のお友達や先生は、アナタの身元を知ってるんでしょう?」
「俺の知ったこっちゃねー。とにかく俺は転校は絶対イヤだ」
そのとき、信号が変わった。
武藤はアクセルを踏みながらバックミラー越しに将を見つめる。というより睨むようだ。
「どうしてそんなに転校が嫌なの?」
「……」
将は、バックミラー越しの武藤の視線を避けるように、窓の外に視線を移した。
夜の中に、街の灯が流れていく。
聡がいるから。聡がいなけりゃ学校なんかいかない。……とは言えない。
「身元なんかさ、口止めしとけばいいじゃん」
将は学校に執着する理由のかわりに、対応策を出した。
「バカね。口止めなんか誰が守るもんですか。ちょっと小金を積まれただけで軽くしゃべるわよ」
「フン」
将はそっぽを向いたまま
「とにかく、絶対転校しろっていうなら、俺はこの話降りるぜ」
と言い放った。
武藤は、『なんだこのデカイ態度は』と思った。
本来だったら『アンタの代わりぐらいごまんといる』とも言いたいところだ。
だが、社長強力推薦の新人の将である。ここでヘソを曲げられてしまったら武藤の責任になってしまうので口をつぐんだ。代わりに
「わかったわ。転校の件は少し考えるわ」
とたしなめておいた。
そして、社長から聞いた彼女、というのは学校の中にいるんだな、と確信していた。
聡は、風呂からあがって一息ついていた。
もうすぐ将の誕生日の日付になる。
土曜日に泊りがけのデートをするのは決まっているけれど、聡はその瞬間に将にメールを送ろうと、メッセージを考えていた。
しかし、文面をどうしようか、と頭を抱えた。
ふと、思いついて、将が聡の26歳の誕生日にくれたカードを取り出す。
雨と涙で滲んでよれよれになったそれには、将から聡への愛が詰まっていた。
――宇宙一愛する聡が世に生まれ出たこの日に感謝、か。
もらったときは、少しクサイかも、と思ったが、こうしてみると、将の聡への愛情表現はなかなかだ。
それ以上のものは思いつかないかもしれない。
そういえば、将の先日の実力テストの成績は、現代国語と小論文だけ飛びぬけてよかった。
この2つだけだったら、どこの大学を受けても問題ない実力だった。
――どうしよう。
聡は悩んだ。文面に悩む頭は、寄り道をしようとして、マグカップのほうに聡の注意を向けた。
そうだ。将は誕生日にマグカップを呉れたんだった。
聡も、せめて土曜日に間に合わせて、何かプレゼントを用意するべきではないのか。
――買う暇あったっけ。
今週、放課後はずっと進路指導で埋まっている。
だけど、5時に終了してダッシュで電車に乗れば、少しは見る時間があるだろう。
木曜日か金曜日に、聡は将のプレゼントを買うことにする。
そして、再び文言に戻る。
「うーん……」
聡は思い浮かばなくて、ベッドの上に寝転がった。
――私は、将が生まれるのをずっと待っていた……年増っぽいなあ。
――将に出会えて幸せです……月並みだなあ。
もうあと3分しかない。
聡はゴロゴロとベッドの上で寝返りを打ってじたばたと足を動かした。
……ピンポーン。
聡はハッと身を起こす。こんな夜更けに誰?
警戒して足音を立てないように、玄関にしのびよる。
インターフォンの画像を確かめようとしたとたん、ドアがいきなり開いて、聡は熱いものに抱きしめられた。
近すぎて見えないけど、懐かしい匂いはまぎれもなく将のものだ。
「アキラ!」
「……将!」
もはや、どうしたの、などとは訊かない。将は聡に逢いに来たのだ。
二人は玄関先できつく抱きしめあった。
「いま、何時?」
ハッとして聡が訊いた。
つけていたテレビがCMから番組に切り替わった。
「ちょうど12時だよ」
将は自分の携帯を開いて確認すると、聡の瞳を見つめた。
聡は、将の顔を両手で包むようにすると、自分のほうに引き寄せた。
そして聡のほうから、将の唇に吸い付く。
「将……、18歳の誕生日おめでとう」
それを言えたのは、長い口づけの後ようやく、だった。