第229話 猫のその後

まもなく中宴会場で制作発表が始まった。

ドラマの制作発表なので、TVカメラは自社のみだが、雑誌関係者はかなり来ている。

広めに作られたひな壇の上に、将ら生徒役は並ばされた。

特に将、大野、四之宮らメインの5人は生徒の中でも前に並ぶように指示されている。

そこへ主演の仲田雪絵が笑顔で登場した。すっかりおなじみになったジャージ姿だ。

おもったよりずっと小柄なのに将は驚いた。

しかし小柄なのに、あたりをうっとりとさせるオーラに満ちているのに2度驚く。

 
 

「ちょっと、アンバランスだよな。あのSHOってコ」

武藤は声のほうを思わず振り向いた。ひそひそとした声だが、SHOの名に敏感に反応したのだ。

そこには二人の男がいた。きちんとしたスーツを着てひな壇を眺めている。

持っているデジカメが小型デジカメなところと、服装から、芸プロ関係者だろうか、とあたりをつける。

「生徒役メインのうち、一人でバカでかいよな。大野くんと比べてもかなり違う。うちの四之宮とは……並べたくないな」

聞き耳をたてた武藤は『うちの四之宮』という言葉から、彼らが業界5指に入るJプロの人間だということがわかった。

「仲田ちゃんが小柄だから、生徒も小柄で揃えるって発想のはずなのに……まあ、イケメンくんであることには変わりないわな」

「まったくDプロも偉くなったもんだ」

スポットがあたっているひな壇以外の場所は暗い。

だから武藤が一重の切れ長の端で鋭い視線を送っていることに、彼らは一向に気付かない。

ひな壇では、彼らがいうとおり、5人のメイン生徒の中で首1つ分背が高い将がいた。

やや緊張した面持ちながら笑顔をつくっている。

――将、頑張るのよ!

武藤は、客席から目線でエールを送った。

 
 

それから、将は少しずつ忙しくなった。

何しろ、前の『ばくせん』のメイン生徒役は皆、人気アイドルや俳優として活躍している。

そのパート2ということで、将たちは明日の人気者扱いで次々に取材を受けた。

その数は世の中にこんなに雑誌があったのか、と思うほどだ。

加えて、ファッション誌やメンズmon-moでスタイルのよさを披露した将は、モデル系の仕事も多い。

『行けるうちに出席日数を稼いでおきなさい』

という武藤の配慮で、学校には出来るだけ行かせてもらえた。

ほとんどは午前中のみ、などで1日中いられることはなかったが。

あいかわらず将は必要以上に……例えば指されたときなどは別だが……聡と言葉を交わさなかった。

そんなようすに、クラスメートたちもようやく異変に気付いたようだった。

「ねえ、鷹枝くん。アキラ先生とはどうなってんの?」

休み時間に早退しようとする将に、チャミが甲高い声で聞いた。

近くでは星野みな子が、ひそかに耳に神経を集中させている。

「……もともと何ともないよ」

「うっそぉ!めちゃくちゃ付きまとってたじゃん」

やめなよ、とチャミの肩をカリナがつかんでいる。

将は一瞬黙って、瞳だけを動かしてチャミを見下ろした。

そのようすに、チャミは、その後ろのカリナごとたじろいだ。

しかし、すぐに明るい調子で

「そっかな?」

と返した。そして、チャミもカリナも通り越して、席についたままのみな子に顔を向けると

「みな子ぉ~、コピーありがとう!またヨロシクっ!」

と手をあげた。

「み、みな子ぉ?」

チャミとカリナがみな子を振り返って、再び将のほうに視線を戻したときは将はカバンを肩にかつぐようにして入り口をくぐっていた。

みな子自身もびっくりしていた。

『星野サン』がいきなり『みな子』になったのだ。

考えれば、名前だけを、声変わりした男子に呼ばれるのは初めてだった。

みな子。その名前を初めて低い声で呼んだのが、鷹枝将。

みな子は、悦びに震える心の中を表面に出すまいと、今日あてられる場所の準備に集中するフリをした。

 
 

将は、タクシーで現場に向かいながら、携帯を開いていた。

いつ武藤などに見られるかもしれないから、待受画面は携帯オリジナルに変えてある。

最新のメールを開く。

そこには聡からの短いメッセージがあった。

>>>

メール、ありがとう。

ずっと、見守ってるよ

>>>

ここのところ将は、寂しくなると、こっそり聡からのメールを繰り返し見ている。

それは、他人が見たとしても、ありふれた、短い言葉でしかない。

だけど、その中には、受け取った将だけにわかる、聡の気持ちが封じ込められている。

短い文字の羅列は、将が読めば血が通う。

血が通い始めた聡の想いは、瞳の網膜を通じて、将の体を駆け巡る。

すべての毛細血管のすみずみまで聡の思いが行き渡るまで将は、聡を思い浮かべて目を閉じる。

そうやって静かに聡を思う時期があるのも悪くない、と思うことにしている。

たまの学校で……教壇の上に立つ聡に出会えたときは、いっそう目に力を入れるようにしてその姿を、耳に神経を集中して声を焼き付ようと努力した。

みな子にもらうことにしている、聡のプリントのコピーも、聡を感じることができる素材の1つだ。

近頃、聡は新しい映画から例文を抜き取ることも多い。

市販にテキスト化されていないものを教材にするということは、聡自身の労力を意味する。

聡が皆に覚えて欲しい、と聡自らが抜いた例文を将は1つでも覚えようと、新しいマンションのベッドにそれを持ち込んで眺めながら眠りにつく。

 
 

「ハイ。昨日の分だけだけど」

早くも翌々日に学校にこれた将は、さっそくみな子にノートを渡された。

いつもギリギリの時間に来る将だが、今日は比較的ゆとりのある時間に来ている。

「サンキュ」

そんな将とみな子の様子を見た、チャミやカリナがヒソヒソと話をする。

「やっぱさぁ……鷹枝くん、アキラ先生からみな子にチェンジしちゃったのかなあ」

「でもさ、全然タイプ、ちがくな~い?」

「だよねー。でもこないだ、放課後一緒に歩いているの見たって1年がギャースカ騒いでたし」

そんな風に噂されているとも知らずに……いや、本当はみな子は知っている。

すれ違う下級生から羨望の目で振り返られることや、ときに睨みつけられることもあった。

友人のすみれですら

『ちょっと、みな子、鷹枝くんと付きあってんの?』

などと訊いてきた。

もちろん『違うよ、単にノートとってあげてるだけだよ』ときちんと否定することは忘れないが、そのたびにみな子の心には奇妙な喜びが走るのだ。

愉快さ、といってもいい。

火のないところに煙は立たない、という。だけど、そもそも煙は火のもとではないのか。

虫眼鏡のレンズで黒い紙に日光を集めたとき、最初に出てくるのは煙だ。

そこに油などの可燃性のものがあれば一気に燃え上がる。

だけど、みな子には、どうすればこの煙が炎に燃え上がってくれるのか、わからない。

ただ、しつこくして、紙を湿らさないようにだけ、気をつけるしかない。

「あのさ……」

さっそくみな子のコピーに見入る将に、みな子は慎重かつ、さりげなく話し掛ける。

幸い、横からちょっかいを出しそうな井口はまだ来ていない。

今日、将が来るとわかっていたから、みな子は髪をおろしている。

それがさらりと、うまく顔に掛かってほしい、とみな子は願いながら朝、アイロンをかけた。

「猫のこと、わかった?」

「ああ」

将はやっと、みな子のほうを向いた。

 
 

実は先週、将と一緒に帰ったとき、モロッコの話があまりにも面白かったので……将が話すからいつまでも聞いていたいほど面白かったのかもしれないが……

つい、校門までといいつつ駅まで一緒に歩くことになってしまった。

まだテレビに1本と、一般人として雑誌に出ただけの将なのに、人目をひどくひいた。

下級生や、他校のギャルが振り返るのがわかる。

露骨に指差している者までいる。

――きっと、つりあわないとか言われているんだろうな。

俯いて下を向いたみな子は、並んで歩く二人の影がアスファルトに映っているのに気付いた。

影は、二人を先導しているように、二人が行く道に長く伸びていた。

オレンジ色の陽光の中で紫の影になった二人は、なかなか親しそうに見えて、みな子は気を取り直した。

だが、モロッコの話が一段落してしまうと、しばらく沈黙した。

沈黙は、みな子には一大事だった。

何か話題を見つけなくちゃ!とみな子は自分の影を踏みしめた。

やっきになったみな子は、あの1年のときの猫のことを話題にしてみたのだ。

「あのときの、子猫ってそのあと、どうなったの?」

「猫ぉ?」

大げさにこちらを振り返る将は覚えていないようだったが、みな子は辛抱強く説明する。

ちょうど、今ぐらいの時期、こんな天気のときだったような気がする。

「1年のときに、上級生をやっつけて、ビニールに入った猫を助けてたじゃん」

「あー、あれ!」

そこまで聞いて思い出したらしい。将は歩きながら上目遣いになった。

「ひっどいよなあ。猫を袋詰にして蹴ったくるなんてよぉ。……あいつら同じ目にあえばいいんだよ」

「やっぱり……死んじゃったの?」

将の激しい語気に、猫はやっぱり死んだのだと、みな子は思った。だが一応確かめる。

あんなに……腸がはみ出るほどになった猫が生きられるはずがない。

みな子はアスファルトに映る自分の影をそっと踏みしめる。

「いや。たぶん、まだ生きてると思うよ」

「え?」

みな子は一瞬足を止めて将を振り返った。将も立ち止まってみな子を見た。

「ほんと?」

「うん。病院に連れてってね。俺もダメかと思ったけど、助かったよ」

オレンジ色の太陽が将の後ろから差して、まるで後光のようだった。

まるで神話に出てくる太陽神のように、将はこちらを見て微笑んでいた。

みな子は思わず涙が溢れそうになるのを見られまいと、顔をそらすと再び影に向かって一歩を踏み出した。

「そう……。よかった」

さっきのとは違う沈黙が、みな子を包んでいた。

なんだか分からないけれど温かい、時間のようなもの。

みな子を包む世界はすべて、暖色に染まってキラキラ輝いていた。

車のボンネットに反射する夕方に近い太陽の色。線状に金色を反射する電線。

こんなに美しかっただろうか。

「今は、どうしてるの?」

この世界を、自分の声で壊すのはもったい気もしたが、あまりにも美しすぎて、落ち着かなくなったみな子は再度質問を口にした。

「どうしてるかなぁ……。知り合いに頼んで、猫好きの家に引き取ってもらったんだけど……」

将が考え考え歩いているうちに、駅が近づいてくる。

「今度、訊いてみるよ」

そういって、将はみな子と別れたのだった。