第232話 梅雨前線(1)

梅雨入り宣言がなされたあとに始まりながらも『ばくせん2』の撮影は順調だった。

将ら、主要な生徒役は、台本読みやリハーサルも含めて撮影に拘束されるのは週4~5日程度だ。

しかし、今回は夏の話なので、外での収録が多い。

天気がいいうちに、できるだけ外のシーンは撮ってしまおうということになり、数話分の脚本から外のシーンを抜き出して連日撮影ということになっている。

セッティングを変えて繰り返される、こまぎれのシーンは、その前後を把握するのに一苦労する。

役の気持ちに入り込むどころではない。

そのせいか将には、いまいち、演技というのがよくわからなかったが、あまり悩むことはなかった。

撮影現場が楽しかったからである。

等身大の高3の役というのもあるし、共演者のほとんどは、同年代の男子ばかりだ。

特に、大野啓介は同い年ということもあり(実際は1学年上の2月生まれだが)、気があった。

おまけに啓介はさっぱりとした性格の明るいムードメーカーだったから、おかげで将も一緒にその他大勢(といったら悪いが)クラスメート役とも、すぐに打ち解けることができた。

毎日、待ち時間にだべったり、ゲームしたりしているうちに、すっかり仲良くなった。

だから、ここのところ将はなんだか学校に行くような気持ちでスタジオやロケに通っているのである。

それにやっぱり、誰もが知っている人気女優の仲田雪絵との共演は嬉しい。

彼女と演技以外のところで話をするチャンスはほとんどなかったが、とてもいい人だということは周りの人の、彼女に接する態度を見ていてもわかる。

仲田ちゃん、仲田ちゃんと親しげに呼びかけながら、みんな目はうっとりとしているのだ。

そしてこれは、仲田雪絵以外にもいえることだが……女優や俳優たちは、実物でみると、テレビで見るよりもずっと派手な顔立ちをしていた。

仲田雪絵などは、その顔のほとんどが目のように見えるほどだ。

それがなぜか、カメラを通すと、少し地味になる。

ブラウン管を通して派手な顔立ちに見える人は、実物はまるで外国人のような彫の深さなのだということを将は知った。

クラスメート役にしても、みんな『本物』よりかなりルックスのレベルは上なのに、カメラにうつると見事に『普通』の生徒になる。

大野啓介も実物はかなり整った顔なのに、ドラマの中では『俺、3枚目顔だし』と本人も自嘲するとおりだ。

将も、遠目のカットでは、自分が知っている顔よりも、かなり目が細く見えて

――俺ってこんなに目細かったっけ。ブサイクじゃん。

と驚いたくらいだ。

そんな中で、一線を画しているのが、あの金髪の美青年・四之宮敦也だった。

彼も、その大きな瞳は画面では細めに映ったが、その印象は細い、というより「切れ長」だった。

しかし少しでもカメラが近づけば、その黒い瞳は誰よりも早く主張を始める。

これが目力というやつか、と将は感心した。

アイドルグループの仕事で忙しい四之宮は、よく撮影に遅れてきた。

台本読みもだいたいは代役だ。

みんなが和気藹々と騒いでいるときも、それには加わらず、一人、台本を読んだり、ロケバスの中で寝てたりなどして静かに過ごしていた。

劇中では『仲良しの悪ガキ』であるメイン生徒5人の中でも、彼は1人浮いているようなところがあった。

もっとも、5人の中で彼はあきらかに主役なのだけれど。

啓介などは

「だって、恐いじゃん。睨まれそうで。だいたいハタチで芸歴10年とか、何考えてるかわかんないし。SHOとか、ぜったい嫌われてるって」

と首をすくめたが……将には、そんなに威張ってるようにも思えなかった。

なぜなら、こんなことがあったからだ。

 

先週行われたエンディングテーマのロケは広い河川敷で行われた。

教師役の仲田雪絵と教え子役がまじってドッジボールをする、という設定だったのだが、主役の仲田雪絵がなかなか到着しなかった。

将ら生徒は最初は大人しくロケバスの中で待っていたのだが、だんだん狭い車内にいることが退屈になってきた。

スタッフはカメラの準備をしたり、現場になる河川敷で忙しく働いている。

前列でふわーっと欠伸をした将は、バスのフロントガラスの向こうの地面にカラフルなボールを見つけた。

おそらく撮影用に用意されているものだろう。

「大野くん、練習しよう」

狭いシートに寝そべっていた啓介も、よしきた、とばかりに飛び起きた。

外に出ると川原の風が気持ちいい。陽射しは強いけれど、風のおかげでそれほど暑くはない。

バスの中で缶詰になっているよりも、体を動かした方が、むしろよい準備運動になるだろう。

二人は緑の中、ボールの投げあいを始めた。

外で、ドッジボールのキャッチボールを始めた二人に、他の生徒たちもわらわらとバスを降りて参加し始めた。

最初はキャッチボールの要領だったが、人数が増えると本番さながらに、ドッジボールに熱中し始めた。

「制服を泥だらけにするなよ」

と『仲田待ち』状態になったスタッフたちも、笑いながら見ていた。

「オラオラーっ……と見せかけて」

本気で目の前の敵にボールをぶつける振りをして将は、ボールをぽーんと外野にいる啓介に送った。

しかし、少し力が入りすぎたらしい。大暴投となったボールは啓介を越えて遠くへ飛んでいった。

「どこに投げてんだよ!」

と笑いながら、ボールを追う啓介が立ち止まった。

いや、啓介だけではない。ボールの行く先を見ていた皆の動きがとまった。

将が投げたボールは、大きく弧を描くと1バウンドした。

その先には四之宮がいた。

四之宮は車のすぐそばの草むらにシートを敷いて仮眠中だった。

直射日光があたらないようにスタッフのジャケットをかぶせたその顔に、ボールは直撃したのだ。

……ヤバ。

その場にいた皆が、凍りついた。

四之宮は、すぐには反応しなかったが、しばらくしてむくっと起き上がった。

すぐそばのタイヤの下で止まったボールに、ゆっくりと不機嫌そうなまなざしを向けた。

「すいませーん」

投げた将は啓介を越えて、四之宮のほうに近寄りながら声をかけた。

「ボール、いいですかぁ?」

啓介は『げっ、怖い物知らず!』と叫びそうになった。

だが……四之宮は、何も言わずに立ち上がると、ボールを手にとり、将の手に投げ返した。

それは、起きぬけとは思えない滑らかな動作で、コントロールも正確だった。

かつスピードもあり、受け取った将の手は、軽い振動でジーンとした。

四之宮は、ボールを将に返すと、何事もなかったようにまたシートの上に仰向けになった。

しかしボールを投げ返した後に、四之宮がわずかな笑みをも投げ返したのを知るのは、将だけだった……。

 
 

6月下旬になると、梅雨前線はにわかに北上しだした。

1話をようやく全部収録した直後から、雨の日が多くなってきた。

とうとう撮影予定日が雨でつぶれて、かわりに将は学校に行くことになった。

まるで学校のような撮影現場も楽しかったが、聡がいる本当の学校にいけるのはやはり嬉しい。

浮き立つ気持ちとはうらはらに、濃い雲に覆われ、雨で濡れて色を濃くしたコンクリやアスファルトの町は真っ暗だった。

M区から荒江高校がある町までは、ラッシュと逆方向なので電車は比較的ラクだったのだが、激しい雨に、駅から歩く将の膝下はびしょびしょになった。

歩くたびにバッシュの中でじゃぶじゃぶと水の音がして、中から水が染み出てくる。

学校まで送ってもいい、という武藤の申し出を断るんじゃなかった、と将は後悔した。

教室もそのままでは授業に適さないほどの暗さなので朝から蛍光灯が付けられている。

将は、上靴に履き替える際に、びしょびしょになった靴下を脱いでしまった。

じっとりと濡れた靴下を手に持って、将は教室の入り口をくぐった。

「おぉ、将じゃん」

将に気付いた井口が声をかけてくる。

「うっす」

将も笑顔で手をあげた。

「すっげー雨やね」

そういいながら将はカバンを置くと、濡れた靴下を窓で絞った。

本当は手洗い所で絞ってもいいのだが、いちいち廊下にでて、下級生にきゃあきゃあ言われるのが面倒だったからである。

気がつくと、靴下を絞る将のすぐ後ろに井口が立っていた。

「……どうしたん?」

将は絞った靴下を持ったままおどけた。

「あのさ」

井口は深刻な顔を近づけてきた。

今日はポニーテールにしている井口は、口の上の髭が少し伸びている。

朝バイトにいっているパン屋の匂いだろうか。香ばしい、パンが焼ける香りをいつのまにか井口は身につけていた。

「最近、大悟をサ」

そんな、なごみの香りとはほど遠い低い声。そして鋭い光を目に浮かべながら井口は将に囁いた。

「よくクラブで見かけるんだけど……。あの前原くんのヤバイ友達と、なんか、話してた」