巌の通夜は盆明けの19日、葬儀は翌20日に決まったことが翌日の朝刊で告知された。
マネージャーの武藤は、将の20日のスケジュールをあけるために、再び忙しくあちこちと連絡を取り合って調整に奔走することになった。
ちなみに『ばくせん2』の最終回の撮りは、将が登場する部分は8月27日で終了する。
だが、9月に入ってすぐに元倉亮の新作の撮りが始まるという。
「それ1月期って言ってなかったっけ?」
「ストーリーが夏の終わりから始まるんですって。通常のドラマのスケジュールで行くと、雪景色しか撮れなくなっちゃうから」
「ふーん」
将は、先日のオーディションで会った元倉氏を思い出した。
四之宮の言ったとおり、オーディションというよりは、面談に近かった。
『撮影中は、だいたい月の半分くらいは、ロケ地に滞在することになります』
監督が説明する横で、元倉氏は始終にこやかに将を見つめていた。
そしてこんなことを言ったのだ。
『SHOくん。君、過去に後ろ暗いことがあるだろ?』
将は、あのことを言い当てられた気がしてギョッとした。
元倉氏の視線は、にこやかな表情とはうらはらに鋭くて、将は逃げられない、と思った。だから素直に
『はい』
と答えてしまった。
元倉氏は、まっすぐに答える将を見て、何度もうなづきながら、くっくっと笑った。
そして
『いいよ。君さ……。自分でも気付いていないだろ。すごいコントラストが同居してるんだよ』
と笑いながら将を指差して、指摘を始めた。
明るさと暗さ。優しさと冷酷さ。育ちのよさと野生味。素直さと他人への疑心暗鬼。そして正義感とそれを裏切る過去……。
そんなことを元倉は挙げて
『いいかい。今度の峻という役は、君に極めて近い役どころだ。同じ年代の役者で彼を的確に理解できる者はいないだろう』
シナリオの他に、分厚い設定資料を将に渡した。
何でもドラマに出てくる部分以外の、『峻』の生い立ちが書いてあるらしかった。
将は、分厚いそれを一晩で読んでしまった。
巌の死を思い出さないために……思い出すとぐちゃぐちゃになるまで泣いてしまうから……将はできるだけ空白の時間をつくらないようにしていた。
聡と電話した晩から、悲しみは氷河が一気に解けたように、ことあるごとに将の全身を襲うようになっていた。
『何が悲しい』という理屈ぬきで、体が震えだしてしまう。
熱い何かが腹の底から、脳を圧迫するように突き上げて、涙が押し出される。
そうならないように、将は一人でいるときも、思考に空白を作らないようにしていたのだ。
設定資料を読んだのもその一環ではあったが、
そこにはドラマにはまったく出てこない、『峻』の家庭環境や、過去の女性関係その他もろもろが書いてあった。
『峻』自体のストーリーとして十分面白く、将を引き込ませてくれて、その間は悲しみを思い出さずに済んだのだ。
「28日からは6日間、オフにしてあるから、その間に足の抜釘手術をするように手配したわ。手術は29日の午後からで、入院は31日までだから」
そこまで話したところで、武藤の携帯が鳴った。
事務所の会議室で、今後のスケジュールについて、打ち合わせをしているところだ。
「……ハイ。ダイヤモンド・ダストの武藤です。……こちらこそお世話になっております。はい。あさっての件ですよね」
あさって、という言葉で将はストローでジュースを吸い込んでいた顔をあげた。
あさっては巌の葬儀の日で、オフになっているはずだ。ということは、実家関係者からの電話だということになる。
「ええっ?ちょっと待って下さい」
武藤が声を荒げたので将は、何事かとその顔を見た。
しかし、武藤は将に背を向けると、会議室を出ていってしまった。
将は、追って立ち上がるとドアに耳をそばだてた。
どうやら武藤はドアの外で話しているらしい。
「どうしてですか」
「そうですけど、そういう約束でしたけど……」
「でも、将くんにとって大事な方の葬儀じゃないですか」
「ひどくないですか」
という声が聞こえてくる。
その声は、最初は抗議の口調だったのが、だんだん悲痛な響きが混じってくるようだった。
どうやら実家の者から、将にとって嫌な知らせがもたらされたらしい。
もともと実家に対して、嫌なイメージがほとんどである将は、
それほど心配もせずに、ドアから離れると元の椅子に座って、ストローで残ったジュースを音を立てて吸い込んだ。
まもなく、武藤が部屋に入ってきた。ドアを閉めるなり、ため息を深くつく。
「どーしたの?」
将は、椅子に寄り掛かるとできるだけ陽気に、問い掛けた。
武藤は、将の前の椅子に、腰を落とすと机に肘をついて、またため息をついた。
いつもクールでしゃきっとしている武藤がこんな様子を見せるのは珍しい。
「電話、誰からだったン?」
将はストローを上下の唇で挟んだユニークな表情で訊いた。
「毛利さん」
武藤は眉根を寄せたまま呟いた。
その名前を聞くだけで、ロクな知らせじゃないな、と将には予想が出来た。
「毛利、何て?」
「それがね……あさってのお葬式、来なくていいって」
「へ?」
「あなたの身元がばれるから、来たら困るって……」
将は口をあけたまま、言葉を失った。ストローが空のプラスチックのコップをそれて床に落ちた。
「……なんだよ、それ」
何でも、葬儀当日は政界関係者や、TVや新聞社、週刊誌までマスコミが多く訪れる可能性があるという。
そんなところに、顔が売れ始めたイケメン俳優のSHOが顔を出すと、
康三がその父親であることを世間に公表してしまうことになるから、葬儀への参列を控えてくれ、という要請だった。
「たしかに、あなたの芸能界デビューは、身元をあかさないのが条件で許可していただいたわ……でも、ひどい」
将もまた、机に肘をついて、額を右手で支えた。自分の頭蓋骨がいっそう重く感じる。
この数日、悲しみを思い出さないようにして頑張ってきたのは……
仕事を片付けて、せめて葬儀には出たい、巌と最期の別れに出たい、という目標があったからだった。
大磯に駆けつけることもならず……それすらもかなわないのか。
「……俺、ヒージーの骨を拾わないといけないんだよ。ヒージーと……約束してるんだ」
将は机に向かって、呟いた。
巌の骨のかけらを、森村先生の墓が見える場所に埋めてほしい。
将と聡に託した、最後の願い。
それを遂げるために将は、巌の骨を拾わなくてはならない……。
武藤は少し顎をあげると、俯く将を見つめた。
悲しげに丸まった、広い背中が武藤の胸をついた。
武藤は立ち上がると、将のわきに立って肩に手を置いた。
「将、心配しないでいいわ。ひいおじいさまの葬儀には私が必ず連れて行ってあげる……」
「武藤さん」
将は傍らに立つ武藤の顔を見上げた。
武藤は、将の傍らにしゃがみこむと力強く微笑み、肩を叩いた。
「一番可愛がっていたひ孫が、送り出せないなんて、絶対にありえないもの……。私がなんとか説得するわ。
……大丈夫よ、行ってしまえばこっちのものよ」