第315話 クリスマスの夜、二人(3)

小さなモルタルの教会は、ゴシック様式をかろうじて模した尖塔を、降りしきる雪の夜空にぼやけさせていた。

だが、せっかくタクシーまで使ったにもかかわらず、当の教会は、ミサを一目見ようとする見物人が入り口まで溢れているありさまだった。

入り口にしつらえられた大きな雪だるまも、人々の熱気に汗をかいたようになっている。

小学生の聖歌隊の親たちが多いらしい。それぞれがカメラを手に自分の子供の出番を待ち構えている。

まだミサは始まったばかりらしく、神父の声が聞こえていたが、あたりには厳粛さはまるでない。

「どうする?」

伊達眼鏡をかけた将は入り口の段の下から背伸びをしながら中をのぞいた。

「……やめとこうか」

入り口にたむろする人だかりに、思わずのけぞるような体勢になりながら聡は答えた。

この人だかりに、芸能人である将が現れたということがバレたら、大変な騒ぎになってしまうかもしれない。

「肩車してあげようか。中のツリーきれいだよ」

おどけて将は微笑む。聡は微笑で返すと、入り口から踵を返してビニール傘をさした。

降り続く雪は、人で踏み固められた上にさらにうっすらと積もっている。

ビニール傘の視界もあっという間に張り付く雪で閉ざされていく。

 

「アキラ、こっち」

足元に気を取られていた聡が振り返ると、将は教会の裏手へと続く新雪の上にいた。

20センチにも降り積もったなめらかな雪の表面に将の足跡が数個の穴となって残っている。

「なあに?」

聡は慎重に将のつけた足跡に自分の足をあわせながら将の行く方へついていった。

教会の裏は、小さな公園になっていた。雪に覆われた砂場とブランコ、ベンチが、暗い水銀灯に照らされて滑らかな影をつくっていた。

将は足を振り上げるようにしてズボズボとブランコに近づいた。

ブランコの腰掛の上にも、まるで豆腐のように四角い雪が乗っている。

それを手袋の手ですとんと落とすと、聡を手招きした。

「ここで聞こう。賛美歌」

「濡れてるじゃない」

木の座面は、雪を払い落としたあとも水気があった。そこに腰掛けるのは憚られた。

「平気」

将は自らがつけていたマフラーをはずすと、ためらいもなくブランコに敷いてその上に腰掛けた。

「聡はここ」

雪に目を細めながら、自分の膝の上を指差した。マフラーがなくなった長い首が寒そうだ。

それを見て、聡は「あ」と声を出すと、バッグから紙袋を取り出した。

「アキラ、寒いから早く~」

マフラーがなくなって震え上がった将は、ブランコの上で縮み上がりながら、自らの湯たんぽである聡を呼ぶ。

「将。これ。クリスマスプレゼント」

本当は、教会の中で渡せればと思って持ってきたものだ。

「え、ここで?」

将は雪交じりの風に震えながら受け取る。聡はうなづきながら

「早くあけて。今一番役に立つから」

といいながら、将にビニール傘を差しかけた。

この寒さだ。リボンを模ったシールをきれいにはぐのに、思った以上に時間がかかる。

中からは……マフラーが出てきた。

「わ……。これ手編み?」

将はその長いマフラーをこれ以上ないほど、うやうやしく紙袋からそっと取り出しながら聡を見上げた。

「早く巻いて。凍えちゃうよ」

聡は繰り返し首を縦に振りながらも、うながした。本当に寒い。

マフラーにタイツ、厚手の靴下、カイロ……と重装備をしている聡でも寒さで顔がこわばりそうになっている。

「マジ……うれしー。俺、手編みなんかもらったの初めて」

将は寒さも忘れたようにマフラーに見入っている。暗い水銀灯の下でも、それは将の好きな色だということがわかった。

好きな色、なんて話し合ったこともなかったのに、聡がそれを知っていたことにも将は深く感動していた。

「あんまり見ないで」

ついに聡は将の手からマフラーを奪うと、その首に無理やり巻いた。

「最後のほうとか急いで編んでるから不揃いだから」

そういいながら長いマフラーをぐるぐると将の首のまわりに巻きつける。

「アーキラ!」

急に将が聡の手を引っ張ったので聡は小さく悲鳴をあげて、将の胸に倒れ掛かった。

持っていたビニール傘が、聡の手から落ちて新雪にさくっとささる。

将は後ろに倒れまいと、もう片方の手でブランコの鎖を握り締める。

「もう、危ないよ」

顔をあげた聡のまん前に、将の顔がある。水銀灯に照らされた二人の吐く白い息が、溶け合ってのぼっていくようだ。

「ありがとう……。アキラ」

そのまま将は聡を抱きしめた。雪が花びらのようにくっついた柔らかい髪の毛に、顔をうずめる。

体温のせいだけではなく……心から将は聡のぬくもりを感じていた。

そして、自分もクリスマスプレゼントを用意していることを将が告げようとしたとき

「あっ?」

聡が鋭い声をあげて、将の顔を見つめた。眼を真ん丸く見開いて、しきりに瞬きをする。

その長い睫に、雪の華がひとひら、僥倖のようにかかって落ちていった。

「何?」

「あっ」

将の問いには答えず、聡は、今度は俯いた。将から完全に離れると、立ってお腹をさすっている。

「どうした。……お腹どうかした?」

心配になって立ち上がろうとした将は、雪が舞い落ちる夜の中で、輝くような聡の顔を見た。

「動いた」

祝福のように舞い落ちる雪の中に立つ聡は、将を見つめて一声あげた。

「すごい……。動いてる」

聡は将からすぐにお腹に視線を移し、コートの上から下腹をさすっていた。

ブランコから離れられないまま、聡を見守る将は、聡をよく見ようと伊達眼鏡をはずした。

そしてようやく……聡のお腹の中の、小さな命が活動を始めたことを知った。

「動いてる、動いてるよ!将」

聡は将に向き直ると、呆けたような将の手をとってお腹のあたりにあてた。

「ほら」

ただでさえ、膨らみが小さい聡のお腹だ。厚いコートの生地に隠されて、将は小さな身体がどこにいるのかわからない。

必死で探る将をよそに、聡は

「あ、ほらまた」

と声をあげた。

しまいに将は、聡の下腹に抱きつくような姿勢で耳を澄ました。

しん、と静まり返った中、お腹に神経を集中させる将の目には、音もなく雪が積もっていくのが映っている。

……ぴくん。

「……あ」

厚いコートの下で、聡の腹がかすかに脈動する気配があった。

「ね?」

聡が誇らしげに将を見下ろす。再び、動く。……今度ははっきりとわかった。

小さな命が将に気付いて手を延ばしたのかもしれない。

「……本当だ」

将は感動のあまり、しばらく聡の下腹に抱きついたまま動けなかった。

それに対して胎児は、今起き出したように、さかんに聡のお腹の下で体を動かしているようだ。

あの夏の終りに、二人が結ばれた証の、愛の結晶が、ここまで成長したのだ。

自分と聡の血を受けた……子供がここで小さく主張を始めている。

 

そのとき、教会のほうから、『きよしこの夜』のオルガンの調べが流れてきた。

1フレーズのあと、子供たちによるハーモニーが重なる。

その透き通った歌声は、まるで聡のお腹の子供の声のようだった。

「始まったね。歌」

聡の声に、将はやっと立ち上がる。

冷たい水銀灯の下で自分を見上げる聡の頬は、紅く昂揚しているのがわかった。

将は、そのいとおしい顔をそっと包む。紅い唇から吐き出される息は白い炎のようだ。

喜びに潤んだ黒い瞳には将だけが映っている。

「ありがとう。アキラ」

将はもう一度静かにつぶやくと、もう一つの命を宿したその身体をそっと抱きしめた。

誰よりも大切な人。

そしてその人との間にできたかけがえのない命。

一生、守っていく……将は誓いを聖歌にこめながら、聡の顎をあげた。

あいかわらず降りしきる雪。時間ごとに冷たく尖っていく空気の中で、お互いの唇だけが温かく柔らかい。

銀色に輝く夜の雪の表面に、ブランコと一緒に、二人の影が青く重なっている。