第328話 初詣(1)

学業の神で有名な天神様は初詣の人波でごったがえしていた。

鳥居から少し離れた場所に、聡は首一つ突き抜けた将の顔を見つけた。

さっきまで一緒にいた将だったが、パパラッチ対策のために聡より30分早くマンションを出たのだ。

「アキラせんせー!」

「あけおめー!」

聡が将を見つけるとともに、そのまわりにいた20人ほどの見慣れた顔がいっせいに聡に向かって手を振る。

「あけましておめでとうございます」

とりあえずみんなに向かって頭を下げる聡に

「センセー、だんなさんは?」

チャミやカリナが開口一番に聞いてくる。彼女たちは聡の『夫』が見たくて仕方がなかったのだ。

「誘ったんだけど……。いじめられると怖いからって、パスしちゃった」

もちろん聡は嘘をつく。

「えー!」

「まじー!別にいじめたりしないのにー」

チャミやカリナが不満そうに口を尖らす中、聡はその視線を将へとちらっと走らせて見る。

将もずっとこちらを見ていたようで、合ってしまった視線を引き剥がすように聡はそらす。

「……そのうち、会わせるから」

かろうじてそういうのがせいいっぱいだった聡は、あらためて生徒達を見渡した。

チャミやカリナ、カイトに真田由紀子や松岡のほかに、寿司屋勤めを終えて実家に帰ったはずの兵藤も来ていた。

「お、井口くんじゃん」

カイトが声をあげる。傍らにはボブカットのきれいな子を連れている。どうやら噂の彼女らしく、ヒューと声があがる。

「チッス!」

井口は少し照れて手をあげた。

「それ、噂の年上の彼女?」

「やー、そういうわけじゃ……」

といいながら井口は傍らの彼女にちらちらと目を走らせる。彼女のほうはにっこりと笑うと

「藤井さやかといいます」

と自己紹介した。見開くようにする目のあたりに自分の道をきっぱりと見極めた者の大人っぽさがある。

身体は華奢で小柄にさえ見えるが、よく見ると手や指はがっしりと骨太で、そのあたりはしっかりとパン職人していた。

井口より2つ年上だという彼女は、夏休みに飛騨・高山にある有名パン店で行われたパンの研修で知り合ったという。

井口が彼女のことを好きなのは明白だが、彼女の方は好意を持っている程度らしい。

もっとも、昨日長野から出てきて一緒にカウントダウンイベントに行ったくらいだから井口の想いの成就は期待できるのかもしれない。

将は彼女の前ではにかむ井口を微笑ましく見つめた。

そんな将を聡も見つめて安堵していた。

――なんとか、初詣に連れ出してよかった。

マンションを出る前の将のようすは、あきらかにおかしかったからだ。

 
 

「今日……行くのよそっか、な」

さっき将のマンションで。将は急に自らが企画した初詣をドタキャンしようと言い出したのだ。

「え?」

顔をあげた聡は一瞬はっとした。将はずっとこちらを見つめていたらしい。

だけど、その瞳は暗さが混じった、なんとも寂しげなものだった。

「どうしたの?」

聡は異変に、問い掛けると同時に、その表情から将に何が起こったのかを確かめるべく見つめ返した。

だが、すぐにそれは見えなくなってしまった。将が聡を抱きしめたからだ。

「今日はずっと、二人でいたい」

耳元での囁き。それは少し寂しげにも、いつものようにもどちらにも取れた。

「……そういうわけにはいかないでしょ。みんなとの約束だし」

聡はたしなめるしかない。

「約束なんて。アキラに会う口実みたいなもんだし……。もういいよ」

そういうと将は聡をなおいっそう強く抱きしめた。

お腹がぎゅうっと圧迫されて、聡は将の胸を押し戻すと、顔を見上げた。

将の瞳はやはり、暗い色を浮かべていた。

「……どうして?」

聡の問いに、将は一瞬目を伏せた。しかし、すぐに

「今日が終わったら……アキラとしばらく二人になれないだろ」

と付け足した。あくまでも付け足しという口調に聡は将の心に何かがあったと確信した。

 
 

……事実、将は何も言わなかったが、重い鉛を飲んだような心の鈍い痛みに喘いでいた。

掲示板に書かれていた、将の瑞樹に対するひどい仕打ち。それをネットに暴露したのは大悟であることは、もはや間違いない。

それまで……大悟はいったいどんな気持ちを自分に抱いてきたのか。

それを想像する恐ろしさは、今気付いたことではない。

殺人の罪を被せたときから……常に将の心の奥に居座っていた重苦しさではある。

だが、それが現実のものとなったことに、将はやはりおののかざるを得ない。

いや、『気持ち』なんて生易しいものではない。

自分は大悟からどれだけのものを奪ってしまったのか。

殺人の罪は正当防衛ゆえに帳消しになったものの、1年以上も少年院に入れられてしまったのはあれが遠因である。

そして、間接的に瑞樹の命を奪う原因を作ってしまった――。

暴れる心臓。潰れてしまったように息苦しい肺を抱えて、将はもう一度ネットの書き込みの日時を確認した。

最初が……5月下旬で、最後は7月の、あの台風の前日。

つまり、大悟が覚醒剤をやっていた頃と重なることに将の罪悪感は少しだけ軽くなる。……気休め程に。

あの、執拗な書き込みは覚醒剤に操られた大悟が書いたかもしれないからだ。

だが、気休めはすぐに意味のないものだとわかってしまう。

なぜなら……覚醒剤に操られていたことによろうと、それは大悟の心の中に常に将への恨みがなかったことにはならないからだ。

 
 

「あれ、みな子じゃない?」

カリナが指差した方を見ると、振袖姿の女性がこちらに向かって歩いて来る。

内股の歩き方も、膨らませてまとめた髪型もまるで見覚えがないはずの女性だったが、そこにいた中で一番背が高い将と必然的に目が合う……やっぱり星野みな子だった。

目が合ったとたん、みな子は慣れない草履のせいか、小股でいっそうせかせかと歩いてくる。左右に揺れる桃色の袖で彼女が一生懸命急いでいるのがわかる。

「本当だ、みな子だ。キモノだー」

女子が騒ぐ。

やっと皆のところまでたどりついたみな子は、ぜいぜいと息を整えながら

「みんな、おめでと」

とストールの肩を上下させた。さっきからずっと早足だったらしい。

「どうしたのー、そのカッコ」

仲のよい真田由紀子の問いに

「昨日から横浜のおばあちゃんちに行ってたんだけど……、今朝、無理やり着せられたの。でも約束があるからって飛び出てきた」

と将をちらりと見た。

みな子と『いい関係』であることになっている将は、カイトや井口に押し出されるようにみな子の前に立たされる。

将は意味もなくどきりとしたのを隠すように

「似合うじゃん」

と口にしてみる。

「ありがと」

みな子は少し目を伏せて口の端に笑みを浮かべた。……そんな様子は、彼女をなんだか急にきれいになったように見せた。

牡丹の花びらのようにたっぷりと華やかな桃色の振袖は、そこから抜け出た首や指のしなやかさを強調するようだ。

将は、とても久しぶりに……みな子がきれいな子であったことを再確認した。