ブライダルコーナーを出ると、博史はチェックインをしにあわただしくフロントへと行ってしまった。
まるで、将に最後の別れを惜しむ時間を猶予するかのように、聡と二人で、ラウンジに残す。
ラウンジの外の滝もクリスマスのライトアップがされていて、夜の中に幻想的な世界を浮かべていた。
あたりは、ディナー前の待ち合わせか、恋人同士ばかりだった。将と聡も幸せそうなその中に溶け込んでいた。
なのに、二人ときたらまるで言葉が出てこないのだった。
時折思い出したように相手の顔を見つめて、そのたびに視線が沈んでいく。
訊きたいことはお互いいろいろあるのに。時が徒に流れていく。
やっと将の口からでたのは
「あのドレスで、ケッコンすんのか、あいつと」
という言葉だった。聡は将の顔を見つめるとゆっくりと首を横に振った。
その目には決意があった。それに勇気百倍した将はさらに続ける。
「……今日、来てくれたってことは、期待して、いいんだろ」
聡はまたたきもせず将を見つめた。
なんて返事したらいいかわからない。
いっそこの気持ちにまかせてYESと言いたい。
言ったところでどうなるのだ。立場は変わらない。
でも、こんな状況だから、せめて気持ちだけでも伝えておきたい。
でも、そうしたところで、それでどうなるのか……。
だけど。
「私……将のこと……」
聡は観念してその言葉を口にだそうとした。
言いかけたところで、聡は体の側面に重圧を感じた。
聡の座るソファーのわきに博史が立って二人を見下ろしていた。
「……じゃ行こうか、聡。ディナーは部屋にルームサービスを用意してもらってるから」
博史は聡を促した。将には手をひっぱるようにして無理やり立たせたように見えた。聡がすがるような目でこちらを見ている。
「鷹枝くん。付き合わせて悪かったね。みんなに聡は急用が出来たと伝えてくれ」
博史は聡の肩を抱きながら、そっけなく将に伝えると、そのままスタスタとエレベーターのほうへ向かって歩き出した。
拉致されるかのような聡は何度も将を振り返った。見る間に二人の距離が離れていく。
「待てよっ!」
将は二人を追った。
すると博史が振り返った。細い目をいっそう鋭くさせて将をにらみつける。
「先生にこれ以上何か用か?弟クン」
それっきり将は動けなくなった。目の前で二人がエレベーターに消えるのを見ているしかなかった。
エレベーターの扉が閉じるなり、博史は聡を箱の角に押しやると、他の客の目もはばからず唇を押し付けてきた。
今日はクリスマスイブということで、同乗する客も心得ていて皆知らないふりをしている。
逆に下手に抵抗するほうが恥になる、ということを博史は逆手にとったように、聡の唇を自分の唇で押さえ込む……。
ホテルの外に出た将は、再び白いものが舞い落ちているのに気がついた。
風にあおられて少し勢いが強くなっている雪の中に将は立ちすくんだ。
降ってくる先を確かめるように、空を見上げたところに、モザイクのような灯りを浮かべてホテルがそびえていた。
聡が連れて行かれたのはどのあたりなのか。
……どの灯りの中で、聡はあの男に抱かれているのか。
将はしばらく雪にかまわず、灯りを見つめていた。上をむいているのにもかかわらず、目尻から涙が一筋流れた。
聡はシャワールームにいた……すべて終わった後である。
激しい雨のようにふりそそぐシャワーの下で、聡は立ち尽くしていた。
時折、博史が放出した液体が体内から逆流し腿を伝っていく。
シャワーとまざってタイルへと落ちていく濁った色を見て聡はシャワールームの壁にもたれた。
――イヤだ。
体全体を支配する嫌悪感はシャワーごときで流れるはずはない。
皮肉なことに博史に抱かれることで、聡は完全に博史への気持ちが冷めている自分を、そして、自分の心にいま住み着いているのは将であることをはっきりと再確認したのだった。
さっき。部屋に入るなり、博史は聡を抱きしめた。そして有無をいわせずにベッドへと押し倒した。
それは別に、将の存在ゆえ、というわけでもない。博史の帰国時はいつもそんなものだった。
乾いた砂漠の国で、禁欲を強いられていた男性が恋人に出会ったときの反応としては普通だろうし、むしろ聡もそれを喜んでさえいたはずだ。
そして、それは別に乱暴だったわけではない。むしろ、いつもより時間をかけた丁寧な愛撫があった。
心は拒否していたけれど、何度も交わり馴れた相手――。
結局、聡の体はいつもどおりに反応してしまい、あとは何事もなくいつものところへたどりついた。
しかし、我に返ってみると、心はあいかわらず元の沈んだ場所にあった。
今まで博史に抱かれることで感じたような、身も心も高揚するような至福は訪れなかった。
そうして聡は知った。心と体が合致しない交わりの哀しさを。
馴れた相手に体がいくら快感を示しても、そこに心がなければ、あとに残るのはとてつもない後悔と虚しさだけということを。
他の男を愛しているとわかった今、体が心を裏切った辛さを、聡は味わうことになった。
終わったとき、聡はいつのまにか涙を流していた。そんな聡の顔を見た博史は
「ごめん……つらかった?」
と優しく口づけした。
いちおう事前に聡は「今日は体調がよくない」と抵抗を試みていたから。
聡は博史の唇が離れると、背を向けて
「……シャワー浴びるね」
と静かにベッドを出た。
博史はそんな聡に確かに異変を感じていた。
いつもだったら。余韻を楽しむかのように、しばらく裸のままお互いの肌のあちこちをくっつけて抱き合うのが習慣だったのに。
そのまま2回目に突入することも少なくなかった。
シャワーの音はまだ続いている。博史は将の姿を思い浮かべていた。
博史にはわかっている。
聡も将もお互いに惹かれあっていることを。
しかし、たぶん……これは男のカンのようなものだが……一線は越えてないだろう。
ということは、まだ取り戻せると博史は思っていた。
女なんて、肉体の快楽に勝てない生き物だ。
博史はいままでの経験上、そう思い込んでいた。
実際、今まで付き合った女と危機に陥ったとき、どんなに博史が不利な状況でも、思い切り快感をあたえてやればもとどおりだったから……。
だが、そのあとの聡のようすから、少し不安を覚えた。
もっとも、今までだったら、別に他の男に取られてもどうということはない。
他の女を探せばいいだけだ。博史はさほど女に不自由したことがない。
しかし……ある事情を抱える今の博史には聡を離すわけにはいかなかった。
だからシャワーを浴び終わった聡がバスローブを身に着けて出てきたのを見て、博史は少しほっとした。
もしかして、今からでも、服を着て将のところに戻るのでは、という不安があったからだ。
「ねえ」
聡は、バスローブ姿でソファに座るとベッドの上の博史のほうをまっすぐ見て問いかけた。
博史はまだ裸のまま、シーツの下に下半身を隠しているだけだ。
「さっきの……、どういうこと?」
さっき、ベッドの上で。
聡は愛撫に飲み込まれそうになって危うい意識の下で博史に最後の抵抗をした。
『今日は避妊して』と。
しかし、聡の周期がきっちりとしていることを知っている博史は
『今日は大丈夫な日じゃなかった?』
と聡の肌に顔を埋めたまま訊き返してきた。
実際『大丈夫な日』だったが、体のなかを、せめて汚されたくなかった。だから聡はとっさに
『最近ちょっと狂ってるから……』
と嘘をついた。すると博史は
『いいんだ。……出来たって。むしろ出来たほうがいい』
と答えてそのまま続けたのだった。
「あたし、出来ちゃった婚なんてイヤ」
聡は少し強い口調で言った。
「聡」
博史は裸のままベッドを降りるとバスローブを羽織り、可動式テーブルにセットされた冷めたディナーの横にある冷やされたシャンパンの瓶を手にとった。
将と初めて海へドライブした帰りに寄った高級フランス料理店で飲んだシャンパンはクリュグだったことを思い出す。
――こんな、他の男に抱かれた直後ですら、将の思い出から離れられないのだ。
聡は自虐的に考えている。
ワイン好きの博史だから栓を抜くのも慣れたものだ。低く『ポン』という音がして、シャンパンフルートに金色の液体が注がれた。
フルート1つを聡に手渡すと隣に腰を下ろした。
「早く、子供をつくりたいんだ」
意外な発言に聡は、目を見開いた。何も言葉が出てこない。
博史はシャンパンフルートをあおるようにして空にすると、聡の肩に腕をまわす。
至近距離に博史の哀しそうな目。聡は目を下に向けた。
「聡、聞いて……おふくろが……先月、余命1年を宣告されたんだ」
それだけ言うと、博史はそのまま聡を抱き寄せて首筋に顔を埋めた。