第31話 急接近(2)

 
聡は将の部屋の台所に立っていた。

喉の痛い将には、口当たりが柔らかくて、かつ温かく、栄養がある食べ物が必要だったが、そういうものに限って売っていない。

実家に帰るのは将が断固拒否したので、聡は『仕方がなく』将の夕食の面倒まで見てやることになってしまったのだ。

家には材料がなんにもない、というのでスーパーで急遽米や野菜を買いそろえる。

「なんか、新婚さんみたい?俺ら」

カートを押す聡の横で将が囁く。

「バカね。制服姿の新婚さんがいるわけないでしょ」

と聡はクールに野菜を選ぶふり。

「嫌いな野菜とかあるんだっけ?」
「ないない。アキラがつくるもんは何でも食う」

「なんか……全然元気みたいじゃん」

聡のつっこみに、

「あ、急に熱上がってきた」

と将は急にふらふらとするリアクション。

「先に帰ってていいよ」

と聡が鼻をすすりながらついてくる将を気遣う。

「先に帰ったらどうやってうちに来るんだよ」
「あ、そっか」

ままごとのような買い物--博史とはこういう時間を過ごしたことがない。聡はそっけなくふるまいながらもほのぼのとした幸せに浸った。

「すっごいマンションね」

弁当屋の近くの庶民的な町の中にある、不似合いなスタイリッシュなマンション、ここに将が一人で住んでいるという。

10Fの将の部屋までエレベーターの狭い箱の中で二人きりになったが、将はさっきはしゃぎすぎて疲れてしまったのか黙って壁にもたれている。

きっと防犯カメラに映った二人はそっけない関係に見えるに違いない。でも将の顔はにやついて聡を見つめていた。

「なによ」
「いや、嬉しいな、と思って」

「オカユつくるだけだからね。……変なことしないでよ」
「変なことって何だよ」と笑いをふくんだ将の声。

「……知らない」

チン、と10Fへの到着を告げる音。

「すっごい部屋ね。本当に1人で住んでるの」

元々3LDKの将の部屋は、4人家族でも住めそうなものだった。

1間をつぶして、広くしたリビングはフローリング。埋め込みの間接照明、天井はスポット光とつくりも凝っている。そこにはすわり心地のよさそうなソファーとコンポ類、大型液晶テレビだけが置いてある。それ以外は家具がないのでよけいに広く感じる。

案外片付いている理由を訊くと、家政婦が通っているんだそうだ。

「家の人は来るの?」

聡は使ってないせいで異様にきれいなカウンターキッチンにスーパーのビニール袋を置きながら訊いた。

「めったに来ない、つか来ない。最初にオヤジが来ただけ」

将は大型冷蔵庫からウーロン茶を出した。

「あ、それとも温かいのがいい?」
「いいから。あたしがやるから、着替えて早く寝なさい」

「ハーイ」

といいつつ将はソファでだらだらしていた。毛布だけはかぶっていたけれど。本当は、キッチンで働く聡を、ただ見ていたかったのだ。

――だって本当に、新婚さんみたいじゃん?

バレッタで髪をまとめた聡は、いかにも新妻っぽく、将は聡が自分の部屋のキッチンに立っている幸せに酔いしれた。

「何?」聡が将の視線に気付いた。
「ううん、嬉しいなあ、と思って」

「さっきからそればっかり」
「だって嬉しいもん。何つくってくれるのかなー」

将はソファの上で毛布にくるまって頬杖をついた。わくわくしている、という姿勢である。

――さて、何をつくるか。

将の期待には応えたい聡だったが、つくれるものは限られていた。

設備だけは素晴らしいが、肝心の調理器具もあまりないからだ。

聡は、おかゆではなく、栄養を考えて具が入った雑炊をつくることにした。

2年前の聡だったら絶対にできなかったが、弁当屋にいたおかげで、これぐらいのものだったら簡単に出来るようになっていた。

若いくせに舌が肥えている将のために、ダシは念入りにかつ、濃厚に取る。

聡が料理に集中しはじめたので、将は1回着替えることにした。

そのついでに、ソファに放り出してあった旅行パンフレットを、聡の目に触れないようにさりげなく持ち去った。

実は、明日の夜から、聡を強引にどこかへ連れて行く心づもりで、行き先を検討していたのだ。さんざん迷って、結局さっき授業中に、携帯サイトから明日の沖縄行き最終便を予約した。

国内だったら、手ぶらで行ってもなんとかなる。

――びっくりするだろうなあ。

拒まれることなど毛頭考えてない。根拠はないが、将には何故か自信があったのだ。

「うまい。うまいよ」

将は聡のつくった雑炊をハフハフと口に運んだ。レンゲも土鍋もさっき買ったものだ。

雑炊と一緒に、絹ごし豆腐のあんかけとビタミン不足を補うべく、ほうれん草のおひたしを付けた。冷蔵庫には煮リンゴが冷やしてある。

「喉にさわらない?」

聡はキッチンであいかわらず何か仕事しながら訊いた。

「大丈夫。本当に超旨いよ。アキラ、料理うまいな」
「よかった」

それはお世辞抜きで、口当たりもよく美味しかった。

カツオの香りがするダシはまさに将が今食べたいものだった。腹がすいていた将はしばらく食べることに没頭した。

食べ終わっても聡はあいかわらず、キッチンで何かをつくっているようだ。

「何してんの?」
「残った野菜、野菜のままだったら食べないだろうから、レンジでチンするだけで食べられるようにしてる」

余ったネギやらにんじん、ほうれん草をチャーハンやキッシュ風の卵焼きにしているのだ。

……というのは口実で、二人でまったりした空気をつくると、自分の気持ちが押さえきれなくなる。

聡はそんな自分を予感して料理に逃げているのである。

「いいよ、野菜なんて持って帰ってくれて」
「ダメ。将、ふだん野菜食べないでしょ。だから風邪ひくんだよ」

「……また、ショウって言った」将が嬉しそうに指摘する。
「シマッタ」

聡は笑って舌を出した。すでに癖になってしまってるかもしれない。

「でも本当にアキラ、料理がうまいよ。いい嫁さんになれるね」
「……ありがとう」

りんごを笹がき状に剥いていた頃がウソのようだ。

「博史にはまだ食わせてない、って言ってたよね。……俺ラッキー」

将は聡の顔を見ながらわざと言ってみた。

聡は将の顔をみないように無言でにんじんの皮を剥いた。

本当は博史の花嫁になるために、料理を修業したはずなのに。こうして他の男から賛辞をもらっている。罪悪感を感じたせいなのか、手元が狂った。

「痛ッ」

包丁を使っていた聡が右手親指を反射的に唇にあてた。

「大丈夫!?」

将はテーブルからあわてて立ち上がり、聡のそばに行った。

「ちょっと滑っただけ」
「見せて」

親指に赤く血が滲んでいる。将はいたずらっぽくその手を取ると自分の唇にあてようとした。

「大丈夫だってば」

聡は将の手から自分の手を引き抜くとその乱暴さを誤魔化すように

「もう食べた?」と付け加えた。

幸いあんまり気にしてないようだ。食べた食器をカウンターの中に持ってくる。

「デザートもあるんだからね。……まだ冷えてないか」
「もう腹いっぱいだよ」

「じゃ、あとで食べて。薬は?」
「今飲む」

将は冷蔵庫からミネラルウォーターを出すと、「ほい」と聡の前にばんそうこうを置いた。

「……ありがと」
「食器洗いついてるから、使って。傷にしみるだろ」

優しい声だ。聡はさっき将から乱暴に手を引き抜いたことを後悔して、将の顔を見上げた。

「また汗かいたからシャワー浴びる。その間に帰るなよ」

聡はだまってうなづいた。

なんとか残り野菜をすぐ食べられるように料理して、台所を片付けたところで、将が頭をふきながらバスルームから出てきた。急いで出てきたようだが、まだ聡がいるのを見て安心したように顔をゆるめた。

「じゃあ、そろそろ帰るね」
「ええっもう?まだいいじゃん」

「風邪っぴきは早く寝なさい。治らないわよ」

聡はコートとかばんをとったが、どっちから入ってきたか一瞬迷った。

「アキラ、こっち」

将が先導して聡をドアの向こうに誘導した。

「え?」

そこは真っ暗で、明らかに玄関ではないようだった。

将は素早くドアを閉めると、聡をきつく抱きしめる。そして、そのままベッドに押し倒した。