第313話 クリスマスの夜、二人(1)

「このまま、大磯行こうか」

「え?こんな雪なのに?」

聡は将を振り返った。もうあたりは濃い紫色に沈みつつある。ヘッドライトには降りしきる雪が金色に反射している。

「うん。アキラこの間、俺の小さい頃の写真が見たいって言ってたじゃん。大磯にヒージーの分がしまってあるんだよ」

たしかにそんなことを言ったかもしれない。

将に似た赤ちゃんがほしい。そう思った聡は、将の子供時代を見てみたくなったのだ。

「それに」

将は運転しながら後ろを顎でしゃくった。

後部座席には細長い箱が置いてあった。シャンパンの瓶が入ったケースだ。

「大磯の家には暖炉があるんだ。暖炉の前で乾杯しよ」

将は、巌の遺言で大磯の邸宅を相続している。もちろんふだん住むわけにはいかないから、今まで通りハルさんに管理を頼んでいるのだが。

「大丈夫なの?道、混むんじゃないの?」

聡の心配には及ばなかった。昨日からの大雪で、クリスマスイブといえどマイカーを出すのは控えた人は案外多いらしい。

2日連続の積雪で、走っているのはスタッドレスやチェーンを装着した車がほとんどで、動けなくなる車も今日はさほどないとのことだった。

そういえば会社も臨時休業にしたところが多いという報道が新聞でされていた。

「高速も規制されているけど、なんとか通れるみたいだよ」

提案の体裁をとりつつ、将はもうすっかり行く気のようだった。

聡も、雪に反射する緑やピンク、赤のイルミネーションを目にするにつれて、行ってもいいような気がしてきた。

諦めていた将に逢えた嬉しさで聡の心は、一気に浮き立ったのだ。

「将、ちょっとあたしの家に寄っていい?」

「いいよ」

将は優しく答えるとハンドルを切って車線変更をした。

 

聡は手早く泊まれる準備を整え、将へのプレゼントのマフラーを手に取るとコーポの階段を急いで降りた。

吹き込んだ雪が、夕方の冷え込みで、ところどころにへばりついたまま凍っている。それを避けながら慎重に降りなくてはならない。

やっと車に乗り込むと、階段を降りる間に凍りそうだった肺がふーっと溶ける感触がした。

運転席で聡を待っていた将は、携帯を切ったところだった。

「誰に電話してたの?」

「ハルさん。夕食用意しといてって頼んどいた」

「悪くない?急で」

もう5時になるところだ。

「でもさ、ファミレスとかだと、お腹の子供によくないだろ。……いいんだよ。ハルさんも一人ぼっちなんだから、ケーキでも買っていこうよ。よろこぶよ」

将は、それでもまだ気遣う顔をやめない聡の頭にポンと、手を乗せると「行こう」とサイドブレーキを解除した。

 
 

走り出した車は、都心へとは逆に向かっているせいなのか、わりに順調だった。

通り過ぎていく街のイルミネーションを見て、聡は去年のイブを思い出した。

去年の将との約束。……逢いに行くつもりじゃなかったのに。やはり逢わずにはいられなくなって、都心のコンサート会場を目指した聡。

あのときタクシーはひどい渋滞に巻き込まれて……聡は将のもとへと、雪が舞う中、走りに走った。

……あのとき、将に会いにいかなかったら……今、自分はこうやって将の子供を身ごもっているんだろうか。

「あきら。何ぼーっとしてるの。眠い?」

聡の意識は完全に窓からタイムスリップしていたらしい。

急に視界に、雪に照り輝くイルミネーションが戻ってきて、聡はハッとした。

「ううん」

聡は気を取り直した。

「将のほうこそ、福島からずっと運転でしょ?疲れてない?」

そう言いかけた聡は、疑問を思い出した。

「……それにしても、どうやって帰ってきたの?飛行機欠航してたんでしょ」

「ああ」

将は前を向いたまま愉快そうに頬をゆるめた。

 
 

23日の夕方、旭川空港で、桃色の夕陽に聡を思い浮かべて。

そのとき、ぜったいに聡に逢いにいくことを決意した将は、カウンターに背を向けて歩き始めた。

「将くん。どうするの?」

詩織がそんな将の背中に声をかける。

「JRは動いてるから、いけるところまで行ってみます」

「でも、東京は電車、動いてないわよ」

「……そしたら、タクシーででも帰ります」

「めちゃくちゃね」

詩織はあきれた声をあげた。

しかし、3秒後には将の隣にかけよって、にっこり微笑んだ。

「タクシー代、ワリカンするから、あたしも一緒に行っていい?」

かくして今から24時間前。東京をめざしての遥かな旅が始まったのだった。

二人は旭川から札幌、札幌から千歳空港とJRの特急で移動してみることにする。

旭川発の本州便はすべて欠航だったが、千歳発はまだあるかもしれないという望みをつないだのだ。

「あたしも、絶対に東京に帰りたいの」

詩織はライラック号の中で告白した。

そのときの詩織は、絶対、という強い言葉がおおよそ似合わない、柔らかい笑顔だった。

冷ややかな色に暮れていく窓の外とは対照的に、車内は暖房で暑い。

それもあるだろうが、うっすらと素顔の頬を染めた……ピンク色の頬は、聡のそれとぴったりと重なる。

その顔をみれば、『何で』などという質問は野暮だった。

たぶん、彼女にも将と同じく、絶対に逢いたい……クリスマスイブを一緒に過ごしたいひとがいるのだろう。

「僕もです」

将の同意に詩織は何も問い返さずに、伊達眼鏡の下の黒目がちの瞳を将に向けた。

詩織は伊達眼鏡に、髪はわざとやぼったい三つ編みにしている。

将はニット帽に髪をすっぽりと入れこみ、同じく流行遅れのオレンジ色のサングラスをかけている。

そんな珍妙な二人が芸能人とは、幸い他の乗客は気付かないようだった。

 
 

幸い千歳では、最悪の場合引き返すかもという条件付で、仙台行きの最終便が出発するようだったので、それに駆け込むように乗り込む。

しかし、安心したのも束の間、仙台の視界の悪化で飛行機は花巻空港に着陸することになってしまった。

二人が花巻空港に降り立ったのが20時30分だった。ここから仙台までバスが用意されているという。

「札幌に引き返さなくてよかったね」

それでも詩織は、気丈に微笑むとバスに乗り込んだ。

花巻・仙台間は通常なら2時間程度とのことだったが、だんだん速度がダウンしてきたのが乗客にもわかった。雪で視界不良になり、渋滞し始めたのだ。

宮城県内に入ると、高速道路の意味をなさないほどの速度まで落ちてしまった。

日本海側と違って東北でも雪のすくない宮城で、ここまで降るのは珍しいらしく、車の列はとまどいを顕わにのろのろと動くしかない。

結局、仙台市内に着いたのは、12時近くなっていた。もう東京方面の列車もないので二人は駅前のビジネスホテルに部屋を取った。もちろんシングルを2部屋、偽名を使って。

だが、駅前のビジネスホテルの、アルバイトらしきフロントは、二人のチェックインにあきらかに好奇の目を向けた。

 
 

雪でどうなるかわからないから、と朝7時にはチェックアウトした二人だったが、案の定雪による徐行運転で新幹線は遅れに遅れた。

しまいには郡山でストップしてしまった。

「嘘だろ。こんなところで」

昨夜、ホテルでも3時頃まで英語の勉強をした将は、爆睡していたのだが、詩織に起こされて唖然とした。

「動くのを待つ?」

詩織が伊達眼鏡の下から将に訊く。黒目がちの瞳が不安げに少しゆがんでいる。

8時には通過しているはずの郡山なのに9時30分に近いのだ……。

将は新幹線の窓から空を苦々しく眺めた。

あの、ニセコ山頂での吹雪を思わせる空は白いくせにべたっと重かった。

そして日本地図を頭の中に思い描いてみる。旭川に比べるとずいぶん……聡の近くに来ているはずなのに。

――ここまで来てるのに。

将は唇を噛み締めながら腕時計を見た。9時30分。新幹線は動くだろうか……。

しばらく悩んだ将だったが、意を決すると、ついに立ち上がった。

「将くん?」

「僕、自分で運転して帰ります」

「え?」

詩織の瞳が真ん丸くなる。

「待ってても動かないかもしれないし。レンタカー運転しながら、電車チェックして動いてるようだったら、乗り捨ててそっちに乗ればいいし」

 
 

「それで、駅でレンタカー借りたんだけど。面倒くさくて、電車チェックもしないで結局運転してきちゃった。郡山からここまで7時間掛かったよ。普通だったら3~4時間なのに」

将の話を聞いていた聡は、口をあけたまま将を呆れたように見つめていたが、やがて苦笑すると

「もう。無茶するんだから」

と将の肩を軽く叩いた。将は

「おかげで、雪道の運転が上手くなった」

と笑ったそのとき、ちょうど目の前の信号が赤信号になった。聡は慎重にブレーキを踏む将の肩のあたりに、少し寄りかかってみる。

「でも、よかった……。帰ってきてくれて」

将の肩のぬくもりが髪に伝わり、聡の心を温めていく。

すっかり暮れた窓の外は積もった雪。

積もった雪の上に、信号の赤、緑の美しいクリスマスカラーに染まりながら新しい雪の華が重なっていく。いつもの東京では見られない光景だ。

将も聡の重みを肩に感じながら幸せだった。将の中で、雪のように聡とすごす時間が静かに降り積もっていく。そんな幸せに将は浸った。

なお、詩織が一緒だったことについては、必要ないだろうと話から省いていた……。

これが年明けに大スキャンダルを起こすのだが、二人はまだそんな予感もなく、これからすごすイブの幸せの予感に早くも酔いしれていた。