第93話 スキー研修

スキー研修第1日目は快晴に恵まれた。

真っ青な空の下に、ゲレンデはまさに眩しいばかりの白銀で生徒達を待っていた。

ゴンドラで一気に1000m昇った山の上からは、樹氷ごしの真正面に羊蹄山の雄姿を望むはずだった。

しかし。ほぼ全員がスキー初心者という荒江高校の生徒たちにとって、まずは、そのゴンドラにのるどころの話ではないのだった。

将は、兵藤や松岡ら男子生徒10人ほどのグループで並んで、『スキー板で斜面を登る練習』をさせられていた。ブスッとした表情は、修学旅行生お仕着せの黄色いウェアにゼッケンがダサいからというのもある。

傾斜が目に見えないのに、勝手に滑り出すゲレンデに辟易していたというのもあるし、

「ほらー、そこ!後ろに滑らないでェ!」

マッチョなのになんだかカマッぽい講師もキモかった。

しかし、一番の原因は聡がいないからだった。昨夜、別れたあとも将は布団の中から聡にメールを送信していた。
聡からはチャットのように即座に返信が帰って来た。
 
>聡、明日、オレたちがスキーやってる間、何するの?
>久しぶりにスキーやろうかな、とか。天気次第かな

>じゃ、一緒に滑ろうよ
>将はスキー初めてじゃないの?

>すぐ滑れるようになるさー
>そうかなー?

>とにかく、待ってろよ
>わかった
 
と言ってたはずなのに、将たちがグループにわかれて、スキー靴の履き方などを指導されている間に、聡ときたら、さっさとどっかに行ってしまったのだ。

 
 

斜面を横歩きで登ると、次は緩い斜面を、スキーをハの字にして滑って止まるという講習になった。

このようにして文字で書くと簡単だが、初心者にとっては、なかなか難しいのだ。

一番手の兵藤は難なく出来たので、簡単そうに見えたのが間違いだった。

次の男子が止まらずに前のめりに転んだのを皮切りに、皆止まらないわ、転ぶわで、皆雪まみれになっていた。将の前の、松岡などは、

「うわあああああ」

と叫んで、止まらないまま、終わった男子の列に突っ込んでいた。すると突っ込まれた男子が、また後ろに滑り出すわ、止まらないわでパニック。

少し離れたところでは、女子が同じ講習を受けていたが、小柄でぽっちゃりとした真田由紀子が同じく止まらずに、悲鳴をあげていた。

それを女子を担当する若い講師が、なんとか止めようと正面から由紀子の腕を受け止めるも、由紀子は講師の腕を掴んだまま、恐怖のあまりスキー板の上でしゃがんでしまい、なんと講師の股の下をくぐって滑っていってしまった。

そう、まるで、70年代後半のダンス映画での名シーンを雪上でやってしまったのである。見ていた将は、ぶっと吹きだして、腹を抱えて大笑いしてしまった。と、笑ったはずみに、今度は将のスキー板が動き出した。

――やべ!止まらねえっ!

あせった将は、どうやったらスキー板が止まるかを今習ったことなどすっかり忘れてしまい……板を揃えてしまった。よけいにスピードをあげるスキー板。その先にはマッチョ+ゲイ(?)講師がいる。

「うわああああああ!」

激突。

将は一瞬わけがわからなくなった。気がつくとマッチョ講師の上に将がのっかっていた。

「スキーは揃えちゃ、ダメって言ったっしょぉ。イケメンくん」

髭を剃った跡が青く見えるほどの色白に、サングラスがはずれた、将を見る目がなんだか甘い。

――まさかマジでゲイじゃ……。

「す、すいませんっ」

将は飛び起きようとしたが、慣れないスキー靴のせいで、なかなか起きれない。そこへ。

上のほうの急斜面から、ものすごいスピードで滑ってくる女がいた。女だというのは、2つに結んだ髪が肩で揺れていてようやくわかったぐらいで、ダイナミックな滑りは、しばらく性別がわからなかったほどだ。

急斜面ではきれいに波状のカーブをリズミカルに刻んで、緩斜面では、スムーズに大きなカーブを素早く描く。
その女は、背の高さほどまでに雪しぶきをあげて、将たちのグループの前で止まった。

顔の半分がゴーグルで隠れていたが、ファー付フードの、あのメタリックなジャケットは疑いない。ゴーグルを顎の下にずらして現れた顔は、まぎれもなく聡だった。

「先生!」
「スゲエ!」

そこにいた、黄色一色の生徒から歓声があがった。

色白のほっぺたをリンゴのように赤くした聡は、笑顔の下で白い息をしきりに吐いた。将は、講師と抱き合ったまま、呆然と聡を見ていた。

「上から一気に滑ってきたから、さすがにキツイ……あら、鷹枝くん」

聡はマッチョ講師と雪の上でからみあう将に気付いた。

「わーっ、アキラ、違う」

あわてる将を、マッチョ講師は、落ち着いて、えいっと一気に立たせた。はずれたスキーを将に履かせながら、さっと自分のスキーをたてなおすと

「先生、上手ですねー!何級か持ってるんですかぁ?」

すいっと滑って聡の隣に並んだ。

「いや、特には……。ここんとこ、ずっとボードだったから感覚狂っちゃって」

と聡は答えながら、将を見た。将はスキー靴の裏の凹凸に雪が入り込んだのをストックでしきりに叩いている。

「いやいや、なかなかですよぉ!もうリミテッドは行きました?」

リミテッドというのは、このスキー場でもっとも難しいといわれる上級者コースである。

「まだまだ、足ならしですから……」

将は、なかなかうまくはまらないスキーにいらいらしながら、聡とマッチョ講師の会話を聞いていた。聡がそこまでスキーが巧いとは……なんだか悔しかった。

 
 

 
聡は休憩がてら、しばらく講習のようすを見学していた。ほとんど平らなところなのに、皆、面白いように滑って転ぶのが微笑ましい。

ふと女子のほうを見た。

男子と一緒の黄色いウェアに身を包んで、2年2組の女子はすぐ近くで講習を受けていた。

その中に、長い黒髪をなびかせて、おそるおそる滑る瑞樹の姿があった。

身ごもっている女が、スキー研修など受けるはずがない。

彼女……瑞樹が妊娠しているはずがない、と聡は心で断定し、安心した。

 

 
聡はしばらく講習を見ていたが、暇なので、また滑りに行くことにした。上で接続する他のスキー場にも行ってみたい。

「じゃあ、みんな頑張ってね」

と皆に声をかけた聡は、最後に将を一瞬見つめた。そして、声にださず『がんばって』と口を動かすと、ストックを後ろに投げ出すように、行ってしまった。

緩斜面なので、ステップを踏むように軽やかに片足ずつ滑っていく。スケートのようだ。

将はそれを、真似して追おうとして、勝手にスキーが滑ってまた転んだ。スキップするように滑っていったはずなのに……。

「くっそぉ」

大またを開いて雪に尻餅をついた将は、とても悔しかった。

 

転んで、起き上がって、を繰り返して雪まみれになっているうちに、午前中の講習が終わった。あっという間だった。

マッチョ講師と別れて、ホテルにいったん引き上げようとした将たちは、ゴンドラ乗り場の入り口のところにいる聡を見つけた。

「センセと話してるのガイジンじゃん」

井口がいうとおり聡は、背の高い金髪の外国人の男性と談笑していた。

「やっぱり先生、英語うまいね」

立ち止まる将に、兵藤がすれ違いざまに話しかけていく。将は、嫉妬にかられて、板をかついで聡のそばにズカズカと歩いていった。自分でも気付いていないが、将は雪道の歩き方に、いつのまにか慣れていた。

聡は将に気付くと、外国人男性との会話にケリをつけて、最後に

「バイ」

と軽く手を振って別れると将のそばに戻ってきた。

「『バイ』だって」

将は聡の口真似をした。

「何、ガイジンにナンパされてんだよー」

将は、怒ったふうを見せた。本当に怒っているわけじゃないが、さっきから聡には少しムッとしている。

「ナンパなんかじゃないわよ。さっき偶然ゴンドラで乗り合わせた人だったから」
「何人?」

「オージーだって」

最近、北海道のスキー場は、オーストラリア人がとても多いのだ。

「で、何話してたんだよ」
「いや、頂上に行きたいけど、どうやって行くか知ってるかって」

「頂上とか行けんの?」
「うん。一番上のリフトに乗って、隣のスキー場にいったん行かないといけないんだけどね。山の向こうの日本海とか見えてキレイだよ」

やっと止まれるようになった将には遠い話だ。

「ところで、どこまで出来るようになった?」
「やっと止まれるようになった」

将はブスッとした顔のまま答えた。あまりに聡とレベルが違いすぎるのが面白くない。

「面白いでしょ?」
「……まあな」

素直に考えれば面白かった。なにせ雪自体が珍しいのだ、滑っても転んでも突っ込んでも楽しい。スピードが出すぎてしまうのも、車やバイクに乗る将にしてみればどうということはない。たぶん、すぐ制御できるようになりそうな気がする。

しかし。このいらだちは。あきらかに聡とのあまりのレベルの違いに落胆しているほかならない。

聡はやはり、9歳年上、スキー経験も豊富な大人なのだ、という事実を将は改めて突きつけられる。