「将、ここで、この態勢はヤバくない? 廊下から誰かがみてたら……」
「大丈夫。暗いからずっと見てなきゃ見えないよ。廊下から外なんてそんなに長いこと見るわけないし」
「でも……」
「心配性だな」
将は聡を抱いたまま、体を起こした。
「俺、聡に乗っかられるの好きなのに」
将は立ち上がると、同じように聡の腕を引っ張って立ち上がらせた。聡についた雪を払ってくれる。
「なんで?」
「おっぱいがここにあたるから」
ニヤッとして、自分の胸のあたりを示す。
「んもー、エッチ」
といって、将のぬくもりから離れた聡は、寒さにくしゃみを連発した。
「ほら、おいでよ」
正月に、実家の萩近くの日本海へドライブしたときのように、将はダッフルの前をあけた。
ただ、あのときと違うのは、向かい合っていること。聡は、ダッフルの中の将にぎゅっと抱きついた。そんな聡を将はダッフルですっぽりと包んだ。
聡がもはや慣れ親しんだ、干草のような将の匂いがする。
「あったかい……。将、湯冷めしてない? 大丈夫?」
ダッフルの中から首を出して将を見あげる黒目がちの聡の瞳は、将にはなんだか子犬のそれのように見えた。
将はいとおしさでいっぱいになって、聡の背中をそっとなでた。
「ああ、今日面倒だから風呂省略した」
「ヤダー、不潔ー」
といいつつ聡は将から離れない。そういわれてみれば、いつもより匂いが少し強い気がする。
でもそれは、もはや、将の虜になっている聡にとっては、アロマだった。
将の背中に腕をまわして、胸をぎゅうっと押し付けながら、いつもより強い将の香りを吸い込んだ聡は、くらくらするような幸福感に酔った。
ここのところ、このアロマで聡は眠っている。
実は……4日に東京に帰ってきてから、将は毎晩のように聡の家に通ってきていた。
そして、そのまま朝まで二人はベッドの上で抱き合って眠った。
もちろん、聡が禁じたから、抱き合ってキスする以上のことはしない。
だけど、将の息づかい、鼓動、ぬくもり、におい。
それらにくるまって眠る聡は、充分すぎるほどの幸せを感じていた。
女の聡は、それでいい。あれこれしなくても、腕の中にいるだけで、恋の幸せに陶酔できる。
しかし、若い男である将のほうは、それで平気なのだろうか。よく我慢している、といつも思う。
と、口に出して一度言ったら、
「ぶっちゃけ、来る前に、処理してきてマース」
と照れながら口にした。
あのとき聡は、赤くなって『もー!』とか言いながら将を叩くふりをしたと思う。将はそんな聡に
「だって、男の子だもん」と某アニメソングのセリフを真似しておどけたはずだ。
聡は、ふとそれを思い出していた。
聡がそれを『おあずけ』にしているから、将は仕方なく自分で発散しているのだろう。
では、あの葉山瑞樹と付き合っていた頃は?
井口は彼女を将のセフレだといっていた。当然、彼女とそういう行為を何度もしたのだろう……。
聡は将を見上げた。
将は聡が顔をあげたのに気付いて、聡の髪を撫でながら、柔らかい目で聡を見つめた。
髪の毛は冷気で氷の糸のようにひんやりとしていて、将は手を少しだけひっこめたくなった。
髪ほどではないが、月明かりの中に浮かんだ聡の顔は、将と抱きあっているのにはそぐわない真面目な表情を浮かべているのに気付いた。
「将……。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「なぁに」
「葉山瑞樹さんのことなんだけど」
「ハァ?」
白い息と共に吐かれたのは疑惑なのか……将は眉根を寄せた。
こんなロマンチックな月明かりの雪の中で、どうして聡はそんな話題を持ちだすんだろう、と一瞬恨んだが、疑いだとしたら晴らさないといけない。
「もう、俺、アイツとは無関係だぜ。マジで」
「あ、そうじゃなくて。それはもうわかってる」
もともと、もう今も続いているとは思わないが、不機嫌な顔をした将を見て、聡はとりあえず安心した。
「でさ、いつまで、葉山さんと付き合ってたの?」
「付き合ってないってばー、もー」
将は心底、嫌そうな顔をした。
「……でも、セフレだったんでしょ……」
「アキラ、もしかして、嫉妬してる?」
将は、こちらを向いたままの聡を抱いた腕の力をさらに強めて、自らが吐く白い息がかかるほどに、聡の顔に自分の顔を近づけた。
「嫉妬してくれるんだったら、スゲー嬉しい。だけど、もう昔の話だから」
そういうと、将は再び聡の唇に自分の唇を押し付けた。ひとしきり、口づけをかわす。口づけのあいまに漏れる息が思いのほか白く照らし出される。
が、聡は唇をふい、と離した。
「いつまで、関係、があったの?」
将はガクッとなった。
「ごめん、将。嫉妬とかじゃなくて、ちょっと知りたくて。……教師としてサ」
最後の、『教師としてさ』のあたりは、完全に色気のない口調だった。
「なんだよー」
将は、疑われているのではないと安心しながらも、青い月夜の、こんなにいいムードのときに、そんな話題を持ち出す聡を少し恨んだ。
「だって、彼女、前原くんの、あの事件もあったし。絶対、修学旅行なんか来なさそうなのに、具合悪いのを押してわざわざ来てたから。それに……」
聡は、瑞樹の『つわり』疑惑のことを言いかけて、ハッとした。
「それに、何?」
聡はあわてて、
「う、ううん。謎が多いコだな、と思って。将だったら……、彼女のことを何かわかるかなと思ったの」
と誤魔化す。さらに
「ホラ、私いちおう、担任じゃない?」と付け加える。
将は、まだ軽く自分の体に腕をまわしたままの聡に安心した。
「さあ、……なんか家庭がフクザツらしいぜ。再婚した新しいオヤジに迫られてるから帰りたくないとか、言ってたかも」
「ええっ!義理のお父さんに? ……虐待されているってこと?」
聡は将の腕の中でもう一度顔をあげて、目を見開いた。
「うん。だから家にできるだけ、いたくないって俺んちに入り浸って……」
将は言いかけたまま、目をそらした。
瑞樹が入り浸っていた、ということから、将と関係があったことを聡にはっきりと連想させたくないのと、そんな不びんな瑞樹を追い出した罪悪感が、いまさらながら、ちりりと将の心を引っ掻いたからである。
「ふうん……」
聡は将に抱きついたまま、やはり視線を将の顔からそらして横に向けた。
静寂が二人を包んでいたが、二人は別々のことを考えていた。
「だけど、アキラ」
聡を呼び戻したのはやはり将だった。
「信じて。俺、もう、本当にアキラだけなんだ」
将は目を見開くようにして、聡を見つめた。何かを請うような必死な表情だ。
「それに……だいたい9月からこっち、アイツとは1回もやってない。本当だよ」
「9月?」
「アキラと学校で再会してからは絶対やってない」
「そうなの? 東大生の山田さん」
聡は将の昔の偽名でからかった。聡が微笑んだのに将はホッとして、また聡の体をきつく抱きしめた。
「俺……、アキラ以外の女なんか、一生いらない」
それは聡の瞳に誓うようだった。澄んだ真剣な瞳に捉えられ、聡は身動きができない。
互いの白い吐息が交じり合うほどの至近距離で、二人は見つめあった。
「そんなこと言っちゃっていいの……?」
余裕で茶化すつもりが、かすれた声で切ない確認になってしまった。将は答えるかわりに、聡にあらためて、くちづけしようとした。そのとき、
「そこに、誰かいますかー?こっちのドア施錠しますよー!」
とホテルの従業員らしき男の声がした。
「ヤバ」
二人は顔を見合わせると、舌を出して笑った。そして、ホテルの出入り口のほうへあわてて走った。
教師と生徒に戻った二人は、ホテルの中に入ると何食わぬ顔をして別れた。
もう消灯時間ギリギリだった。
聡が買ったドリンクは、ガチガチに凍ってしまっていた。