――ピンポーン
玄関のチャイムが鳴ったとき、聡はまだベッドの中だった。
昨日の荒江高校の教師たちによる忘年会だが、結局、聡は最後までつきあってしまった。
あれからもカラオケボックスで飲んで歌って大騒ぎ。
アニメソングメドレーのあとは出鱈目な英語で歌う懐かしのディスコやロックナンバーになり、皆ボックスの座席も狭しと踊り始めた。
鬱憤を晴らすように、教師たちは笑い踊った。日頃、いかめしい顔で生徒を監視している姿とは別人のようだった。
聡もボーっと座っているのを許されず、アースウィンド&ファイアの『セプテンバー』に続いて、アバの『セブンティーン』など70年代のナンバーを次々と歌わされてすっかりお抱え歌手状態。
やけくそ気味にディープパープルに続いて今やこれも懐かしい『深紫伝説』をシャウトしてようやくチェンジさせてもらったが、すっかり枯れた喉は、懐メロの『ボヘミアン』でも歌えそうだった。
面白かったが、すっかり疲れた聡は、ようやく訪れた教師の冬休みに寝坊を決め込んでいたのだ。
――ピンポーン
チャイムはもう1回鳴った。
「ん……、将?」
聡は起き上がると大きく伸びをした。寝起きでうまく働かない頭は、訪問者を将だと決め付けていた。
「ハーイ。ちょっと待って」
玄関にむかって叫ぶ。やっぱり声がかすれている。パジャマにしていたスウェットの上にカーディガンを羽織って、乱れた髪を2つに結びなおす。
玄関へ小走りに向かい、扉を開けるとそこにいたのは……博史だった。聡は失望を隠して、
「どうしたの?」
と博史に問い掛けた。
「大掃除するっていってたから。親が『手伝いにいけ』っていうから、来たんだよ。まだ寝てたの?すごいハスキーヴォイス」
博史はそういいながらも、部屋の中に入ってくる。
「うん……、昨日遅くまでカラオケだったから」
「もう11時すぎだぜ。……本当に寝起きなんだー」
博史はベッドを見て言った。いちおうフトンはかぶせてある。
「コーヒー淹れるね」
といってキッチンに立とうとした聡の後姿に、博史は抱きついてきた。
スウェットの裾から侵入した博史の手は、聡の肌に触れた。
「イヤ……、ちょっとやめて、朝から」
博史は荒い息は聡の首筋にある。
聡のハスキーな制止は博史をますます昂ぶらせたらしく、博史は聡を後ろから羽交い絞めにしたままじりじりとベッドに移動した。
「聡、少しだけ……」
そういいながら、博史はついに聡をベッドに押し倒すと、深く口づけをしながら、スウェットをずりあげて聡の胸を剥き出しにした。
「ダメ。ダメだってばー……」
ようやく唇が離れて口がきけるようになった聡だが、博史は唇をその胸の先端に這わせはじめた。
「ちょっと本当にダメ。……今生理」
博史は顔をあげた。そのすきに聡は身を起こして剥き出しになった自分の胸の上にスウェットを被せた。
「何、はじまったの?」
博史も体を起こすと乱れた髪をかきあげながら聡に訊いた。
「うん。急に。働きはじめてから不順になったみたい」
……よく、いけしゃーしゃーとウソをつける、と聡は自分にあきれる。まあ、生理なのは本当なのだが。
「じゃあ仕方ないね」
博史は素直に諦めると、聡の頬に軽くキスをした。
聡は罪悪感から目をあわせることができなかった。
それからコーヒーを飲んで、掃除を始めた。
といっても狭い部屋、特に時間がかかるわけでもないが、男手があるとそれなりに仕事は増える。
もうとうに結婚する気が失せている男。その男に掃除を手伝わせてしまっている。手を止めるとそんな罪悪感がふつふつと心に湧いてくる。
それに抗うように、聡はホコリはたきに専念した。
ふと、飾り棚の上にある、将からのよれよれのバースデイカードに目が行った。
――ヤバ。
『宇宙一愛する聡』とか『昨日のようにKISSしたい』とか。
こんな文言が書かれたカードが博史の目に触れたら大変だ。聡はこっそりとカードを化粧道具の奥深くにしまいこんだ。
――将は、どうしているかな。
すぐに着信がわかるように、テーブルの上に置いた携帯だが、着信はないようだ。
「聡、油汚れの洗剤ある?マジックリンとか」
「あ、しまった。ないわー」
電気の笠や換気扇、網戸なんて、聡は引っ越して初めて掃除する気がする。一人だからそれほど汚れないというのもあるが。当然、それに応じた洗剤もないのだ。
「あたし、買ってくる」
「ああ、俺もいくよ」
「ううん、コンビニすぐ近くだから。ついでにお昼も買ってくる。博史さんはちょっと休んでて」
聡は朝食を抜いて、ひどくお腹がすいていたのだ。
それと、狭い部屋で、博史と二人という状態に――もう押し倒されないとは思うけれど――とても緊張していた。
そこから一息つきたかった、というのもある。ジーンズの上からジャケットをひっかけると、聡は外に飛び出した。
聡が出て行って、博史は、あらためて部屋を見回した。
飾り棚のほうへ近寄る……クリスマスイブの日にあったカードを確かめようとして、だが、それはすでに片付けられたのか、もうなかった。
博史は、他に将の痕跡を探すべく、聡の部屋のあちこちを開けた。
婚約者のいない間に、こそこそと、その浮気の証拠を探す。そんな自分がいじましいと思ったが、疑惑に抗うことも出来ず、博史は探し続けた。
しかし、ちょっと開けただけでは、何も出てこなかった。
――見つけてどうするのか。
博史は心で自嘲した。聡を責めるのか。それとも別れないでくれと懇願するのか。
そのとき。テーブルの上に置きっぱなしにしてある聡の携帯が鳴った。
『鷹枝将』
と表示されている。博史は動揺した。
無視しようかと、いったんはそっぽを向いたが、吸い寄せられるように手にとってしまった。
そしてもう一度玄関に目をやる。
聡が戻ってくる気配はないのを確認して受話ボタンを押し、耳に携帯を押し当てる。
「アキラ-?俺。今何してんのー?」
「……」
「アキラ?もしもーし、アキラー?聞こえてるー?……」
博史は電話をプチ、と音を立てんばかりに切った。
その若い男は親しげに聡を呼び捨てにしていた。それに自分を『俺』と名乗った。
……つまり、何度もこうやって電話をかけてきているということだ。
博史は将へとわきあがってくる憎しみを冷静に押さえると、今の着信履歴を削除した。
そして、立ち上がると窓辺を見て、聡がまだ帰ってこないのを確認して、メールボタンを押した。
受信フォルダから将のメールはすぐに見つかった。
内容は今はさほど問題じゃない。そのメールに返信ボタンを押し、
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もう電話しないで。さようなら。聡
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と手早く打つ。
送信ボタンを押したとき、博史の心臓はここ数年で経験していないほど、早く打っていた。
しかし、鼓動を押さえながら冷静に、今度は今のメールの送信履歴を消す。
そこまで終わって、ようやく博史は脱力して座り込むと聡のベッドによりかかった。
そして腕を伸ばして、テーブルの上に、元通りに携帯を置いたちょうどそのとき、玄関があいて聡が現れた。
脱力していた博史は、飛び上がらんばかりに玄関に振り向いた。
「ただいまー。……あら、テレビも付けなかったのー?」
「あ、ああ」
博史は、そんなしどろもどろの自分が、心底情けないと思った。