総勢10人の夕食は、堀ごたつだけだと詰めて8人がけなので、折りたたみテーブルを足していただくことになった。
将は、聡と幸代は足が伸ばせない折りたたみテーブルのほうに座るのだろう、と予想して
「あ、僕、こっちでいいですよ」
と折りたたみテーブルに自ら志願し先手を打った。こうすれば聡の隣の辺か、対面に必ず座れる。
「悪いけど、そうしてくれる?」
と聡も将のたくらみに気付いたようで加勢してくれる。
しかし、博史がさも当然というように、聡の隣にあたる掘りごたつの一番下座に席を取ったのが将には気に入らない。
将は聡の隣の辺を死守した。
夕食は肉団子や豚肉を入れた味噌味の鍋がメインで、ほかに萩名物の瀬付き鯵の刺身、そして食べ盛りの高校生対応で、飛騨コンロで焼く牛肉、腹を膨らますためのコロッケやサラダなどが並んだ。
「まあ、1杯ぐらいは」
という大二郎の粋なはからいで将ら高校生もビールを飲んでいいことになり、座は賑やかになった。
「なあ、大悟、あそこおもしれえな」
「井口も気付いてた?おっかしいの」
大悟と井口が、鍋をつつきながら笑っているのは、聡を真ん中に挟んでの将と博史のバトルである。
「センセー、肉とってやろーか」
将が自分の前に置かれた飛騨コンロで焼けた肉を聡にやろうとすると、博史が
「こっちのほうが食べごろだよ」
と先に自分の近くの飛騨コンロからさっと取って聡の皿に置く。
むっとした将は、
「こっちのほうがレアで旨いぜ。いい肉なんだからっ。見蘭牛でしたっけ、ねー、おかーさん」
と負けずに聡の皿に置く。ちなみに見蘭牛とは萩の離島原産の上質な霜降り肉である。
幸代を『おかーさん』よばわりする将に、博史はムッとした顔を表面に出し、
「君のおかあさんじゃないだろう」
とムキになる。しかし将に『おかーさん』と呼ばれた幸代はまんざらでもなさそうで
「いいのよー、別にぃ、博史さん」とニコニコしている。
聡のグラスが空くと、両側からビール瓶が差し出される。
聡が鍋をかき混ぜはじめると、博史と将の両側からさっと空の器が伸びる。
聡は、年功序列でいちおう博史のほうから先によそってやったものの、将のほうには少し肉団子を多めによそってやった。
将は、それがさっき聡が手でこねていた肉団子だというのを知っているので、嬉しくてつい、
「アキラ、超うめーよ」
と言ってしまった。それを
「おい、先生のことを呼び捨てか」
と博史が咎める。すると聡が
「いいんだってば。あだ名なんだから」
と父や母にも聞こえるようにさりげなくフォローした。
これで将がいつものように『アキラ』と呼んでしまったにしても大丈夫なことになる。
しかし、博史は、聡と反対側の隣に大二郎が座っているので、そっちにも気を遣わなくてはならず、夕食のバトルは、手伝ったことで幸代のポイントをよくしている将が少々有利だった。
「あ~気持ちいい」
一足先に体を洗った幸代は岩の露天風呂でのんびりと体を伸ばした。
庭園の中にしつらえたような露天風呂が男女各2つずつあるとある旅館の温泉だ。
城下町の萩では平成になって、温泉が掘削されて配湯されるようになった。萩城近くにあるこの旅館にも温泉が配湯されている。
賑やかな夕食の後、大二郎の教え子の3人が帰宅し、残った7人でワゴン車に乗り温泉に来ている。
正月三が日にもかかわらず、時間がずれたせいかそれほど人は多くない。
幸代より髪の毛を洗うのに少し手間取った聡が遅れて、露天風呂に現れた。
本当は内湯で温まりたいが、幸代に話したいことがある聡は、できるだけ幸代のそばでチャンスを伺いたかった。
それにしても、内湯に入らずにいきなり露天に来ると、濡れた肌に寒い風が吹きつけ一瞬で凍えてしまう。
「寒い寒い」と身を縮めながら湯に身を素早く沈める……今度は湯の温かさに逆に一瞬毛穴がギュッと引き締まる。
それが時間の経過と共に弛緩していく。そんなとき、
「あ~気持ちいい」
という声が思わず漏れる。空を見上げたが、さかんに立ち上る湯気のせいか星は見えない。
「あら、聡、それどうしたの?」
「え?」
幸代が指差す先には、ゆうべ胸元に将がつけたキスマークがあった。まだ鮮やかに赤い痣。
「え、あ、やだ」
聡は慌ててそれを手で隠す。
「あ、……なんか虫に刺されたみたい」
と笑ってごまかした。幸代は
「どんな虫だか」
といぶかしげな顔のままだった。
一方、男湯。
将は、素早く衣服を脱ぐと、誰より早く洗い場へ行き、体を洗ってしまい、内湯に浸かった。
できればあまり、他人に背中のケロイドを見せたくないというのもあるが、将は実は博史の体を観察していたのである。
「お義父さん、背中流しましょう」
と大二郎の背中を流す、博史の裸体。スーツのときはわからなかったが、かなり筋肉質でしかも陽に焼けている。
腹の筋肉などはしっかりと割れている……。
大二郎の背中を流し終わった博史は、湯船の中を将のほうへとまっすぐに歩いてきた。
将の隣に腰をおろすと
「お前はゲイか。人のコカンをジロジロみやがって」
と小声で耳打ちする。
将は、博史の目の前で、わざと勢いよく、ザバっと立ち上がると、
「意識しすぎるテメエのほうこそ、その気があるんじゃねーの」
と言い返して、前も隠さずに露天風呂のほうへ歩いていった。
博史は、将の、大きな傷跡が残りつつも、流れるような筋肉がついた若い背中を憎憎しげに睨んだ。
将の裸体を間近で見た大二郎は、近くに浸かって『一部始終』を見ていた井口と大悟に
「かなり、いい勝負だねぇ~」
と囁いた。目が笑っている。三人は顔を見合わせて笑った。
「お母さん。あのさ……」
聡は湯に浸かったまま、母に話し掛ける。他の客が露天から消えた今が話しどきだ、と判断したのだ。
幸代は早くもいったんのぼせてきたので、裸のまま浴槽のふちに腰掛けて涼んでいる。
「ん?」
「博史さんのことなんだけど」
話題を口に出したとたん、心臓がどきん、と抵抗を始める。
だけど将からもらったキスマークに勇気をもらい、話を続ける。
「私、博史さんとは結婚しないから」
一息に言った。幸代は、それほど驚きもしなかったが一応
「どうして?指輪をもらっちょるんやろ」
と訊き返してきた。
「他に、……好きな人ができたん。私がいけんのやけど」
「博史さんには?まだいっちょらんの?」
「うん。でも、近いうちに絶対に自分でいうから。指輪も返す」
幸代はもう一度湯船に浸かると聡を見据えた。
「その、好きな人っていうのは……。一時的な気の迷いとかじゃないん?」
聡は深くうなずいた。
「でも……。博史さんのほうは、もうご家族でそのつもりなんやろ。病気のお母様も」
『病気のお母様』という言葉が胸に痛い。頭の中で血液がずきん、ずきんと音をたて始めた。
少しのぼせ始めたらしい。
聡は湯からあがると湯船のふちに腰掛けた。さっきは寒かっただけの外気がすーっとほてった肌をなだめていく。
「すごく悪いとは思ってる。でも、もう……夫婦には、なれない」
『夫婦には、なれない』の意味は、幸代にも理解できる。
幸代は、そんな告白をする娘の裸体を盗み見た。
仲のいい母親と二人のせいか、タオルをかけて隠しているのは下だけだ。
湯で濡れた白い肌は温まったせいか桜色に染まっている。
自分の娘ながら、なまめかしいと思った。そしてたぶん……この娘は、男をもうとうに知っているのだろうとあらためて思う。
幸代は聡の胸元の赤い痣に確信を持った。
「もうあんたも大人なんだから、自分でなんとかするんよ」
幸代は、言った。突き放すような言葉だけど、語調は優しさに満ちている。
「……うん」
聡は自分の胸元に残された将のキスマークを見るようにしてうなづいた。
「訴えられてもしかたないんよ」
幸代はさらに厳しい言葉を、でも穏やかな口調で続ける。
「……覚悟してる」
裸の聡の背中に、少し冷たすぎる夜風が吹き付けた。聡は肩を縮めると、湯船にまた浸かった。
「それにしても、そんなに急に心変わりするなんてねえ……。相手は誰なの」
問われて答えられない聡は、湯の中に頭まで沈んでみる。
「ちょっと聡?聡ってば」
幸代が呼びかける。……しばらくして、プハァと顔を出して、エヘヘと聡は笑った。
「もう、このコは……」
幸代が苦笑いをした。