第128話 依存

結局将は、月曜日1日、学校をサボってしまった。

車の中で弁当を食べてしまい、漫画も一通り読んでしまうと、午後は何食わぬ顔で病院にリハビリに行き、それが終わると、看護士の山口としゃべる。

山口も、聡の転勤に驚いたようだった。

電話も届かない山奥だと聞いて

「普通、若い女性をそんなところに一人きりで赴任させるかしら。業務だとしたって」

と憤慨する。

――そうだよな。それが普通の感覚だよな。

と将は深く頷く。

そうこうしているうちに、暗くなってきた。

そろそろ大悟が帰っているだろうと、将は商店街でラーメンを食べてマンションに戻った。

 

「おう、将じゃん。どうしたの。入れよ」

笑顔でリビングに迎えてくれた大悟に、

「あのさ……」

と切り出す。やはりちょっと言いにくい。

「何だよ」

と大悟はソファの上、湯上りの寛いだ顔で微笑んだ。将はバツの悪さを感じながらも、

「……悪いんだけどさ。アキラが山梨に転勤になっちまったんだ。それで悪いんだけど、ここに戻っていいかな」

と用件を一気に言った。

「いいけど……」

大悟は予想通り、OKしてくれたが、その返事の仕方は将が思っていたのと違った。

もっと明るく賛成してくれると思ったのだが……。

もっとも将も、彼女と二人で棲んでいるところに友達が転がりこんできたら嫌だよな、しかもその友達は元カレみたいなもんだし、と大悟の気持ちを慮って、

「ごめんな。邪魔しちゃって……」

と頭を下げた。

「いや、ここはお前の部屋なんだから、気にすんなよ」

ようやくそう言ってくれた大悟ではあるが、あきらかに将のことは想定外だったようで少しとまどっているようだった。

「できるだけ、瑞樹と二人にはならないようにするから……」

将は言っていいものか一瞬迷った末、一応断っておいた。すると大悟はあわてて将のほうを向き直って

「別に、お前のほうは心配してないんだ。お前はわざわざ車1000キロ走らせて萩にいくほどセンセイにぞっこんなんだし……」

と、とりなした。そして「ただ……」と続けてうつむいた。

「瑞樹のことを心配してんのか?」

将は大悟の顔をのぞきこんだ。

「……だったら、心配要らないぜ。瑞樹はお前のことが好きだ、ってハッキリいってたぜ」

「マジ?」

大悟は顔をあげた。

「マジ、マジ」

将は大悟の肩をぽんぽんと叩いた。

「……いつ、聞いたんだよ」

「あ……。言おうと思ってたんだけど、今日昼、1回こっちに戻ったんだ。そんとき……あ、大悟!」

大事なことを思い出した将は、話を中断して大悟にそれを告げた。昼間、瑞樹が薬をやっていた件。

「もちろん、取り上げて捨てたんだけど。いちおうあれが最後だっていってたけど……」

「またか」

端正な眉をゆがめて、それでも目を見開いて将の話を聞いていた大悟だが、全部聞き終わると深くため息をついた。

「オレも何度かとりあげてるんだ。そのたびに最後だって言うんだけど……。どこで調達してるんだか……」

将の問いにうなだれるように頷いた大悟に、将は何て言葉をかけていいかわからず、しばし沈黙するしかなかった。

そういえば、瑞樹の姿が見えないことに、将は今気付いた。

「瑞樹は?」

「おばあちゃんちに行くっていって、さっき出てったけど……」

将の思考は、嫌な考えにゆきあたった。

「なあ、大悟。アレって1万もするんだろ」

「知らないけど、たぶんな……」

大悟は将の顔を見ないで、搾り出すように答えた。

そのようすを見ると、大悟も同じことを考えているのだろう。

「……アイツ、オレのこと本当に、好きだっていったのか……?」

しばしの沈黙ののち、大悟は呟くように将に尋ねた。

そのすがるような表情に、将は言葉が出てくる前に深く頷いた。

「いった」

「そうか……」

なのに、大悟は手を伸びかけた髪に埋めるようにしてうなだれた。憔悴しているように見えた。

将は、本当にそれ以上何も言えなくなった。

 
 

将は久しぶりに自分のベッドに横たわった。

聡にメールを打とうとして……画面を切り替える。瑞樹に電話をかけてみる。

しかし、案の定、電源を切っているのかつながらない。

将は……瑞樹が援助交際を再開したのは間違いないと思っていた。

大悟もたぶん、わかっている。だからあんなに憔悴した様子だったのだ。

それにしても女は、好きな男がいても援助交際なんかできるんだろうか。

将は、聡を思い出す。

今、聡にそれを聞いてみたい気がしてメールにそれを打とうとする。

だけど、メールの文字にしてみるとその問いは、生々しく、かつ、軽軽しかった。

将はいったん書いた文面を削除してため息をついた。

かわりに聡の答えを想像するべく彼女の画像を開けてみる。想像は簡単だった。

『そんなことできるわけないじゃない』

聡だったらそういうに決まっていた。

 
 

大悟のことを好きなのに援助交際をして。そうまでしても薬は離れがたいのか。

薬に……依存しているのか。

将は再び考える。瑞樹に巣食っている、依存、という得体のしれないものを。

それがないと正常さを欠くほどの耽溺。

自分ではどうしようもなくなった心の隙間を埋めるために、いや忘れるために、何かに依存することが必要。

瑞樹には……大悟では埋められない心の隙間があるのか。

まさか。まだ……。

入院中、将の病室で泣きじゃくった瑞樹を思い出す。

いや、思い過ごしだ。思い過ごしに決まっている。

瑞樹は大悟のことを好きだとハッキリ言ったのだ。

不安になった将は暗くなった携帯のボタンを押して、聡の笑顔を復活させる。

この場合、聡は精神安定剤だった。

しかし、それを見ているうちに、もっともっと欲しくなる。

逢いたい。話したい。触れ合いたい。

将は、ふと気付いて微笑む。自分も依存しているじゃないか。聡に……。

 
 

瑞樹は結局朝まで帰ってこなかった。

だが、将は学校、大悟は派遣があったので二人ともあわただしくマンションをあとにした。

学校に行くのは気乗りがしなかったが、仕方がない。タクシーを降りたところに、さっそく嫌なヤツがいた。

「へっ、タクシー通学か。お坊ちゃんがよ」

校門で竹刀を持って立っていたヤクザ教師・京極が将に聞こえるようにわざと言った。

立っていたもう一人の屈強教師も唖然とした顔になった。

どう考えてもケンカを売っているようにしか思えない言動だが、

朝で完全にエンジンがかかっていない将は、頭の働きも鈍い分、腹立ちも半分で済んだ。

軽く睨みつけるだけで、靴箱へと松葉杖をつく。

 
 

「将、お前昨日どうしたんだよー」

教室に入ってきた将の姿を見て、井口が寄ってきた。

「昨日よォ、お前が帰ったあと、あのヤクザめちゃくちゃだったんだぜ」

だが将の返事を聞かずに、まくしたてる。

「めちゃくちゃって……」

将が問い返していると、HRの予鈴チャイムが鳴った。

それを聞いて井口はあわてて席に戻った。井口だけでなくほかの生徒も席に着きはじめていた。

予鈴なのになんだ?と将が思う間もなく、引き戸を乱暴に開けて京極が入ってきた。

ずかずかと教壇に登ると、クラス中を睨むように見渡す。

クラス全員、ライオンに目をつけられたガゼルのように縮み上がった。

そしてHRの本鈴チャイムが鳴り始めると共に、チャイムのボリュームに負けない音量の声で

「きさまら、携帯を出せ」

と生徒たちに命じた。

「ハァ?何でだよ!」

将は、座ったまま抗議の声を上げた。他の生徒のハラハラとした視線が将に集まる。

「説明する必要はない」

京極は言い放った。

「じゃあ、オレも携帯をお前に預ける必要はない」

将も、低い声で応酬する。

「上等だ、鷹枝将。しかしだ」

最初静かな口調で微笑んでさえいるような京極だったが、

次の瞬間、将の席までズカズカと歩いてきて、机を竹刀でビシっと叩いた。

その鋭い音に、まわりの生徒が、身を震わせる。

「教師を『お前』とは何事だァっ!」

と咆哮を上げ、将の襟首をつかんで引っ張り上げた。

クラス中が、固唾を飲んで、成り行きを見守る。恐ろしさのあまり手で顔を覆う女生徒もいた。

「体罰厳禁じゃねえのか、この暴力教師」

将は襟首をつかまれたまま、すくっと立つと上から京極に言い放った。

長身なので、立ち上がると襟首をつかむ京極より視線が上になるのだ。

「説明もなしに、信頼もクソもないテメエに貴重品を渡せるか」

将は京極を見下ろしながらさらに続ける。

「こ、こンのぉ……」

京極は顔を紅くして歯を剥き出しにすると、将の襟首を、投げつけるように解放した。将は、襟元を整えながら、バカにした目で京極を見据えた。

「授業中に使うバカがいるから預かってるんだ!授業が終了したら返す!」

京極はやっと説明した。

「だったら最初からそう言えっつの」

将はもっと反抗しても良かったのだが、まわりの凍りついた空気に、これぐらいにしてやろう、と携帯を出して渡してやった。

まわりの生徒はホーッと安堵の吐息をついた。

……が、携帯を集め終わっても、京極は教壇の上から、鎌首をあげた蛇のように将を睨みつけていた。