第129話 反抗

「将、お前、よくさからえるなあ」

京極が行ってしまうと、再び井口らが席に寄ってきた。

「あいつ、すぐポイントちらつかせんだぜー」

なー、とカイトとユウタは顔を見合わせた。

将は、椅子にもたれて

「何、そんなに退学がコワイわけ」

と言い放つ。三人はしばし顔を見合わせた。

「……そりゃ。もう2年も3学期だぜ。もったいないじゃん。あと1年我慢すればキャッシュバックがもらえるのに」

井口が3人を代表するように言い「お前は金持ちだから関係ないだろうけど」と小さく付け加えた。

将は窓の外を眺めた。今日も冷たく晴れている。この冷たい青空は聡がいる山梨までつながっているんだろうか。

「あっ!」

「何だ、将」

突然声をあげた将に、井口らがあわてる。

「くっそ、携帯預けんじゃなかった!アキラにメール打てないじゃん!」

「……なんだ、そんなことかよ」

「そんなこと、だけじゃないぜ。取引もできねえし。しまったァ」

将は頭を抱えた。株取引は平日の昼間に行われる。携帯を取り上げられたら、何もできない。

デイトレーディングでコツコツと儲けている将である。それは大損害だった。

将は乱暴に立ち上がると、松葉杖をついて職員室に向かった。そんな将を、3人は心配そうに見送った。

 
 

挨拶もなしに無言で職員室に入った将に、教員たちが一斉に注目した。

将はそんな視線にはかまわず、松葉杖をついて京極が座る席に直行する。

京極は将が脇に立っているのに気付いているくせに、無視して机上作業をしていた。

「携帯、返せよ」

将は、京極のパンチ頭の後頭部に向かって切り出した。

「何ィ?」

京極はやっと立っている将を振り返った。

「休憩時間に使うんだからよ」

「何に使うんだ。出会い系サイトか」

京極は勝手に使い道を限定すると、にやりと笑った。

将は、ムカッと来たのを抑えて、それでも京極を心底バカにした目つきで見下ろしながら

「株取引だよ」

と用途を短く話した。

「カブゥ?」

京極は目を細めて将を睨みつけた。その目付きは将が街でたびたび遭遇したチンピラそっくりだった。

「高校生にそんなものは必要ないッ」

1拍おいて京極は怒鳴りつけた。

職員室中がシーンとなった。隣で角刈りの権藤がハラハラしている。

騒ぎに学年主任の多美先生が近寄ってきた。

「どうしたんです」

事情を訊く多美先生に

「授業中に携帯なんて必要ない、と言っていたんです」

京極は、いちおう丁寧な口調で、でも内容は適当に答えていた。

「違うだろ!」

思わず叫ぶ将に、多美先生が

「鷹枝!言葉遣い!」

と注意する。

「コイツ……先生が、勝手に携帯を取り上げたんです」

何かわめこうとする京極を多美先生が制止してくれた。

「で俺、休憩時間に株取引をしているから困るって話してたんです」

「京極先生」

多美先生は京極に向き直った。

「高校生に、株取引は早すぎます。それに儲けたとしたら、よけいな金銭を持つことになり、非行のもとになります」

京極も、さすがに学年主任の多美先生には逆らえず、ブスっとしながらもその趣旨を説明した。

「早いかどうかなんて、誰が決めたんだよ!」

将はそれを聞いて思わず怒鳴る。

多美先生は腕組みをして考えたが、

「この件は、あとで職員会議にかけましょう。鷹枝、わかったな」

「わからねえよ!正当な財産権を奪うのかよ!」

将はなおも反抗した。株取引もそうだが、聡にメールを打てないのは痛い。

「何が『財産権』だ。きいたふうな口を利くな!……いいか。お前ら未成年は犯罪を犯しても名前がでない分、責任もない。責任がないってことは、権利も主張できないんだ。覚えとけ!」

京極の応酬に、将は悔しいが言い返す言葉が見つからなく、歯を噛み締めた。

多美先生は、なお京極をにらみつける将に、

「もう、授業が始まるぞ。……教室に戻りなさい」

と落ち着いた口調で諭した。

 
 

京極の英語は、この日は2時間目だった。

さすがに今日は、皆、教科書を持ってきていた。

将は持ってきていなかったが、気を利かせた井口が、1組の不良仲間に借りてきてくれた。

京極は授業開始2分前に、乱暴に引き戸をあけて教室に入ってくると、チャイムと同時に黒板に英文を書きはじめた。

無言で何かの例文を10ほど一気に書いてしまうと、教壇から教室の皆に向き直った。

「15分でこれを覚えろ」

意外な展開に生徒はサワサワと、控えめにざわめいた。どれも単語を10以上使った長めの例文だ。

「あ、あの……」

その成績のよさから、女子の学級委員を務める星野みな子が手をあげた。

「なんだ」

京極は不愉快そうに返事をする。それでも女子なのでいちおう静かな口調ではある。

「英文の意味が、わからないんですけど……」

「わからなくても覚えろ。機械的にな」

京極の答えに、星野は不服そうに黙った。

初めて目にする単語もあり、読み方すらもわからなかったが、生徒たちはしぶしぶと暗記を始めた。

将は、アホらしい、そっぽを向いた。そんな将の態度が目に付いたのか、京極は

「15分経ったらテストをする。半分以上覚えてなかったものは、マイナス50ポイントだ!」

「ええー!」

と小さく声があがったが、ギロリと睨む京極に生徒は縮み上がった。暗記を続けるしかない。

将はそれを聞いても、暗記をしようともせず外を見ていた。

 
 

「ねえ。アイツの英語、思いっきりヘンだよね」

と将の斜め後ろでチャミが相棒のカリナに言うのが聞こえた。

「うん。あれは『イングリッシュ』じゃなくて、『ジャングリッシュ』だってば」

とカリナも答える。

英語が終わっての休憩時間。こんなに休憩が待ち遠しかったことはない。生徒たちは皆緊張が解けて一気に脱力していた。

テストは小テスト形式で行われ、隣の生徒と答案を交換して採点する方式だった。

将は、白紙のままテストを終えた。

回答は京極が読み上げるのだが、それが思い切り日本語的な発音だった。単語ごとに区切っているし、かつ、thとかrの発音なんて最悪だ。

聡のネイティブに近い発音や、映画の生の英語に慣れていた生徒たちにはとても奇妙な言葉に聞こえた。

「……やっぱり、アキラ先生がいいな」

チャミがそうつぶやくとカリナも

「もう、アキラ先生戻ってこないのかな」

としんみりした。

将だけでなく……クラスのみんなも、聡を早くも懐かしんでいるのだった。

 
 

火曜日、真っ暗になって山の学校に戻ってきた聡は、風呂にも入りたくないほどくたくたに疲れていた。

それでも疲れた体に鞭打つように、なんとか風呂に入ると人心地ついた。

今日もカリキュラム作成には手をつけず、テレビをつけて、そのまま横になる。ざらざらの画面を見て、気がつく。

――ああ、テレビもちゃんと映るようにしないと。

聡はのろのろ起き上がると、メモに『テレビ』と書き加えた。あまりにも必要なものが多いので、そのつど書かないと忘れてしまうのだ。

再び床に戻ると、携帯を取り出す。将からのメールを読むためだ。

しかし、メールは昨夜寝る前に打ったらしい

『今から寝る。おやすみ。また明日メールする』

の一言だけだった。今日の分はない。

がっかりした聡だったが、そのうち疲れに負けて、ことん、と眠りについた。

翌日も、メモからはみ出すほどの数になった、必要なものをそろえるべく聡は買ったばかりの車で奔走することになった。

3万円以上のものを買うときは、いちいち本校に伺いを立てねばならず、そのたびに麓に降りて連絡して……面倒くさいことこの上ない。

聡は朝から晩まで、買い物と工事手続きに走り回った。

木曜もそれが続き……やっと夜。

聡は風呂上りにビールを飲みながら、業務日誌を付けている。

今週は文字通りバタバタしていて、毎日業務日誌を付けるどころではなかったので、あわてて1週間分を付けているのである。

それでも、明日夜には東京に戻れるので、聡の気持ちは少し明るかった。

アンテナ工事をしたテレビは、前よりずっとクリアーになり、BGMがわりにニュースを伝えている。

「よし!これで大丈夫でしょう!」

日誌になんとかケリをつけた聡はウーン、と伸びをした。

と、そんな聡の耳に『連続殺人事件』という不穏な響きが入ってきた。

伸びをしたままテレビに目を向ける。女性キャスターがその不穏なニュースを伝えていた。

『山梨県で起きている連続強姦殺人事件の続報です。昨日、N市でまた新しい犠牲者が出てしまった事件ですが、依然犯人像はつかめておりません……』

N市と聞いて、聡は思わずテレビに釘付けになる。聡のいる山の学校に近い場所だ。

テレビは、女性キャスターから現場の映像へと移り、さらにコンピューターグラフィックを使った地図が映し出され、男性のナレーションが入る。

『被害はいずれも20代の女性で、N市からK市までの間で起きている。今回のD子さんのケースは独りで車に乗っているところを狙われたと見られる。

犯人は何らかの形でD子さんの車を止め、その中に押し入り、暴行殺害。そのまま車を運転して遺体を運び、山中に放置したと思われる』

ニュースは、昨日殺されたD子だけでなく、前に殺されたA子からC子までの殺害したと見られる場所から遺体の発見状況まで詳細に伝えた。

いずれも聡のいるところから近いところばかりだった。聡は固唾を飲んだ。

山の中に独り。その危険が改めて聡に迫り、聡は身震いした。