第176話 撮影(1)

「じゃ、二人もうちょっと大股で、カメラにらむ感じで……そうそう」

土曜の午前中。将と大悟は、若者が多いある街角でポーズを取っていた。

ポーズを取る将と大悟の前で、カメラマンはひざまづいたり、立ち上がったりしながらせわしなくシャッターを切る。

そんな様子を通行人が何事かと目を止めていく。

何人かの若いギャルたちがすでに、将と大悟に見とれて足を止めて撮影に見入っている。

カメラマンが場所を変えるたびに、大きなレフ版を持つ助手らしき若い男もその角度を変える。

ほとんど指示なしで、的確な場所へ移動していく。

そのほんのわずかな間に、コームを持った若いヘアメークが寄ってきて、将の前髪を微調整する。

「ハイ。OKです」

彼女はコームの取っ手でちょっとだけ将の前髪を崩すと、飛びのいた。

カメラマンはシャッターのあいまに、

「はい、いいよ、カッコいいよ!……そうそう。大悟くん、その顔、いいね!」

と将たちを誉めそやす。

――カメラマンって、口のほうも忙しい仕事なんだな。

将がそんなことを思っていたら、

「将くん、その顔サイコー!」

と言われてしまった。あとで聞いたのだが

「人をちょっと見下すような顔が、貴公子っぽくていいよね、彼」

とカメラマンは言っていたらしい。

 
 

編集兼ライターの美智子が、ちょちょっと撮影した先日と違って、今回の撮影は思ったより大掛かりだった。

プロのカメラマンとその助手らしき若い男、クライアント(広告主※今回はジーンズのブランド)の担当者が各社1名ずつで2名、スタイリスト、そしてヘアメーク。

グラフィックデザイナー、その場を仕切る美智子と、4月に入社したという出版社の新人編集者の総勢9名。

それに将、大悟を含めて『ヤラセ』モデル4名。

クライアントの担当者はヤラセ部分の撮影が終わったら帰るけど、代わりにあとからデスクが顔を出すと美智子が言っていた。

「午後になって人出が多くなってきたら、その場で、通行人の中から、オシャレでいけてる子を探して口説かないといけないからね。人海戦術よ」

と美智子が説明した。

もっとも今回のような人の多い取材は特別で、通常の取材は、もっと簡単で、美智子とカメラマンのみ、というものも多いらしい。

 
 

薄曇りの今日は4月前半にしては、温かく、気温はすでに20度を越えていた。

編集の美智子は

「温かくてよかったわー。5月発売なのに、みんな寒い格好してたら困るもんね」

とホッとした顔をしていた。

将たちモデルは、あらかじめ初夏にあわせた格好をさせられているが、今日の陽気はそれでちょうどいいぐらいだった。

今朝、休日だというのに、学校に行くのとほぼ同じ時間に起きた将は、大悟と共に、言われたとおりの時間に出版社のビルの前にやってきた。

そこは、将がめったに足を踏み入れない、皇居がある区にあった。

土曜なので、美智子は通用口の前で待っていて、将たちを見つけると手を振った。

「時間通りね。感心、感心」

美智子はニコニコと、通用口に将と大悟を招きいれた。

休日のせいなのか、その大手出版社のビルの中はやけに静かだった。

「おはよーございまーす」

美智子は明るい大きな声で挨拶をして地下にあるスタジオに入った。

そこにいた女4名と、男性3名の視線がさっとこっちに移る。

美智子が手早く紹介と挨拶をする。

それによれば、男性はこの出版社の新入社員とモデル2名、女性ははスタイリストとヘアメイク2名、、それとモデル付きの女性マネージャーということだった。

マネージャー付きの本物のモデルを使う撮影、ということで、将と大悟は少しだけ緊張した。

そのとき

「おはようございまーす!将くんと大悟くん、今日はよろしくね」

とスタイリストと紹介された一番年嵩の女がスケッチブックを持って近寄って来た。

声はしゃがれているが、格好は若々しい。おかげでいくつぐらいなのか見当がつかない。

ヘアメイクとマネージャー、新入社員は先にいたモデルの髪型の相談に戻った。

女が持っているスケッチブックの中には、すでに将たちの今日の衣装が色鉛筆の絵で指示してある。

――こんなふうに指示するんだ。

思わず、二人は興味深くそれをのぞき込んだ。

「大悟くんが176センチ、将くんが185センチだったよね。いちおうジーンズは背丈にそろえてあるけど、試着してみて。ダメだったら他のサイズもあるし、裾直しも頼めるから」

といきなりジーンズを押し付けられて、二人は顔を見合わせながら、スタジオの隅につくられた更衣スペースに神妙に移った。

「勝ったな」

大悟が将に小声で言った。

「え?」

今着ているジーンズを下ろしながら将が訊き返すと、大悟は

「あの二人に」

と、ニヤッと笑った。自分たちのほうがイケてる、ということである。

「まあ、な」

将も笑い返した。

「どう?」

スタイリストの声がしたので、二人はあわててジーンズを身につけた。

「将くんは、ぴったりね。大悟くんは……少し背が伸びたのかもね。ちょっと裾が短めだわ。こっちを着てみて」

「やった、足が伸びたかも?」

大悟は嬉しそうに、代わりのジーンズを受け取って更衣スペースに戻った。

そんな明るい大悟を見るのは久しぶりで、将も嬉しかった。

着る服が決まったら、鏡の前に座って、ヘアメーク。

ケープを掛けられて、将も大悟も少し照れくさかったが、先に来ていた二人は慣れていそうだった。

メイクといっても、別に女性のように化粧をするわけでもない。

ニキビや髭剃りあとを隠したり、透明なリップを付けるぐらいだが、将も大悟も肌に関しては問題がないので色物を塗る必要はなく、少しだけ眉を整える程度で済んだ。

眉についても、二人とも剃りこんでいるわけではないので、長すぎる部分をカットするだけだ。

ヘアメイクの女はさすが本職らしく、自らの化粧も巧みだ。

だが、柔らかい雰囲気でゆったりと話しかけてくれたので、将と大悟の緊張はずいぶんほぐれた。

「将くん、ちょっとだけ髪にメッシュ入れていい?」

「ハァ、いいですよ」

ヘアメイクの女は将の髪をいじり始めた。大悟のほうは、スプレーをかけられ、髪を立てられている。

「将くん、ゆるーく、くせ毛入ってる?パーマじゃないよね」

「ハイ。短いとわからないんですけど、伸ばすと出てくるんですよ」

「でも、ナチュラルでいい感じよ。だいたい、髪キレイだよね」

といいながら、少しだけ鋏を入れる。しゃべり方はフランクだが、その手つきは極めて慎重だった。

20分ほど、彼女が髪をいじっただけで、髪型の印象はガラリと変わった。

「将、カッケー。本物のモデルみたい」

そういう大悟も、眉を少し切って、髪を立てただけでぐっと垢抜けた。

もともといた2名のモデルも、最初に見たときよりあきらかによくなっている。

「わー、カッコイイ~!」

美智子がパチパチと手をたたいた。そこにいたスタイリスト、ヘアメーク、新入社員、モデルのマネージャーも笑顔で拍手して場は盛り上がった。

それから、ワゴン車に分乗して一同は撮影現場であるここへやってきたのだ。

 
 

先にモデルが一人ずつ撮影を終わらせ、マネージャーと共に帰っていった。

将と大悟は友達同士ということで、二人一緒のカットと、別々のカットをそれぞれ場所を移して撮影することになっていた。

将の撮影が終わって、大悟の撮影を見ている将は、肩を後ろからポンポンと叩かれた。

振り返ると、あの髭面の橋本社長がいた。

「こんにちは。将くん。今日はいっそうイケメンじゃない」

と髭面をほころばせて笑った。

「こんにちは……」

頭をぺこっと下げる将の後ろから、

「あら、社長!」

と美智子の声がした。

「来たわよ!お手伝いに」

「ありがとうございます~」

社長は、一般人の撮影に付き合って、その中から有望な若者がいたらスカウトしようとしていたのだ。

もちろん美智子はそれを承知だし、社長の眼力に頼りたい部分もある。

「でね、美智子ちゃん、手伝う代わりにと言ったらなんだけど、将くんをちょっと貸してくれない?……今日はウチのカメラマンも連れてきたの」

橋本社長の後ろには、やはり中年の男性がいた。機材を抱えた助手を連れている。

変わった形の眼鏡をしているな、と将は思った。

「ウチのって……篠塚さんじゃないですか」

美智子は改まって

「いつもお世話になっております」

とカメラマンに挨拶した。篠塚、と呼ばれたカメラマンは

「まいったよ。オフの予定だったのに、社長に呼び出されちゃってさ」

と苦笑した。

「でも、いい目をしてるコだね」

篠塚は将に視線を照射した。それは笑っているのに鋭い目で射抜かれるような感覚だった。

「ふふっ。そうでしょう」

橋本は口角をあげて、篠塚を見た。篠塚は将の足の先から頭のてっぺんまで舐めるように見た。

だが不思議と嫌な感覚ではなかった。

なんだかよく知ってる人に褒められるような、そんな感じがした。

美智子の様子からも、どうやら、橋本社長が連れてきた篠塚は、かなり有名なカメラマンらしかった。

実際、将が知らないだけで、彼は依頼されても、彼が認めた人の写真集しかとらない、一流フォトグラファーだったのだ。

「将くん、いいわよね?」

「ハァ」

にこやかながら断るのを許されない雰囲気に、将はしぶしぶ承諾した。

 
 

将は、大悟が撮影されているのと少し離れたところにある公園に歩いて連れてこられた。

髪を整え、スタイリストが上から下まで揃えた格好をした将は当然目立ち、すれ違う女性が皆振り返った。

機材を抱えたカメラマンも一緒なので

『芸能人?モデル?』とあからさまに噂する人もいて、将は少し照れた。

「やっぱり、いいわ。将くん、今日は本当に、カッコよくしてもらったわね」

橋本は自分のことのように嬉しそうに笑った。

「じゃあ、ここのベンチに腰掛けて。普通にしてくれていていいのよ」

「ハイ」

しかし腰掛けるところからすでに篠塚カメラマンがカシャカシャと撮影を始めた。

助手を使って2台のカメラをせわしなく変えているので、

「あの、どうして2台使っているんですか?」

と将は訊いてみた。

「ああ。デジカメと銀塩カメラと2種類で撮影してるんだよ」

と篠塚は快く答えてくれた。温かい目だ。

「へえ……どう違うんですか?」

「それはね……」

撮影する篠塚に興味深く質問をする将を、橋本はニコニコと見ている。

篠塚は如才なく将をベンチから立たせたりしながら、カメラの種類について説明をしながらも、将のいい顔を見逃さない。

「ねえ、将くん、あの話は考えてくれたかしら?」

カメラの話が一段落したところで、橋本社長が口を挟んだ。

「……ハイ」

「OKしてくれるわよね?」

「いえ……。やっぱり無理です。……すいません」

将の憂いげな顔も篠塚は容赦なく撮影する。

「どうしてぇ?」

橋本社長は咎めるように訊いたが、女言葉のせいか、あまりキツイ印象ではない。

「俺……彼女いるし」

将は答えた。