第178話 欲情

「将の誕生日なのに、悪いわ」

将がホテルを取ったことを伝えると、聡はそんな風に答えた。

聡の部屋で、二人で作った夕食を囲んでいる。

 

ようやく大悟が立ち直りの兆しを見せてくれたこともあり、週末だけ聡の恋人としてふるまえる将は、モデルのバイトが終わると、聡の部屋に直行した。

「何か美味しいものを食べに行こうか?」

という聡に、将は首を振った。

「アキラがつくったものが食べたい」。

だから、久しぶりに二人で買い物をし、一緒に台所に立って、料理をした。

山梨で教わった関西風のすき焼きがテーブルの上にある。

初夏の陽気に、すき焼きは少し熱すぎて、ビールが進む二人だった。

 

「俺が泊まってみたかったんだ。それに、ホテルだったら、思いっきり声出せるでしょ」

と将は悪戯っぽく笑った。

2月に聡とその寸前までいったとき。

聡は快楽に押し流されそうになりながら、それでも声を立てるのを我慢しているのを将はわかっていた。

それは、コーポの壁ごしに、淫らな声が聞こえてしまうことを恐れて、ということもわかる。

かといって、将の部屋には大悟がいる。

「もー。エロいことばっかり」

プーッと膨れるふりをしながら、聡は将の気遣いがわかっている。

声のことだけでなく、『その後』学校で会うことを将なりに考えて、非日常を用意してくれたのだ……。

聡が明確にOKしなかったのにもかかわらず、いつのまにか、聡が来週の土曜日に将とついに結ばれるのは二人の間に周知として横たわっている。

聡自身も、いつのまにか、そのつもりになって、期待している自分がいることに気付いていた。

 
 

本当に久しぶりに、将は聡と一緒にベッドに横たわった。

瑞樹が新幹線に飛び込んだ日以来。……それを思い出した将は、胸が痛んだ。

悲しみにくれるあまり酒やパチンコに溺れる大悟を見ている間は、そっちに気をとられて気付かなかったが、将の罪や責任は決して消えていないのだ。

じわじわと湧いてくる自責の念が恐くて、将は聡の体を抱きしめた。

「将……」

聡もしがみついてくる将を抱きしめた。

もう明日になっている。将が18歳になるまであとまる3日、72時間。

聡は熱くまとわりつく将を抱きしめながら、暗くなりきれない空間に視線を浮遊させる。

土曜日の深夜は、まだどこからともなく、賑やかさが漂ってくるようだ。

来週の今ごろは、二人は……結ばれているんだろうか。

走り来る未来予想は、聡の体をひどく敏感にした。

Tシャツごしに密着した将の肌でさえ……思わず吐息がもれそうになるほどの快感だ。

力を込めあうたびに、肌がぎゅうっと締め付けられる。聡は快感をおさえるために、将に話し掛ける。

「将、来週のホテル代……私が払うよ」

こんな風に抱きしめあっている二人には、両極端といっていいほど不似合いな経済的な話題。

すると将は暗がりの中で、聡の顔を見つめた。白目が青く光っている。

「そんなこと、気にするなよ。アキラ」

将は再び聡を抱く腕に力を込め、足を擦り合わせる。

将の足と擦り合わせた聡の足はその付け根に、期待のような快感をもたらした。

聡は雌の自分を自覚し恥じたが、将の抱擁から逃げることはできない。

ただ、噛み締めるように一人、快感をひた隠しにしている。

上気した頬を隠すように俯いたのを将は誤解したのか、聡を安心させるように

「俺、最近、儲かってんだから、株」

と付け加えた。そんな明るい口調も、聡には気恥ずかしかった。

自分一人で欲情しているのではないのか。

10代の男との一夜を想像する自分は……普通よりひどく淫乱な女なのではないのか。

「楽しみだな、来週が。今週は処理すんのやめとこ」

将がふざけてそう言ってくれなければ、聡は救われなかった。

おかげで、

「もうっ」

と呟いて、将の胸をゲンコツで軽く叩くことで、淫らも、それを責める自分も、なんとか押さえ込むことができた。

二人とも、こうやって抱き合いながら、来週のために、と自分を抑えていたのだ。

それがわかると、なんだか可笑しくなった。

そのまま聡は、健全さをとり戻そうと

「将、来週進路相談だけど、どうするか決めた?」

と教師モードを取り出しながら、将に向き直った。

「アキラは俺に、どうしてほしい?」

と将は訊き返してきた。誤魔化すために質問したのに、意外にまじめな口調で返されて聡はとまどった。

「将は、何をしたいの?」

「……それがわからないから、アキラに訊いてる」

言いよどむ聡に

「教師としてでもいいから、教えてよ。俺、何したらいいかな」

と将は食い下がった。

一方『教師』という言葉に、聡の中の雌は引っ込んだ。

――将は何を生業とすべきなのだろう。

聡は、将の腕をほどいて、暗がりの中にぼんやり浮かぶ将の顔を見つめた。

よく整った鋭い目付きの青年の顔は、このような至近距離で見ると、甘い顔になる。

こんな目付きの青年は……人に使われるのには向かないだろう。

と聡は一瞬思ったが、すぐに考えを翻す。

なぜなら、この年頃の他の子にしても、『勤める』のに向いてそうな子などそうそういないから。

みんな『勤め』に向いていない自分を、型にはまるように変形させて働いているだけなのだ。

「わからなかったら……とりあえず大学に行っておけば?」

教師の答えとしてはあまりよいものではないことは、承知の上で聡はそういった。

しかし、先を決める猶予としては、おおむね有効だと思う。

「大学に行きながら、いろいろバイトを経験してみるのも、いいと思うよ」

これは聡の経験から出た本心だ。

生活のためにバイトをすると、抜けられなくなる恐れがあるが、大学に行っている間に下っ端として揉まれるのはよいことだ。

特に将のように、恵まれた家に生まれて、プライドが高く、かつ苦労しないで金を稼いでいるような子はなおさら。

それを将に伝えると

「ええー、俺、苦労してるぜー」

将は暗がりには大きすぎる声で抗議した。

「一生懸命、データ探して、考えて。そんで投資してるんだぜ。損することだってあるし」

「でもさ、自分で汗水たらして、物をつくったり、売ったり、サービスしたりしてないでしょ。本来働くってそういうことなんだからさ。本質を若いうちに勉強したほうがいいってば」

「アキラがそうしろっていうなら、俺はそうするけどさ……」

将は仰向けになって天井を見た。

ちょっと説教くさかったかな、と聡はそんな将を見つめた。

「でも、将がやりたいことをやるのが一番いいんだからね。今のは、何もなかったら、の話」

聡は言い訳のように付け加えて、仰向けになった将の上に上半身を乗せた。

将が好きだといっていた体勢だ。

だけど、そんな聡のほうを見ずに、将は天井に視線を向けたまま何かを考えているようだ。

「将?」

呼びかけにようやく、将の視線は聡の瞳に戻ってきた。

「……アキラ、俺さ」

息継ぎのように一呼吸置いて……一瞬のためらい。

しかし思い切って言葉を一気に吐き出す。

「俺、芸能プロダクションにスカウトされてるんだ」