第240話 台風接近の夜(1)

それを聞いたとき、将は教頭役として共演している焼津を思い出した。

将と同じく生徒役の大野啓介などは

「俺、40代で焼津さんみたいな感じになれたら理想」

と憧れている。

コミカルな演技で、仲田雪絵と対立する意地悪な教頭役をこなす焼津は、このところドラマの出演がとても多い売れっ子だ。

しかし実はずっと舞台中心で地道に活動してきた実力派でもあるのだ。

役者という仕事自体は悪くはないと、将は思う。

面白いし、深みも、広がりもある仕事だと、ほんの3ヶ月程度しか活動していない将でもわかる。

だけど。

若いうちにブームのように売れた末路が、年をとって若いタレントに陰でバカにされるのでは悲しすぎる。

売れなくなった時点で他の道を選べるならいいけれど、経験も学歴もないのならば、バカにされながら芸能界にしがみついていくしかないのかもしれない。

疲れた将には、そんな道筋が確かに見えてしまったのだ。

 
 

将はソファで少し眠ってしまったようだ。気がつくと暗くなっていた。

時計はもう7時を指している。

大悟はまだ帰ってこない。

だいたい、昼間、いつもどうやって過ごしているんだろうか。

将がいないときに禁断症状が出る、といっていたはずだが……。

将は少し心配になって電話をしてみる。

しかし、出ない。

携帯の意味をなさないほど、電話に出ることが少ない大悟に少し腹がたつ。

『俺。伊豆から帰ってきた。今どこ。連絡して』

メッセージは残しておく。

それにしても今日は、家政婦もこないらしい。

そういえば今日まで伊豆ロケだから、夕食はいらない、と将はいっていたのだった。

将は、今日の夕食をどうしようか考え始めた。少し腹がすきはじめた。

雨だから外に出るのも面倒だ。

ピザでもとるか、と考えていると、ふいに、ピアスをつけている耳たぶが痒くなった。

そういえば伊豆ロケの間中つけっぱなしだった。

将は寝室に移動しながら手探りでピアスをはずそうとした。

寝室にあるノートパソコンからピザの注文をしようと思ったのだ。

「おっと」

寝室に入るなり、ピアスが耳たぶからころりと落っこちた。

落ちたピアスはフローリングの上を滑って、ベッドの下に入り込んだ。

将は這いつくばって、ピアスの行方を見ようとした。

が、かなり奥に入り込んでしまっているのか、暗くてよく見えない。

お気に入りだから諦めたくない。

将は、ベッドのマットを動かすことにした。

たしか、マットを載せる台はスノコ状になっていたはず。そこからなら拾えるだろうと思ったのだ。

マットが動いてホコリだらけのベッドの下に光があたった。

そこにキラリとピアスが光っていた。

将はそれを拾い上げると、フッとホコリを吹いて、横の台の上に置いた。

そして元通りマットを戻そうとして、ふと気付いた。

スノコ状になった板を渡す枠の上に、小さなポーチが置いてある。

「なんだ?」

将はそれを取り上げた。

瑞樹がらみの何かだろうか……と思いながらも胸騒ぎがする。

将はポーチのジッパーをあけた。中からは……注射器と小瓶に入ったアルコール、そして透明な袋に入った白い薬が出てきた。

将は口をあけて、しばらく呆然とそれを見ていたが、やがて立ち上がった。

 
 

夜になると雨に風も伴うようになった。やはり台風は徐々に接近してきているのだ。

そんな悪天候なのに、夏休みに入ったこともあり、若者御用達の盛り場は賑やかだった。

黒く濡れた路面に、色鮮やかなネオンライトが反射して、晴れた日より華やかにすらみえる。

しかし、空を見上げると、ネオンのピンクや水色に染まった雨粒が横殴りに飛んでいくのが見える。

ときおりの突風に、ギャルたちが、髪を押さえてギャーギャー騒いでいる。

だがそれすらも楽しそうにしか見えない。

そんな中、将は、傘もささず走っていた。

「SHOよ」

「ばくせんの」

「SHOじゃん」

若者が多い街をサングラスもかけずに走る将は、ただでさえ長身ということもあり目だった。

皆が振り返り、ひどいものは大声で叫んでいる。

しかし将は、立ち止まらずに走り続けた。

あれから、すぐに井口に電話した。前原の友達など、そういう系のやつがたむろしている店の情報を得るためだ。

ゲーセン、公園、コンビニ、クラブ。

井口はいくつか口頭で教えてくれた上に、

「どーせ、今から遊びに行くし。俺も探そうか」

と言ってくれた。

ありがたかった。

将は、すぐにミニに乗ると雨の中を街へと向かったのだった。

「将?大悟のやつ、”サイケ”に来たぜ」

井口から連絡があったのは10時をまわった頃だった。

コンビニ、ゲーセンをしらみつぶしにまわった将は、車の中で濡れた頭をタオルで拭っていた。

「わかった。すぐいく」

将は、コインパーキングに停めていたミニをすぐに出した。

“サイケ”は70年代を模した、やや妖しげな雰囲気のクラブである。

地下にあり、それほど広くはないが、名前の通り幻惑的な雰囲気のライティングや選曲でウケていた。

「ちょー、SHOじゃん」

「SHOだよ」

びしょぬれで現れた将は、まだ客が少ない時間というのもあり、その店でも目立った。

ギャル客は遠くからカメラ付き携帯で彼を撮ろうとしたが、暗いためなかなかうまくいかない。

「将」

井口が気付いて近寄ってきた。夏休みに入って伸ばしたらしく、髭面になっている。

「あそこ」

井口は顔を寄せて、顎をしゃくった。

隅の方のシートに、何人かが座っているようだが、暗くてよく見えない。

「ヤバイお兄さんと一緒みたい。……どうする」

井口は囁いた。

そのとき、重低音がリズミカルにフロアを揺るがし始めた。

リズムにあわせてブラックライトとレーザー光線が稲妻のように交差する。

暗闇に将が着ている白いTシャツが、井口の黒いTシャツの白いスケルトンが、紫色に浮かび上がる。

将はズンズンと響くリズムの中、不動で隅の方に目を凝らした。

稲妻のライトの中に、大悟が見えた気がして将は目をカッと見開くと、フロアを突っ切るように大股でそっちへ向かって歩き出した。

「おい、将!」

井口が後を追う。

踊る若者をかきわけてフロアを行く白いシャツの将は目立ち、ギャルらはその行く先に注目した。

大悟はたしかにそのシートにいた。

大悟のほかに男4人とその連れらしき女3人が座っていた。

「大悟!」

将は叫んだが、それは大音響の音楽の中では、普通の話し声にしかならない。

しかし、もはや、フロア中の皆が将に注目していた。

腹の底からビリビリくる重低音も、注目の中では静寂に等しかった。

しばらくして気付いた大悟は将を見上げた。呆けたような弱弱しい目だった。

「将……」

「帰るんだ」

将は大悟の腕を引っ張った。

「おい、何するんだ」

将のすぐ近くにいた男が立ち上がった。一見普通のストリート系の格好だったが、目付きは鋭かった。

舌にピアスをしているのがちらりと見えた。

しかし、それを無視して将は大悟を引っ張り続けた。

重低音のリズムにあわせるように大悟を引っ張りあげる。

「帰るぞ」

痩せ細った大悟は簡単に腰を浮かした。

「お友達はまだ遊びたいみたいじゃんよ」

大悟の左隣にいた眼鏡をかけた若い男が大悟の肩を抱くようにして将を阻止する。

その指にはごつい指輪が嵌っていた。

「邪魔するな」

将は男をその目力で圧倒すると、その手を力いっぱい振り払った。

男は勢いでシートに倒れた。

するとシートにいた男すべて……皆、ヤバそうなやつらばかりだった……が立ち上がった。

ふいに間奏に入ったのか、重低音が止んで、コミカルなラップだけになる。

サイケな模様のカラフルな照明がフロアに壁にくるくると映し出される。

そんな中、しばしヤバイ雰囲気で将と男達は対峙した。

「ふっ。いいさ」

一番奥にいた、一番年上らしい身なりのいい男が、皆を制する。

薄いサングラスをかけ、チョイ悪風ファッションだが、マジで悪いのはオーラでわかる。

再び、重低音がフロアを揺らしだした。暗くなったフロアを稲妻風のブラックライトが飛び交う。

男の尖った白い靴が紫色に浮かぶ。

「また、こいよ。大悟」

とニヤッと笑った。そして

「じゃあね。イケメン俳優さん」

と将を小馬鹿にした顔で舐めるように見つめた。

将はそいつを鋭く一瞥すると、重低音に追い立てられるように、大悟の腕を引っ張って出口へとフロアを横切った。

井口があわてて後ろについていった。

力ずくで大悟を引きずるように出口へと大股で歩く将は、何人ものカメラ付き携帯で撮影されていた。

たいていは暗すぎて将だということは判別不可能だったが、レーザー光線が偶然あたった瞬間のものも、何枚かあった……。

 
 

※次話の話数は248話へ飛んでいますが、内容は続いています。