聡は、冴え冴えとした月明かりの中を将と二人で歩いていた。
道は月光が照らす二人の影のあたりまでしか見えず、その先はまったくの闇だった。
どこに行くのか、または、どこへ帰るのかわからない。
だけど聡は、幸せで、幸せで、ただ幸せで。
しんと冷えた夜の空気の中でも、将とつないだ手と、胸のあたりがほんわかと温かかった。
二人まるきり言葉を交わさなかったが、そのかわりに聡は、ときどき将とつないでいる手に力を込める。
将はそれにこたえるように「ぎゅっぎゅっ」と必ず2回聡の手を握り返す。
それを歩きながら繰り返す。
モールス信号のような、握り合う手での会話。
聡が傍らの将を見上げて微笑めば、将も笑顔を返す。
二人、どこまでもこんな風に歩いていければと、寄り添いあった。
ふいに……月が雲に隠れ、二人を浮かび上がらせていた月光は、くるりと闇夜に変わってしまった。
お互いの姿は暗闇に隠されまったく見えなくなってしまった。
聡は傍らにいるはずの将を呼んだが、返事は聞こえない。
聡の手を握っているはずの将の手はいつのまにか、幻だったかのように消えていた。
「将……どこ!」
聡は立ち止まると、叫んだ。
心の中のざわめきが、外に響いてしまうような静けさ。
いくら耳を澄ませても将の声は聞こえない。
漆黒の闇に捕われてしまった聡は、気が狂ったように将の名前を呼び続けた。
将の姿も、声も聡には見つけられなかった。
まるでブラックホールに飲み込まれてしまったかのように、将の姿はこつぜんと消えてしまったのだ。
気がつくと、聡は月明かりの下、たった一人で自分の影を踏んでいた。
月を覆う雲は溶けるように去っていったのに、将は帰ってこなかった。
月が夜空を瑠璃色に輝かせる中、聡の心は途方に暮れていた。
「将……」
将がいなければ、聡の心は闇夜も同然だった。
先に進めない。何も食べたくない。息をするのもうんざりする。
どうして、置き去りにされたのか。
もしかして飽きられてしまったのだろうか……。
浮かんだ考えが恐くて……聡はしゃがみこむと立ち上がれなくなってしまった。
もともと。9も年上の自分は。いつかは飽きられてしまう存在なのだ……。
甘い哀しみに沈み込もうとする意識を、理性がひきずり出す。
いや。違う。
聡はしゃがんだまま目を見開いた。
あの闇の中での真実を思い出す。
あの、息をするのさえ苦しくなるような闇の中。
絶望に囚われて……将の手を離したのは、聡のほうだった。
あの闇の正体は、聡自身の不安が姿を変えたものだったのだ。
将は聡のためなら何でもする。何でも……自分の将来も捨ててしまうほどに。
闇に飲みこまれながら、聡は恐かったのだ。
自分が将の未来を台無しにしてしまうことが。
随分前から知っていた。
やがて将を包む暗雲は自分自身であることを。
それが恐くて、聡は将を自ら手放したのだ……。
聡はしゃがみこんだまま、いつしか嗚咽していた。
将を手放した悲しみに、涙はとめどなく溢れ、抱えた膝を濡らした。
これでよかったんだとは思う。
だけど、自分から引き裂いた将との絆のあとから噴き出すように涙は止まらない。
涙は永遠に止まらないかと思われた。
体中の水分が涙になってしまうのか。
それとも、死ぬまで泣いて余生を暮らすのか。
涙が止まる未来を想像できず、聡はただ長い時間そこで顔をうずめるようにしゃがんでいた。
と。
泣いている聡の肩に、ぽん、と柔らかいものが乗せられた。
その柔らかい感触があまりに無邪気だったので、思わず聡は顔をあげた。
いつのまにか、あたりは明るくなっていた。
まるで冬の陽だまりのような……柔らかな光が聡を包んでいた。
目の前には……温かな陽だまりの色に染まって、可愛い女の子が聡を見下ろしていた。
幼稚園児ぐらいか。
その整った顔は……なぜか懐かしくて、聡はその女の子をよく見ようとした。
女の子は聡を見つめると口をひらいた。大人の男の声音で
「アキラ」
と呼んだ。その声はまぎれもなく将だった……。
「アキラ、アキラ」
将は、眠ったまま突然涙をこぼし始めた聡の、裸の肩をゆさぶった。
聡の涙に濡れた睫が一瞬、ぴくっと動いた。
そしてゆっくりと瞼が開き、中からねぶった黒糖のようにうるんだ瞳が現れた。
その拍子にまた、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「アキラ、大丈夫?」
顔をのぞきこむ将へと、聡の濡れた瞳はゆっくりと動いた。
目を開いた聡は、涙で滲んだ視界に将を見つけて、ほっと安堵の……涙でツンとした鼻の奥の感触を深いため息の中に放った。
夢だった――。
「こわい夢、みたの?」
将は聡の体に腕を伸ばし、抱き寄せた。
声をひそめながらも、これ以上ないほど優しい声だった。
聡は余韻で止まらない涙を、将の裸の胸に押し当てた。
まだ夢の中のような気がして、聡は将の胸の中でもう一度小さく嗚咽した。
将は何も言わずに、聡の髪から、カーテンごしの緑を映す白い背中にかけてをゆっくりと撫でた。
現実の将のぬくもり。少し湿った胸のあたり。
髪に背中に触れる大きな将の掌。
実際に、触れ合っている将。将はここにいる。
やっと安心した聡は、将の胸の上にある、小さな黒子に再会することができた。
ふだんは服で隠れてしまうあたりにある黒子。何度か目にしているそれは、聡にとって懐かしいものになっていた。
……それで、あたりがずいぶん明るくなっていることに、聡はようやく気付いた。
聡はもう一度将を見上げた。そういえば将の顔を見るのも何時間ぶりだろうか。
「しょう」
呼んだ自分の声がひどくかすれている。呼ばなくても将は聡を見つめていた。
――黒子、見つけた。
そういうかわりに、聡は将の滑らかな褐色の肌に浮かぶその黒子にそっと口づけした。
口づけしながら、聡は下腹に、ふだんは服で隠れている、将のもう1つのものが触れるのを感じた。
それで急激に、昨夜の記憶が蘇る。思わず意識を手放すほどの快感。
記憶というより……体中に残った感触が戦慄のようにいきなり屹立し、体の中が自動的に収縮するのを感じた。
あのとき途切れたままの、強い本能は体中の固い蕾を一気に開かせ、聡の心をも支配していく。
――もっと、現実の将を感じたい。
本能は聡の心にそう思わしめた。
「将」
次に呼ばれたとき、濡れて寂しげだった聡の瞳が、妖しく光るのを将は見た。
聡は黒子から唇を離すと、体を起こし、次に将に上からのしかかるようにして激しく唇を押し付けてきた。